誤解されがちな「南蛮貿易」
中学の歴史教科書にも載っている「南蛮貿易」という単語は皆さんもご存知でしょう。大航海時代にアジアに進出したポルトガル人やスペイン人(南蛮人)との間で行われた貿易です。
この南蛮貿易では、どのような物品がやりとりされたのでしょうか。歴史を教えている実感として、一般のイメージと実態が乖離している気がします。
おそらく、大半の人が「ヨーロッパから新奇な品がもたらされ、織田信長をはじめ大勢の権力者を喜ばせた」イメージを持っていないでしょうか。
確かに、ヨーロッパ人との交流によって、西洋風の珍しい品々が日本に入ってきたのは事実です。しかし、南蛮貿易における主力商品は、意外にも西洋の産物ではなく、中国産の生糸や絹織物などでした。
南蛮貿易とは別に、宣教師などが戦国大名に珍しい品を献上した記録は残っています。例えば、宣教師ルイス・フロイスは織田信長に黒いビロードの帽子などを献上しました。あなたが仮に「南蛮貿易について誤解していた」ならば、このイメージに引きずられているかもしれません。
ヨーロッパ人が訪れる前、アジア世界にはすでに東アジア・東南アジア・南アジアなどを舞台とする海上交易のネットワークができていました。そこに西洋人として初めて参入したのがポルトガル人です。彼らが西洋の品々を持ち込んだケースは多くなく、マカオなどを拠点として既存の人気商品の仲買をして利益を得たのです。
1543年の鉄砲伝来は、日本人が初めて西洋と接触したできごとです。「ポルトガル船が種子島に漂着した」イメージを持っている人が多いと思います。
しかし、その実態は「倭寇(当時は後期倭寇。中国人を中心とする密貿易商人)の船が種子島に漂着し、そこにポルトガル人が同乗していた」というものです。この頃の東アジアにおける南蛮人は、あくまで従来の交易ネットワークに乗っかっていた程度だったのです。
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