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ブラームスとクララ・シューマンは恋愛関係にあったのか《3》

前回はこちら。

ブラームスの熱烈な恋文


 若きブラームスがクララにどんな感情を抱いていたかは、現存している多数の書簡から推し量ることができます。シューマンの入院後、子どもたちの生活のため各地へ演奏旅行に出かけなくてはならず、多忙を極めていたクララに送られたものです。

「死ぬほど貴女を愛していますと、文字に書くのではなく、今日、僕自身の口から貴女に申し上げるのを神が許し給わんことを!」(一八五四年十一月)
「貴女を思い、貴女の手紙を読み返し、貴女の写真を眺める以外に、何も手につきません。いったい僕をどうなさったのでしょうか?」(一八五五年一月)
「どれほど、貴女にお会いしたく思っていることか! (中略)貴女のことばかり思い続けているのです。お願いですから、僕を忘れないでください」(一八五五年五月)

あくまでも「友達」だった


 ―――ここで余計なものを付け加える必要はないでしょう。二一歳の青年ブラームスは、クララに強烈な恋愛感情を抱き、しかもはっきりとそれを表明していました。しかしながら、クララが彼の思いに応じることはありませんでした。


 クララがブラームスに送った書簡は、彼女自身の強い要望で破棄されたものが多く、両者の往復書簡集には欠落した部分があります。そこに何が書かれていたのかは、もはや確かめようがありません。シューマンの死後、クララは子供たちへの手紙の中で、ブラームスのことをこう表現しています。

「真の友のごとく、彼は私の悲しみのすべてを分担してくれました。精一杯努力して、私の心を明るくしてくれたのです。つまり彼は、あらゆる意味で私の友でした」

なぜ下世話な噂が流布したか?

 ブラームスの側にははっきりと思慕の念があり、周囲から見ても尋常でない関係に見えていたにもかかわらず、二人の関係はプラトニックなものであったと考えられます。それでは、なぜ二人の関係をめぐり、安っぽい昼メロめいた俗説が流布したのでしょうか。ナンシー・B・ライク著『クララ・シューマン』(高野茂訳、音楽之友社)を読みながらその謎を掘り下げていくと、意外な事情に突き当たりました。

(続き)


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