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不登校先生

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2021年の春に「うつ病」になりました。 15年間小学校の講師として働き、 この年もそのまま働くだろうと思っていた時に 突然自分にやってきた「うつ病、退職、療養の日々」について、…
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#帰郷

不登校先生 (1)

不登校先生 (1)

・・・・まもなく、貨物列車が通過します

      黄色い線の内側にお入りください・・・・

まもなく、貨物列車が通過します・・・・・

    ・・・黄色い線の内側にお入りください・・・

沈み始めた夕焼けの色が、貨物列車の赤色と重なる美しさで、

「もう思い残すこともないな、この駅に」

そんな思いが湧いてきて、体がどう動いていたか、覚えていない。

赤が紅になって、目の前一面が真っ赤になり

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不登校先生 (61)

不登校先生 (61)

「じゃあ20日からお世話になるよ。」

電話で話していた相手は、高校時代からの親友、たけっさんだ。

たけっさんとは、お互い親元を離れての下宿生活で、

同じ釜の飯を食った仲で、3年間ずっと一緒にいた友だ。

高校時代の親友は、他にも、

こうちゃん・なおちゃん・ちゅうといった仲間がいて、

それ以外にも、ななさん、ちーさん、さっちゃん、などなど。

実は高校の時の僕らは、だいぶ特殊なクラスで、2

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不登校先生 (62)

不登校先生 (62)

今回の帰郷。

個人的な目的は、自分の心の回復度合いの確認をしたかったのと、

故郷で元気をもらいたいということなのだが、それを踏まえたうえで、

会いたい人、行きたい場所がいくつかあった。

まずは、来年米寿になる恩師が「終活を始めた」ということで、

生きているうちにちゃんと顔見せに戻っておこうという目的。

気付けば僕ももう40過ぎて後厄の年、恩師も歳を取る。

コロナ禍はリアルの再会を大き

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不登校先生 (63)

不登校先生 (63)

九州新幹線で1時間半。家からトータルでも2時間半。

鹿児島中央駅に到着した。

「ただいまぁ。」

改札を出たと同時に、思わず口からこぼれる。

まだたけっさんとは合流していないのだが、やはりこの場所に足をつくと

「来た。」「行った。」ではなく、「帰った。」という思いになるのだ。

帰郷とはそういうものかもしれない。

18でこの地を離れた僕にとって、

鹿児島中央駅はどれだけグレードアップし

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不登校先生 (64)

不登校先生 (64)

「ととろんは、帰ってきてみんなで話をしている時も、ずっと子どもとのことしか話をしないから、心配していた。ととろんは人生の100%を教員の仕事に注ぎ込んでいるから、今回のようなことになると大きく折れてしまうんだよ。」

帰郷二日目、たけっさんと足を運んだのは、

高校時代3年間担任だった恩師の家。

恩師の体調の話などを伺ってから、

今年の状況について聞いてもらうと、そのような応えが返ってきた。

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不登校先生 (65)

不登校先生 (65)

「ととろんくん、おかえりー。私はなんも変わってないでしょ。」

帰郷の三日目。日曜日と勤労感謝の日の間の平日。

たけっさんは、有休をとってくれて、僕のやりたかったことの予定に

一日付き合ってくれた。本当にありがたい。

恩師に会うのと同じくらいに大事な、今回の帰郷のイベント

【母校の小学校に行く】

たけっさんの住んでいる鹿児島市から、薩摩川内市へ。

僕が子どもの頃は、川内市だったが、合併

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不登校先生 (66)

不登校先生 (66)

5時間目いっぱい体育館で、消防士さんの講習があるということで、

子どもたちのいない間に、校舎をゆっくり見学することができた。

石造りの階段、色落ちした窓枠、古くても丁寧に掃除がされているので、

廊下も窓もピカピカだ。すっかり小さく感じる校舎の中を、

一つずつ見て回ると、しずさんも、いつさんも、懐かしがってくれていた。

子ども達の名字には、僕が子どもの時に聞き覚えのある姓がちらほらと。

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不登校先生 (67)

不登校先生 (67)

思えば15年前、自分は最初に心を病んで学校に入れなくなって、

でもどうしていいかもわからないほどに追い詰められたとき。

あの時に足が向いたのも、鹿児島だった。

あの時はただたけっさんの家に居候して、何日も何日も

波止場に座って桜島を眺めていたら、4日目か5日目に、

桜島が目の前でドカンと噴火して、

「いかん、桜島にわっざれかがられた。(すごく叱られた)」

と思い立って、もう一度職場に

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