うさぎごと 第12回『「私にしかできないこと」、誰かの消しゴムを拾うこと』
中学の時、授業中に消しゴムを床に落としてしまった。14歳という多感な時期、静かな教室で隣や後ろの席からどう見られるかが怖くて、消しゴムを拾うのを一瞬、躊躇した。消しゴムは私の足元に落ちていた。
仕事でも、X(Twitter)でも、日常生活でも「私にしかできないこと」を探し続けている。
他の人よりもできることはないかを見つけようと啓発本を読んだり、Googleで検索したり、YouTubeで動画を見る。それでも、自分にしかできないことはなかなか見つからない。
いや、本当はたくさんある。私には父と母は一人ずつしかいないし、その両親に子としての恩返しができるのは私(と姉妹)だけだろう。家にある植木に水をやれるのは私だけだし、ペットがいたらご飯をあげるのも私だけだ(14年前に亡くなってしまったけれど)。今この瞬間に自分の頭の中をこうして文章にできるのも、他ならない私だけなのだ。こうしたささやかな「私にしかできないこと」に目を向けることが、生きる上でどれだけ重要だろうか。気がついているのに、他の人にはできない「偉業」をつい探してしまう。
そもそも「私にしかできないこと」にこだわる理由はあるのだろうか。たとえば、電車で具合が悪そうにしている人がいたとして、その人に声をかけることは、その場にいる人なら誰にでもできることだ。「誰にでもできるだろう」と思って放っておかずに声をかけること。その勇気の尊さを、大人になり臆病になってから痛感する。
足元に落ちた消しゴムを拾ったのは、隣の席の澤井くんだった。隣とはいえ、結構距離があったので手をぐんと伸ばして拾ってくれた。
「はい」と渡された消しゴムは、澤井くんの大きな手と比較してか、いつもよりも小さく丸っこく見えた。
「誰にでもできるからこそ、やる」
澤井くんが「目の前で落ちたものがあれば自分が拾う」ことを自然に行なっていた瞬間は、印象に残った。
落としたものは本人が拾うだろう、それか誰かが拾うだろう。
そう言って当事者でなくなるのはもう止めにしよう。
誰にでもできるからこそ、私がやってみる。まずはここからスタートです。
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