見出し画像

石垣山城~戦国の終わりを飾る石垣の山城

天正18(1590)年、豊臣秀吉は北条氏の征伐を開始。圧倒的な大軍をもって小田原城を包囲した。

城攻めに際し、近隣に陣地として築かれる簡易な城を付城という。秀吉は、小田原城を見下ろす山に、戦国最大規模の付城を築いた。それが石垣山城である。

伝承によれば、秀吉は城を小田原城から見えないように築き、周辺の木を伐採して一夜にして城が出現したかのように見せかけたという。実際には80日ほどかかっているが、圧倒的な技術力と動員力をもって突貫工事で付城を築き、北条氏の戦意をくじいたのは事実だろう。

画像1

JR早川駅(小田原駅の一つ隣)から徒歩40分で、石垣山一夜城公園の入口に到着。早速、石垣の迫力に圧倒される。石垣の多くは関東大震災で崩れたというが、それでも見所は多い。

画像2

西曲輪跡。縄張りとしてはそれほど技巧的ではない。

画像3

本丸からの眺め。天下統一を目前に、小田原城下を睥睨していた秀吉に思いをはせる。本丸には天守台という小高い地形があるが、実際に建物があったかは不明だ。

画像4

井戸曲輪。城内で最も戦国当時の様子を遺している遺構。残念ながら井戸を間近では見られないが、石と土の壁が井戸を囲むようにそびえる様は圧巻。

画像5

南曲輪を囲む石垣。近世城郭と違って石は綺麗に切られていない。自然のままの形で積み上げる手法は「野面積み」といい、一見粗野だが高い技術を必要とする。

当時は、近江の穴太衆と呼ばれる集団が、石垣を積む特殊技能を持っていた。秀吉は、畿内から連れてきた職能集団を動員して、関東に初めて総石垣の城を築いたのである。日本城郭史で見ても、画期的な城だったといえる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?