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10/4(水) 等覚院 不動尊ご巡行 遠方出立祈念 円坐舞台 【第3弾告知】

等覚院 副住職の中島光信です。

10月4日(水)に大阪より「有無ノ一坐」の橋本久仁彦さん、松岡弘子さんをお招きし開催する「等覚院 不動尊ご巡行 遠方出立祈念 円坐舞台」のご案内、【第3弾】は、橋本久仁彦さんからの檄文をお届けします。

お申込みはコチラ→ https://forms.gle/DNkzcvyYfCD1KR9P8

◆←第1弾告知(主催者・中島光信の想い)はコチラ
◆←第2弾告知(松岡弘子さんによるメッセージ)はコチラ

~橋本久仁彦さんより~


「等覚院 不動尊ご巡行 遠方出立祈念 円坐舞台」に寄せて。

有無ノ一坐と等覚院、そして副ご住職の中島光信師の間には深いご因縁が働いています。奈良と大阪を双方結界する生駒山麓の石切町で、有無ノ一坐が毎年開催している円坐守人のための一年間にわたる実習稽古を、仏教寺院が主催してくださったのは唯一無二の出来事でした。

その主催寺院が、つつじの花盛りで有名な神奈川県の天台宗神木山等覚院です。円坐守人稽古のために一年間、大阪から川崎市の等覚院まで通っていた頃の宿泊場所は、十一面観音像がすぐそばに薄い壁をはさんで安置されている等覚院の観音堂の小部屋でした。寒い季節の小さな観音堂に僕一人、観音様と就寝するのは人生で初めての経験で、朝は地元の方が観音様と僕の方に向かって読経される声で目覚めました。

僕はその方には見えない小部屋の中にいたのでしたが、自分の存在が何か申し訳なく、布団の上でその方に向かって正座し手を合わせてお辞儀をしたのでした。

神木山等覚院の「守人」中島光信師はまったく説教臭くない、ちょっと不思議なお坊様で、僕からみればとても現代的な感覚を体現した御住職です。

ネット情報としての宗祖経典の解釈や、社会の目を気にする本山の動向についてのトピックばかり語って終わる昨今のお寺は、一人の生身の人間同士として真剣に向き合う現場を作ることや、個人的で赤裸々な信頼関係を切り結ぶことには関心がないように見えます。

「口承即興円座影舞未二観 有無ノ一坐」の仕事の重要な一面は「この世界で人間同士の真剣な関係を切り結ぶこと」です。

傷つき、傷つけることを恐れて他者と自分に踏み込まず、現実から遊離して作為の情報世界を漂う現代人は、死によっても破壊されない永続する人間関係を「切り結ぶ」ことが出来なくなりました。それゆえ多くの人々が死ぬことを恐れています。

死ぬことを恐れているとは、生きることを恐れていることと100パーセント同義です。生きることは人間関係そのものですから、現代人は人間関係を100パーセント恐れているのです。

そのため様々なメソッドやワークが無数に「開発」されて市場に出回りました。個人的で熱い血の通った唯一無二の愛や信頼の関係は情報化され一般化された理論や方法で乾燥処理され、知識とやり方を学べばコントロールや管理が可能になる「対象」として加工されます。

皮肉なことに情報によってコントロールするのは機械やロボットの世界ですから、死を恐れて人間関係や人生を情報化・メソッド化するとき、すでに我々の魂は機械化し、肉体が死ぬ前に死んでいるのです。

死を恐れて人生や人間関係を情報化して消費する現代人は、機械のようにパターン化し続ける生に退屈し、常に「安全な刺激」を求めています。

現代世界を支配している「情報化した人間関係」の中に生身の舞台を作りだし、与えられた命の時間をすべてその舞台のために捧げる有無ノ一坐に対して光信師は、忖度なくスッと距離を詰めて会いに来てくださいます。

その動きは、長屋に住む庶民を訪ねる江戸時代の和尚さんみたいで、だからこそ、有無ノ一坐は師の要請を受けて身軽に動きます。

「会うこと」「乞うこと」こそ「円坐守人」という「関係芸能者」として生きる一坐の本懐なのです。

光信師は、名古屋のある浄土真宗のお寺に有無ノ一坐の四人がお邪魔していたときにふらっと訪ねてきてくださって、円坐の中でふとお不動さんの出開帳への思いを語られたのです。ちょうどその頃我々一坐も、現在盛んに日本各地に遠征し花を咲かせている「この世の名残り旅の一坐ふるさと円坐街道」の新芽を守り育てていたのでした。

お不動さんが遠く日本の各地を巡るという祈りと寿ぎの形の芽生えは、我々の「この世の名残り旅の一坐」の成立時期と一致しており、師と有無ノ一坐の間に熱い血の通った相互作用が起こりました。師が有無ノ一坐を「立役者」と呼ばれるゆえんです。

この成り行きは何か大きなもののはからいと言うべきかもしれません。しかし僕は、大きな聖なるものの働きが本当にそこに来ているなら、分かったような既成の言葉で説明したくありません。

その代わりに、大きな力に支えらて裸になって、傷つきやすい、小さく弱い独りの人間として「相手と自分」という姿で現れる「この世・この世界」に生身で踏み込み、参入し、関わりたいのです。

人間関係を恐れる現代社会では、この生身の関わりの道は独立独歩の道になります。

他者や世界に安易な理解を求めず一人往く円坐守人の一坐は、光信師が自ら名古屋へ大阪へとお体を運んで何度も「あいに来てくださった」ことによって動かされます。

人間関係を切り結んで生きる我々円坐守人衆にとって、「あいに来る」「あいに往く」とは、この世界全体と自分の魂のすべてがその「あうこと」にかかってくる「懸命の舞台」であり、対峙と仕合であり、それが「きくみるはなす縁坐舞台」の本質です。

今、「この世の名残り旅の一坐ふるさと円坐街道」を奉じて日本や世界の各地を歩く円坐影舞衆の一坐が存在します。

それは等覚の彼岸、生死を越えた永遠の世界からの「不動尊遠方出立」に深く辞儀帰命し、円影未二の舞台を供える一坐、すなわち「永遠の遠方」という「不動の未知」を歩く一坐です。

神木山等覚院副ご住職中島光信師の御来臨によって円影未二(口承即興円坐影舞未二観)の有無ノ一坐は、時間による生死を越えた「不動の人間関係」を尊び、遠方永遠に届く魂の関わりを「乞い慕う」この世の先駆け・露払いとしてのお役目を仰せつかった一坐であると了解しております。

今月25日に終了した「この世の名残りみちのく旅の一坐秋のお彼岸ふるさと円坐街道」の蔵王連峰を辿る道中に一坐全員で見た景色があります。

「この世の名残り旅の一坐」はそのまま「あの世の初め旅の一坐」であるという事実です。

旅の一坐の余韻を文にしたためて寄せてくださった坐衆の言葉を掲げます。

<・・・旅の終わりにくにちゃんが言いました。「俺たち、二日間、人生の話しかしてないよな。」

この旅を始めるまで、人生とは生まれてから死ぬまでの時間のことで「この世にいる間」のことだと思っていました。

しかし、

人生とは「あの世」のことでした。

それは言葉を介してではなく、一坐であること、それだけで自分の中で揺るぎないものになりました。

その感覚は旅を始めてまもなく起こり旅の中で静かに落ちていきました。

「あの世」は豊かで懐かしく、力強くにぎやかなところであると知りました。自分の本体は「あの世」である、と知りました。

あかあかとした一本の道があるばかりです。>

霊山蔵王の麓、美しい川の流れを愛でながら彼岸花の咲く宿近くの里山の道を一坐で歩くと、反対側にも川が流れていて、二流は我々が歩く道の先の方で合流すると土地の人に聞きました。

左に流れるのが濁川と言い、
右に流れるのが澄川と言う名前だと河川工事の立札に記されています。

濁った水と澄んだ水が我々の歩く未来の旅先で「あう」ということ。

お彼岸の秋晴れの下、濁川と澄川が一つに合流し、永遠に関わり続けて往くこの場所に魂の立札を掲げ

「仏道を追求することでひらける地平と、この円坐舞台を行うことでひらける地平とが重なっているように思えたからで、その思いに今も変わりはありません」

という中島光信師のお言葉を

「二流二地平重なり、あいひらける。合掌。」

と黒字で書き抜き、

我ら円坐守人衆がこの世と対峙し、仕合い、世界一坐の遠方永遠の道のりを彼岸に向かって前進し、同時にこの世に帰還する一如不動の舞台の真ん中に置きたいと思います。

このたびの「等覚院 不動尊ご巡行 遠方出立祈念 円坐舞台」発布の儀、衷心より祝賀申し上げますとともに、東国神奈川の神木山等覚院より立ち昇る久遠の智慧の出雲と、浄土の夕焼けのごとく滋味ふかくあきらかな仏光の出立を、遠く仰がせていただき歩き続ける一人の円坐守人として、伏して合掌深謝申し上げます。


口承即興円坐影舞未二観 有無ノ一坐 橋本久仁彦。 



(ここまで)
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等覚院 不動尊ご巡行 遠方出立祈念 円坐舞台
with 橋本久仁彦さん、松岡弘子さん
2023年10月4日(水) at 等覚院(神奈川県)

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https://www.facebook.com/events/285294547628273

お申込みはコチラ→ https://forms.gle/DNkzcvyYfCD1

■日時
10月4日(水)10時~17時

■会場
神木山 等覚院(しぼくさん とうがくいん)
神奈川県 川崎市 宮前区 神木本町1-8-1
https://www.tougakuin.jp/

急行に乗ると渋谷駅より13分/新宿駅より17分。そこからバス10分程度の、高台にあるお寺です。

■参加費(昼食別途)
当山のご信徒の方 5,000円 / ご信徒以外の方 15,000円

※特別紙札を授与します。
※参加費は当日、受付にてお支払い下さい。
※昼食は仕出し弁当を予定。持参も自由です。

■こんな方にオススメ
・伝統の新解釈を試みたい方
・これからの仕事・生き方を悩んでおられる方
・創作/表現活動を深化させたい各種アーティスト・クリエイターの方
・病や年齢などで弱っていく人の心細さに、そっと寄り添っておられる方

などなど、どなたでもどうぞ。

■定員
定めず。立ち会えた方と、一度限りの刻を共にします。

■当日のおおよその流れ
9:30 受付開始
10:00 はじまりの挨拶
10:15 法要
10:45 講話(ご巡行の御世話人の方にお話を伺います)
11:30 ディスカッション
12:00 昼食
13:00 円坐舞台
15:00 休憩
17:00 終了

■持ち物
メモを取りたい方はクリップボードなど。

■ゲスト
・等覚院 不動尊ご巡行 御世話人の方々
・橋本久仁彦さん(有無ノ一坐 坐長)
・松岡弘子さん(有無ノ一坐 副坐長)

■カメラマン
戸高元太郎さん
当日は撮影が入ります。映像の一部は、現在製作中のドキュメンタリー映画(仮)「旅する不動明王」に使用します。

■主催/世話人
中島光信(等覚院副住職)

■お申し込み&お問い合わせ先
お申し込みの方は、下記フォームよりご記入ください。https://forms.gle/DNkzcvyYfCD1KR9P8

<個人情報の取扱い>
記載の個人情報は本企画の実施・および今後の催事案内においてのみ主催者が利用します。個人情報は目的の範囲内で利用するとともに適切な方法で管理し、法令上の特段の事情がない限り、本人の同意なしに第三者への目的外での開示・提供はいたしません。
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告知ここまで。ご参加を心よりお待ちしております。

(副住職 記)

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