見出し画像

不登校先生 (62)

今回の帰郷。

個人的な目的は、自分の心の回復度合いの確認をしたかったのと、

故郷で元気をもらいたいということなのだが、それを踏まえたうえで、

会いたい人、行きたい場所がいくつかあった。

まずは、来年米寿になる恩師が「終活を始めた」ということで、

生きているうちにちゃんと顔見せに戻っておこうという目的。

気付けば僕ももう40過ぎて後厄の年、恩師も歳を取る。

コロナ禍はリアルの再会を大きく阻むものとなっているため、

恩師が、色々考える頃になったのであれば、きちんと会っておきたい。

そう切に思ったのだった。

二つ目の目的は自分の母校の小学校に行くこと。

両親が離婚して以来、生まれ育った鹿児島の中でも、

小中学校時代を過ごした川内の土地には、ほとんど戻っていなくて、

いつも帰郷のときには、たけっさんにお世話になって鹿児島市内か

たけっさんの実家の大口にお世話になっていた。

旧姓の僕を知る友人は、ほとんどもう連絡を取っていなかったのだが、

中学時代の親友のナリとは、かろうじてつながっていた。

そのわずかなつながりから、小学校時代の同級生が、

2年前、唐突にLINEを送ってくれたのだ。

僕が小学生当時、一クラス16人、全校生徒105人くらいの母校は、

数年前には廃校問題も持ち上がったくらいに、もう子どもが、というより、

町・・・村全体が廃村に近い状態になっていた。

LINEを送ってくれた小学校時代の同級生は、何としても廃校を阻止したいと

旦那さんと二人のお子さんと、実家のある小学校区の村に戻ってきて、

就農し、子どもを母校に通わせているとのことだった。

また彼女以外にも、村に戻ってきて子どもを通わせている、

当時近接学年だった先輩や後輩も、結構いるとのことで、

彼女は、廃校問題阻止に取り組み、

地域でもありPTAでもある関わりの中で、

母校を支えている頼もしいお母さんになっていた。

その子とLINEでつながったことで、

自分の母校に学校が開いているときに入れないかとお願いしたら、

「全然大丈夫だって。校長先生にも教頭先生にも了解もらったよ。」

という返事をもらえたので、母校の小学校に行く予定もたてられた。

母校の小学校に行く、実は自分が小学校の先生になりたい。

そうはっきりと夢に定めた場所。

もう一度原点を見つめなおして、元気をもらいたい。そんな願いがあった。

三つ目の目的は、絶縁した父方の墓参り。

僕らが帰郷することに嫌悪感を抱いていた父はともかくとして、

今でも受け持ちの子ども達に話し聞かせてあげる、父方の祖父は、

鹿児島に帰郷するたびに気になって仕方なかった。

離婚後数年後に、祖父に会いに行ったら、祖父は喜んでくれたものの、

その直後に、父にすごく責められて、

祖父が板挟みで辛い思いをしたことを知り、

それ以降実家に足を運んでいない。

せめて小学校まで見に行ったなら、墓だけでも参ろう。

集落の集合墓地を確認して、祖父がまだ存命なのかを把握しておきたい。

そんな思いが募っていたので、墓参りまで、計画した。

「いいよ、全部大丈夫だよ。」

たけっさんは、二つ返事で快諾してくれた。

11月、4年ぶりの鹿児島へ、帰郷が決まった。

↓次話


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?