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ボスニア紛争と知られざるPR作戦④~ボスニア政府が犯した失敗

前回はこちら。

 なぜ、モスレム人は紛争に際し、PRを必要としたのだろうか?

 モスレム人は、ボスニア・ヘルツェゴビナにおける最大勢力だが、全人口の4割強に過ぎない。それにセルビア人が3割強、クロアチア人が2割弱と続く。セルビア人は、隣国のセルビア共和国(ユーゴスラビア連邦の中核となる国)の支援を受けており、モスレム人は不利な情勢だった。自勢力が優位に立つには、国際社会を味方に付ける必要がある。

「正統派」のPR作戦は失敗に終わる

 そこで、ボスニア大統領イゼトベゴビッチは、外務大臣をアメリカに派遣することにした。外務大臣の名前は、ハリス・シライジッチ。歴史学の元教授で知的な物腰をもち、英語を流ちょうに操ることもできた。しかし、セルビア人が非道な行為を働いているというシライジッチの訴えにも関わらず、アメリカ政府の反応は鈍かった。

 ボスニアは資源もない東欧の小国であり、アメリカの国民はほとんど関心を持っていなかった。シライジッチに個人的に同情したとしても、民主主義の国であるアメリカの政治家は、票に結びつかない政策には乗り気ではなかったのである。アメリカの大統領や議会を動かすには、アメリカの選挙民にアピールし、モスレム人に同情的な世論を作らなければならない。

鍵を握ったPR企業「ルーダー・フィン社」とは

 国際政治の厳しさを目の当たりにしたシライジッチだったが、彼はとある会社に目を付けた。アメリカの名門PR企業であるルーダー・フィン社である。政府やメディア各社とのパイプを駆使して、クライアントに有利な世論が形成されるよう協力するのが、PR企業のビジネスである。

 1992年の春に依頼を受けたルーダー・フィン社は、まずボスニア政府と大手メディア各社とのコネをコツコツと作り始めた。目指すは、「セルビア人の非人道的行為に苦しむモスレム人」というイメージを市民に訴え、「モスレム人=善玉、セルビア人=悪玉」という世論を形成すること。その世論を背景として、アメリカ政府を動かすのである。

 プロジェクトの中心になった人物の名は、ジム・ハーフ。ルーダー・フィン社の幹部社員の一人で、ワシントン支社を任されていた。

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