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「統合しちゃう?」第3回 -その買い物も投資-

 喉が渇く。コンビニでペットボトルの水を買う。1本100円だ。何気なく買っている。この「買う」という行為もある種の投資である。それは、自分自身の身体への供給の投資とも言えるし、水を売っている企業への支援という意味でも投資だ。この感覚があると世界が全く変わってくる。

 どうしてこの記事を「統合しちゃう?」に書いたかというと、精神疾患を持った人の多くはお金がなくて苦しんでいるからだ。フルタイムで働けない人が多いし、たとえ働いていたとしても、その時あるお金を全部使ってしまう人も多い。人それぞれに貧乏になってしまう理由があり、個々によって違う。だから全員にむやみに仕事を旋回すればいいわけではなくて、かといって生活保護や障害年金を支給しても浪費に使ってしまったらマイナスになってしまう。

 精神疾患を持つ人や貧困を抱えている人に必要なのは、単純なお金の知識ではなくて価値観の形成だ。

 Wikipediaで投資を調べると「将来的に資本(生産能力)を増加させるために、現在の資本を投じる活動を指す」とある。「NISAとか確定拠出年金とかやらないの?投資しないの?」と言う人に対して「投資はお金がないとできない」と答える人が多い。確かに金融商品としての投資はある程度の資本がないとできないが、冒頭であげたような日々の買い物の投資は誰にでも、いつでもできる。

 この意識を持って、各々が本当に自分が応援したい物事にお金を使うことで、世の中は良くなる。人が必要としている事業にお金がまわるからだ。一方で、世の中においては必要でありながら、人気のない仕事だとか人の支援を受けにくい物事には光が当たらない場合がある。そういった分野は国や都道府県市町村などの自治体が主体となって、法律や行政が補っていく。

 そして、投資は「表現」のひとつでもある。「これを必要としています」という需要の表現だ。この表現が進むと、好意としての表現にもなりうる。好きなブランドの服をたくさん買うことは、愛情表現でもあるだろう。それはよいことでもある一方で、過度になり身の丈に合わないほど手に入れたくなる衝動が生まれてしまったら悪い方へと作用する。

 日々のお金を浪費してしまうサイクルに陥ったら「今買ったこの水も投資」と思ってほしい。それが本当に自分に必要なものであれば買ってほしいし、よく考えたらいらなかったり代替できるものだったとしたら、節約して他の好きなものや「本当にいいもの」にお金をつかっていこう。という自分への戒め。


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