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マーラーは死の恐怖に怯えながら「告別の曲」を書いたのか?《2》

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 マーラー最晩年の《大地の歌》、《交響曲第九番》、《交響曲第一〇番(未完)》は、『告別三部作』とも呼ばれます。《大地の歌》は中国の漢詩に取材した声楽付き交響曲で、後者二つは純器楽の作品ですが、全編に漂う死への意識、生への諦念が共通しています。作曲者自身が愛娘の死に接し、さらに迫り来る自身の死に直面しながら書いたという解説は非常に説得力があります。

「第九のジンクス」の嘘

 しかしながら、「マーラーは死の恐怖に直面して『告別三部作』を書いた」という理解はわかりやすいものの、表面的なものに過ぎません。そもそもマーラーの作品は、若年期から死を強く意識しています。交響曲第二番や第五番の第一楽章は《葬送行進曲》であり、第六番《悲劇的》の終わりは英雄が三度に及ぶ「運命の打撃」に打ち倒されて終わります。マーラーの中で最も明るく、比較的聞きやすいとされる交響曲第四番でさえ、第二楽章のスケルツォは《死の舞踏》です。『告別三部作』についても、作曲者がかねてから重視していたテーマを引き続き中心に据えただけ、と見ることもできます。


 作曲家が、肉親の死などをきっかけに悲痛な音楽を書くことは多いですが、「悲劇的な曲を書いたから、その時作曲者は悲しんでいたに違いない」と思うのは早計です。マーラーの代表的な歌曲である《亡き子をしのぶ歌》が作曲されたのは、次女アンナ・ユスティーネが誕生し、家庭的な生活の絶頂にあった一九〇四年のことなのです。

逸話の出典に要注意

 巷間に知られているマーラーの逸話は、多くが妻アルマの回想によっていることにも注意が必要です。マーラーの死後、アルマは未完に終わった《交響曲第一〇番》を世に出すなど、亡夫の作品の保存や普及に努めました。一方、彼女の回想記は多くの誇張や創作を含んでいることが指摘されています。作品を売り込むには「悲劇の作曲家」としてのマーラー像が必要とされ、彼女自身の自己顕示欲の強さもあいまって多数の「伝説」が作られたのです。


 先述した「第九番のジンクス」も完全な後付けということがわかっています。《大地の歌》は、彼の今までの交響曲とは違い、当初ピアノ伴奏付きの歌曲として作曲されました。その後交響曲と歌曲を融合させた異色作にするという構想ができ、私たちの知る声楽とオーケストラのための作品になったのです。マーラーは「九番」という数字に迷信的な怯えを持っていたわけではありません。作曲の経緯からして、《大地の歌》は他の交響曲とは性質の違う別格の作品であり、必然的に番号なしとなったわけです。

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