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「字を書く指導」は不要なのか

 Twitterを見ていると、時折気になることがある。
 小学校低学年の子を持つ親が、返却された国語のテストの写真をツイートする。とめ、はね、はらいがしっかり書かれていないと×で、0点に近い点数。子供はショックを受けている。厳しすぎる――というわけだ。

 こういうツイートには、たいてい「ツイ主さんの言う通りです! 厳しすぎですよね」「こんな教育してたら子供はやる気なくしますよ。国語嫌いを増やすだけ」という感じで共感のコメントがつく。そして学校・教師を一方的に悪者にする空気が醸成される。

 確かに、あまりに厳しい採点は生徒のやる気を削ぐだろう。最初に返却するときは点数をつけず(どうせ0点に近い点数になるので)、粘り強く丁寧に直したら100点にする、など指導の工夫は必要だと思う。

 だが、「今はデジタルの時代だから書き取りなんていらないよね」という空気には疑問を覚える。この場合のデジタルといえば、PCのキーボードか、スマホのフリップ入力のことだろう。だが、画面に手書きして入力する場面もある。タブレットの発達で、むしろ画面に手書きで入力する機会は増えていくのではないか。

 AIの認識機能も、さすがに人間の視認能力を超えることはできないだろう。つまり、読めない字を書いているとAIにも認識してもらえなくて、大いに困るのだ。

「これからはデジタルだから、書写の指導は意味がない」と思っている大人は、もう少し想像力を働かせる必要があるだろう。

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