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旅の風景・カンボジア①プノンペン1995
旅の風景
カンボジア編🇰🇭①プノンペン
1995年
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1995年、僕はバンコクからプノンペンに飛んだ。目指していたのは、アンコールワット。シェムリアップという街の近郊に在る世界遺産だ。まだその頃は直行便などがなかったから、バンコクから首都プノンペンへ飛び、そこからトンレサップ湖を遡っていく高速ボートに乗る必要があった。
そうして、立ち寄った混沌の街、首都プノンペン。
宿にしたのは、伝説のレジェンド宿 キャピトルゲストハウスだ。
ここはバックパッカーの聖地ともされている。
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91年:カンボジア内戦が終結
91-93年:UNTAC 国際連合カンボジア暫定統治機構活動、自衛隊として初の本格的な国連平和維持活動(PKO)だった。
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しかし、カンボジアの民兵を効果的に武装解除した一方で、クメール・ルージュの武装解除には失敗。93年には日本人2名の尊い犠牲者があった事が今でも忘れられない。
ポル・ポト派が武装解除を拒むレッドエリアといわれる危険な地域も多く治安は悪かった。
結果ポルポト派が消滅するのは99年までかかった。
95年当時もプノンペンも混沌とした雰囲気でまだまだ街の治安はものすごく悪かった。
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日が落ちると電力不足のため、プノンペンは真っ暗闇となりゴーストタウンの様相で、外に出るのは気が引けた。レジェンド宿・キャピタルの周辺も夜になると人の流れが、さっと引き怖かった。
宿の住人は、個性的なバックパッカーや沈没組であふれていた。
バンコクのジュライホテル、カオサンあたりから流れついたバックパッカーが多かった。バンコクより間違いなく全てのコストが安く、一日でも長く沈没するには好都合だからだ。
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僕はキャピタルでの沈没を避け、トンレサップ湖までかけあがる高速ボートに乗船し、アンコールワットのあるシェムリアップを目指す事にした。
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