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不登校先生 (67)

思えば15年前、自分は最初に心を病んで学校に入れなくなって、

でもどうしていいかもわからないほどに追い詰められたとき。

あの時に足が向いたのも、鹿児島だった。

あの時はただたけっさんの家に居候して、何日も何日も

波止場に座って桜島を眺めていたら、4日目か5日目に、

桜島が目の前でドカンと噴火して、

「いかん、桜島にわっざれかがられた。(すごく叱られた)」

と思い立って、もう一度職場に帰ったのだったな。

結局あの時は、自分の身の守り方を全く知らなかったために、

その後戻って、もっと子どもたちとの関係はひどくなり、

職場のあたりもひどさは変わらず、一学期で辞表を書けと詰められて、

辞めることになって、もう終わったと思わされたのだったけれど。

今回は、これはダメだと逃げてから、病んだ自分を診察してもらって、

休んで、辞めて、療養生活を何とか維持する術を行動して準備して、

気持ちがだいぶ回復してきたと思えるまでに日常を一つずつ取り戻して、

また鹿児島に帰ってきたのだ。今度は、桜島にも叱られていない。

親友は、自分がどんなに情けない状態で戻ってきても、

いつもと変わらず受け入れてくれて、付き合ってくれて。

恩に報いることなど何もできていないのに、恩は増えていくばかりだ。

鹿児島への帰郷は、自分の原点に宿る力を、呼び起こすように、

僕に大事な言葉・人・場所・食べ物・景色を注いでくれた。

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今回の帰郷では、三泊ともたけっさんの家で、ご飯を頂いた。

奥さんの作る料理はどれも箸が進んで進んでたまらない美味しさだった。

一日目に鳥刺し、

二日目は名物の唐揚げと奥さんのご両親がくださった餃子、

そして三日目のは鰹の腹側だ。

枕崎の鰹節生産が有名な鹿児島では、鰹節には適さない脂の多い腹側が、

燻製の一夜干しのような状態でスーパーで売られている。

安価なうえに、魚でいうところのトロの部分なので、旨味と脂味は格別だ。

これを炙って焼いて食べると、すでについた塩と燻製の味だけで、

ご飯が何杯も進んでしまう。その鰹の腹側での晩御飯、最高だ。

フーちゃんとカーくんがご飯の途中にウトウトしだして、

寝かしつけてからの3人での晩酌晩御飯、

帰郷して足を運べたことの感想や、なんと無しに恋バナなど、

また、帰ってからどんな感じで復帰に向けて療養していこうかとか、

そんなことをたくさん話して、あっという間に夜は更ける。

本当に心地よい時間と空間だったのだろう。

たけっさんの家で何年かぶりにビールを飲んだが、美味しかった。

そして、4月以降初めて、睡眠剤を飲むことなく、

途中で夜中に目が覚めることなく、3日間眠ることができたのだった。

↓次話


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