箕輪城~武田信玄を苦戦させた関東の名城
箕輪城は、群馬県高崎市にある城で、日本百名城に選定されています。上野(こうずけ)国の中央部にあり、戦国時代には北条氏や武田氏、上杉氏がしのぎを削りました。
箕輪城を築いた長野氏
永正9(1512)年、上野の豪族である長野業尚が箕輪城を築きました。長野業正の代には武田信玄の侵攻を何度も受けますが、撃退しています。信玄は強敵であった業正の死後、ようやく箕輪城を攻略しました。
豊臣秀吉による天下統一後、徳川家康が関東に入ります。この時に箕輪城を与えられたのが井伊直政ですが、短期間で高崎城に移り、箕輪城は廃城となりました。
現在残る城跡は、井伊直政が大規模な改修を加えたものです。良く知らないと「これが信玄を苦しめた城か~」となりそうですが、長野氏時代の城の姿とは違うようです。
曲輪を隔てる大堀切
JR高崎駅から、伊香保温泉に向かうバスに揺られること約30分で箕輪城に着きます。
城としての保存状態はよく、土づくりの中世城郭の迫力を体感するにはうってつけです。
現在の城の「顔」は、やはり「郭馬出西虎口門」でしょう。2016年、発掘調査の結果に基づいて再建されました。
馬出とは、曲輪の外に突出した空間です。門に入ると、このような空間が広がっています。
二の丸と郭馬出の間にある大きな凹みが「大堀切」です。実際に見るとかなりの迫力です。
土塁と空堀で防御力を高める
本丸では史跡の修復工事が行われており、一部が通行止めです。史跡全体を見学するのには問題ありません。
広大な平坦地の周囲が土塁で囲まれているのが分かりますね。
本丸の西にある曲輪「蔵屋敷跡」には再建された木橋がかかっています。空堀に落ちればひとたまりもないでしょう。空堀と土塁を組み合わせ、7~8mくらいの落差をつくっています。
本丸からさらに北に移動した「新曲輪」周辺も空堀がめぐらされています。
要所を固める石垣
箕輪城は基本的に土塁・空堀・堀切など土づくりの城ですが、石垣も見られます。
御前曲輪西堀の石垣は、木々に埋もれていて風格があります。
三の丸の石垣は城内で最も高く、4mほどあります。関東で本格的な石垣を用いた中世城郭(江戸時代以前の城)は珍しいです。豊臣秀吉の築いた石垣山城の例はありますが。
鍛冶曲輪にも、虎口(入口)のところに石垣が積まれています。未加工の石を積み上げた野面積みです。
箕輪城は遺構の保存状態も良く、史跡公園としても整備されていて歩きやすいです。散策の途中で地元の人たちのグループ(清掃ボランティアでしょうか)に会ったり、綺麗なトイレが置いてあったりと、地元から大切にされていると感じました。土の城の魅力を知るのにもお勧めの城です。
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