【閉鎖病棟】②寝床と風呂場と公衆電話…
人生初の入院。
それが、精神科病院だなんて。
ちっとも想像していなかった。
4人部屋。
カーテンで仕切られた、私だけの空間。
私が入院することになった精神科病院は、少し前に建て替えを済ませたばかりのようでした。
他の病院と何ら変わりのない外観。
広々と、新しい匂いのするロビー。
一見すると、精神科病院だとは誰も気付きそうにない。
そんな、印象を受けました。
病室にある全てのベッドが窓に近く、明るい陽の光が差し込み、鉄格子なんてものは、もちろんありません。
窓の外は、今までと少しも変わらない。
普通すぎる景色が広がっていました。
「閉じ込められる」というよりも、むしろ「開放的」。
それでも、ここは閉鎖病棟。
窓は、わずかにしか開かず、
トレイの鍵は全く無意味で、
風呂には常に監視係がいる。
自由に病棟の外にも出られず、
差し入れは検疫を受けてから。
好き勝手におやつを食べることもできない。
ベルトやコードなどの長い紐、
ライターやマッチなどの火器、
カッターやカミソリなどの刃物、
それらの一切を自由に持つことなどできない。
全ては、自殺企画や暴力行為の予防のため。
仕方ない。
定期的にトイレが酷く汚れていること、
常に誰かが意味もなく歩いていること、
時々、ちょっとした騒動が起こること。
そんなことは、すぐに慣れてしまうもの。
しかし、
この場所。
この状況。
どう考えても、普通じゃない。
決して人には言えない入院生活になりそうだ。
それでも私にとって、ここにいることはとても都合が良くて。
居心地の悪さなど、大して感じてもいなかったのだと思います。
これで、どうやって暮らせという…。母が用意しておいた少しの荷物だけでは、退屈で仕方がなかった。
洗面器
タオル
歯ブラシ
少しの着替え
それだけ。
保護室を出てから数日が過ぎた頃。
私は、今自分のいる環境というものを少し理解するようになりました。
同じ閉鎖病棟と言っても、保護室にいるのと普通の病室にいるのとでは、まるで違っていて。
患者たちから感じるのは治療を受ける病人らしさよりも、そこで暮らす人々という生活感。
とても不思議でした。
そろそろ、
煙草と小銭が欲しい。
ムダ毛を処理したい。
伸びた前髪を切りたい。
替えがもっと沢山欲しい。
それに、
退屈をしのぐ何かが必要。
次第に、私はそんなことを考えるようにもなりました。
「病院へは、いつ来る?」そう母に尋ねたくても、私には携帯電話も、公衆電話を使うお金もない。
しばらく風呂にも入らずに、あまりに髪を放っておいたら、ある女性患者がボサボサの髪をといてくれたことがあります。
「私は今日、退院するの。
きっと、あなたにも、そんな日が来るからね。」
その時のわたしは、まるで子供のようで。
ただ、鏡の前で、その方が話すのをぼんやりと聞きながら、
いつか、その日がきたら。
私もこんな風に誰かの髪をといてあげよう。
そんなことを思っていました。
そして、私が鏡に恐怖を感じることも既になくなったのだと、その時わかりました。
そうだ、風呂に入ろう。
きっと、しばらく入っていないだろうから。
初めて向かった風呂場には、数名が既に入浴をしていました。
後に、とても親しくなった彼女もそのうちの一人でした。
彼女のタトゥーがあまりに素敵で、思わず声をかけた私に、彼女は優しく微笑んでくれて、とても気さくに話をしてくれました。
彼女がこっそり私にくれた100円玉。
それで、私は公衆電話から母に電話をかけました。
母の懐かしい声を、やっと聞けた…。
それから十数年。
彼女とは、前ほどに話はしなくなったけれど。
今でも時々、連絡を取り合う事があります。
彼女は今、素敵な家庭を作っています。
閉鎖病棟のこと。
その中の人々との話は、また改めて。
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