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ととろん
2021年11月19日 15:27
・・・・まもなく、貨物列車が通過します 黄色い線の内側にお入りください・・・・まもなく、貨物列車が通過します・・・・・ ・・・黄色い線の内側にお入りください・・・沈み始めた夕焼けの色が、貨物列車の赤色と重なる美しさで、「もう思い残すこともないな、この駅に」そんな思いが湧いてきて、体がどう動いていたか、覚えていない。赤が紅になって、目の前一面が真っ赤になり
2022年1月13日 06:39
「じゃあ20日からお世話になるよ。」電話で話していた相手は、高校時代からの親友、たけっさんだ。たけっさんとは、お互い親元を離れての下宿生活で、同じ釜の飯を食った仲で、3年間ずっと一緒にいた友だ。高校時代の親友は、他にも、こうちゃん・なおちゃん・ちゅうといった仲間がいて、それ以外にも、ななさん、ちーさん、さっちゃん、などなど。実は高校の時の僕らは、だいぶ特殊なクラスで、2
2022年1月14日 00:06
今回の帰郷。個人的な目的は、自分の心の回復度合いの確認をしたかったのと、故郷で元気をもらいたいということなのだが、それを踏まえたうえで、会いたい人、行きたい場所がいくつかあった。まずは、来年米寿になる恩師が「終活を始めた」ということで、生きているうちにちゃんと顔見せに戻っておこうという目的。気付けば僕ももう40過ぎて後厄の年、恩師も歳を取る。コロナ禍はリアルの再会を大き
2022年1月15日 00:05
九州新幹線で1時間半。家からトータルでも2時間半。鹿児島中央駅に到着した。「ただいまぁ。」改札を出たと同時に、思わず口からこぼれる。まだたけっさんとは合流していないのだが、やはりこの場所に足をつくと「来た。」「行った。」ではなく、「帰った。」という思いになるのだ。帰郷とはそういうものかもしれない。18でこの地を離れた僕にとって、鹿児島中央駅はどれだけグレードアップし
2022年1月16日 00:08
「ととろんは、帰ってきてみんなで話をしている時も、ずっと子どもとのことしか話をしないから、心配していた。ととろんは人生の100%を教員の仕事に注ぎ込んでいるから、今回のようなことになると大きく折れてしまうんだよ。」帰郷二日目、たけっさんと足を運んだのは、高校時代3年間担任だった恩師の家。恩師の体調の話などを伺ってから、今年の状況について聞いてもらうと、そのような応えが返ってきた。
2022年1月17日 00:17
「ととろんくん、おかえりー。私はなんも変わってないでしょ。」帰郷の三日目。日曜日と勤労感謝の日の間の平日。たけっさんは、有休をとってくれて、僕のやりたかったことの予定に一日付き合ってくれた。本当にありがたい。恩師に会うのと同じくらいに大事な、今回の帰郷のイベント【母校の小学校に行く】たけっさんの住んでいる鹿児島市から、薩摩川内市へ。僕が子どもの頃は、川内市だったが、合併
2022年1月18日 00:05
5時間目いっぱい体育館で、消防士さんの講習があるということで、子どもたちのいない間に、校舎をゆっくり見学することができた。石造りの階段、色落ちした窓枠、古くても丁寧に掃除がされているので、廊下も窓もピカピカだ。すっかり小さく感じる校舎の中を、一つずつ見て回ると、しずさんも、いつさんも、懐かしがってくれていた。子ども達の名字には、僕が子どもの時に聞き覚えのある姓がちらほらと。
2022年1月19日 00:41
思えば15年前、自分は最初に心を病んで学校に入れなくなって、でもどうしていいかもわからないほどに追い詰められたとき。あの時に足が向いたのも、鹿児島だった。あの時はただたけっさんの家に居候して、何日も何日も波止場に座って桜島を眺めていたら、4日目か5日目に、桜島が目の前でドカンと噴火して、「いかん、桜島にわっざれかがられた。(すごく叱られた)」と思い立って、もう一度職場に