観音寺城~山上の巨大石垣群
観音寺城は、滋賀県近江八幡市にある山城です。近江国守護を務めた名門・佐々木六角氏の居城でした。
この城は、繖山という標高440メートルほどの山に築かれました。観音正寺という寺院の背後にあり、かなり広大な城域を誇ります。
JR安土駅から登城口まで、徒歩で約1時間ほど。レンタサイクルの活用を勧めます。
観音寺城の特徴は、郭のまわりに石垣が高く積まれていることです。
近世城郭の先駆けとなる安土城(織田信長が築城)より早く、「日本最初の本格的な石垣の城」とも言われます。
石の大きさは不ぞろいで、「野面積」という荒々しい積み方をしています。
一見して無造作ですが、石の大きさや重さはしっかり計算されており、小さな石もがっちり嵌って動きません。
大石垣付近から南を眺めた景色です。
こちらは、「平井丸」という郭の入り口の石垣・石段です。平井丸や池田丸といった郭の名称は、そういう名字の家臣の屋敷があったという伝承から来ています。
平井丸を囲む石垣。統一政権以前に、これほどの規模の石垣を築く技術や動員力があったことに驚かされます。
本丸の入り口は、通路が折れ曲がる「食い違い虎口」になっており、敵の侵入を阻害します。
この城の魅力はとにかく迫力満点の石垣。登城は大変ですが(トレッキングシューズ必須)、石垣好きなら満足度は高いはずです。
本丸正面には、長大な石段があります。城主たる六角氏の屋敷に行くには、ここを通ったのでしょう。
1568年、六角義賢は上洛を目指す織田信長と戦い、観音寺城を捨てて撤退しました。
その後、六角氏はしばしば織田軍と交戦して観音寺城の奪回を目指しますが、果たせず降伏しています。信長は観音寺城を利用せず、近くの琵琶湖畔に安土城を築きました。
敗者となった六角氏の知名度は高くありません。しかし、六角定頼が信長より早い1549年に、全国初の「楽市令」を出したことが知られています。
六角氏に代わって近江を支配した信長は、石垣を備えた壮麗な安土城を築きました。そう考えれば、六角氏は信長の統一事業のプロトタイプだったと言えるかもしれません。
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