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不登校先生 (64)

「ととろんは、帰ってきてみんなで話をしている時も、ずっと子どもとのことしか話をしないから、心配していた。ととろんは人生の100%を教員の仕事に注ぎ込んでいるから、今回のようなことになると大きく折れてしまうんだよ。」

帰郷二日目、たけっさんと足を運んだのは、

高校時代3年間担任だった恩師の家。

恩師の体調の話などを伺ってから、

今年の状況について聞いてもらうと、そのような応えが返ってきた。

「ととろん、教員も仕事だからな、人生の半分も力を割いてれば十分なんだよ。お前も、何か仕事以外の趣味とかを持った方がいい。」

御年87歳、「教員を半世紀もやったとか思うとぞっとなる」と、

定年後の私立へのヘッドハンティングでのセカンドキャリアも含めて

49年で勇退したこの恩師は、

退職後数年前(83か84の歳)まで、ゴルフを楽しみ、

その腕前もシングルプレーヤーだったわけで。

また、読書も本当に本だらけなくらい沢山読まれていて、

まさに人生の楽しみ方でも、先生だなと思う人だ。

その恩師からの言葉は、彼自身の人生に裏打ちされた

哲学でもあるように感じるほどに説得力がある。

趣味、自分の好きなこと、なんだろう。

料理は好きだ。また、ゲームやアニメ、マンガも好きだ。

だが、それらのもともと自分が好きだったものは、

小学校の先生として働き出して、そのほとんどすべてを、

子ども達と楽しむものとして、自分の知識や関心に昇華してしまっている。

政治・経済・世界情勢・歴史なども、進んで知識を取り込む先に、

「どうやって子どもに面白く伝えられるだろう」

という思考の流れに組み込まれていく。

納得をしながらも、『教師に割く時間を人生の半分程度に抑える』ことは

僕には難しいのかもしれないと感じた。

おそらく興味を持つ趣味にすることは、僕の中で最終的に、

子ども達に帰結してしまう。

旅に出て見分を深めても、「今見たことを、子ども達にも伝えたい」

何か自分の身の回りで起こった面白おかしいことも

子ども達を楽しませる話題で聴かせてあげたい。

全部がそういった思考で、先生になってしまっていた十数年間で、

僕にはおそらく、興味関心のアンテナの根っこには、

「子ども達に世界にはこんなに楽しくて面白いものがまだまだいっぱいあるんだよ。」

「君が一生懸命になっていることに、僕も共感したい。」

そういった、子ども達に向き合う自分が確立されているように感じた。

恩師のアドバイスは、説得力があり、教え子の僕を思っての助言だった。

その言葉は、改めて僕自身がどんな教師であったのか、

これからどんな教師であり続けるのか、その立ち位置と在り方を、

自分自身に省みさせてくれた。

先生の言うことを自分で考えて、時にはしれっと聞かなかった、

手のかかる教え子は、

今回の助言も従うでなく、自分を見つめなおす大事な言葉にしているので、

また復帰したら僕は、「100%先生」として働くのだろうな。

そう思いながら、恩師との時間を楽しむのだった。

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自分のことでこの歳になっても心配をかけてしまったなと思いながらも、

恩師の老衰については、本人の気の弱り方はやはり目に見えてわかって、

終活を始めたと、数か月前にクラスメイトからのLINEで知った時には、

「またまた、冗談を」と思っていたが、

実際に家に伺ってみると、大量の本はすべて奇麗になくなっていて、

お家に何十年も眠っていた荷物も全部片づけていたら、日本刀が出てきて、

処分に困って、警察官のクラスメイトに相談したという話なども聞くと、

「先生本当に終活しているのだ」というのがひしひしと伝わったのだった。

体調面でも、翌月に大きな手術をするなどの近況を聞くにつけ、

このタイミングで顔見せできてよかったと安心する一方で、

いつまでも元気でいてくださったらいいのに、

そんな思いも募らせた、恩師との再会になったのだった。

↓次話


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