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タコとウサギと岸和田城

 大阪府南部にある岸和田城は、続日本100名城にも指定されています。

 南北朝時代、楠木正成の配下である岸和田氏が築いたのが起源といわれています。安土桃山時代、羽柴秀吉の叔父・小出秀政が城主となって近世城郭として整備されました。

 江戸時代には、譜代大名の岡部氏が城主となり、岸和田藩を治めました。現在の岸和田城は、本来の広大な城域のうち、本丸と二の丸の一部が残っているだけです。

 岸和田城の最寄り駅は、南海電鉄岸和田駅、もしくはその隣の蛸地蔵駅です。

「蛸地蔵」という風変わりな駅名は、岸和田城にまつわる面白い伝説に由来します。羽柴氏の守る岸和田城に紀州の一揆勢が襲来したとき、海から一人の大法師と数千の蛸がやってきて、城を救ったと言われます。この伝承から、近くの天性寺は「蛸地蔵」と呼ばれています。

 さて、駅から市街地を歩いていくと、戦後に再建された綺麗な天守が見えてきます。

 天守の前には、作庭家の重森三玲氏による「八陣の庭」がつくられています。三国志に出てくる軍師・諸葛孔明の「石兵八陣」がモチーフです。

 天守の内部は資料館になっています。三階には、岸和田藩士の家に伝わる面白い甲冑が紹介されていました。「ウサギの耳」をモチーフにした兜です。

 繁殖力の強いウサギは、子孫繁栄につながる縁起の良い動物とされており、時々兜のモチーフにされています。

 二の丸を囲む石垣と水堀も見ごたえがあります。石垣の塁線がまっすぐではなくジグザグのようになっているのは、迫りくる敵に効率的に射撃を浴びせる工夫で、横矢掛りといいます。

 また、岸和田城近くには寺院の集中した通りもあり、城下町の面影を残しています。そのうちの一つ本徳寺は、有名な明智光秀の肖像を所有していることで知られています。

 光秀の肖像については、下記の記事でも取り上げたことがあります。

 城そのものも見ごたえがありましたが、他にも小さな話のネタがつきない訪問となりました。

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