Numarni✈︎world traveler

222日間で世界一周たび日記90’s 1998年7月世界一周の旅に出た。スマホもメール…

Numarni✈︎world traveler

222日間で世界一周たび日記90’s 1998年7月世界一周の旅に出た。スマホもメールもない時代の事。旅人たちはどうやって世界を歩き感じたのでしょう。そこにあったものは・・・。222日間のゆる〜い旅日記です!

マガジン

  • エッセイ

    旅にまつわるエッセイを綴っていきます。

  • 旅の風景

    90年代から僕が歩いた世界一周放浪の写真とコラムです。

  • 世界一周旅日記

    世界一周放浪の旅の旅日記を公開します!

  • 旅と本と✈︎僕たちは本と一緒に世界中を旅していた

    90年代のバックパッカーたちは皆、一冊のお気に入りの本と共に世界を旅していたと思う。僕もそうだった。ネットもスマホもない時代。旅が長くなると活字に飢えてくる。そして、読み漁る本。

最近の記事

  • 固定された記事

🌏①世界一周旅日記90s✈︎謎の旅日記発見されてしまう!

90年代古き良き時代のバックパッカー旅日記を公開。 日記File No.001いよいよ出発 ■息子くんが謎の日記を発見してしまう 時は2022年、コロナでテレワークの日々が続いて自宅でぶらぶらしてたある日、タンスの奥から、謎の古ぼけた日記がポロっと出てきた。 第一発見者は、ボクの2番目の息子くん。 ちなみに、ボクには3人も息子がいる。 ムスコだから全員オトコだ。 しかも、この2番目の彼が生まれたのはブラジルのサンパウロという街。当然二重国籍を持っている。 かつてボクは

    • ヨーコ・オノという名のFlower 知ってますか?「武器ではなく、花を」

      こちらのスプレーマム(菊)の品種名は、 ヨーコ・オノ(Yoko Ono )ビートルズのジョン・レノンの奥様オノ・ヨーコさんの名前です。 オランダの種苗会社の有名な品種で、ヨーロッパ中で愛されています。いや世界中で愛されています。 この鮮やかな緑。スプレー菊としては独自の世界観を持っている品種だと思われませんか? 僕は初めてこの品種をオランダ・ウェストランドにあるこの種苗会社のnurseryで見た時は、一目惚れしてしまいました。 ブリーダー曰く、 "このYoko Ono''

      • 旅の風景🇺🇸はじめの一歩〜ロサンゼルス’90

        旅の風景 アメリカ合衆国🇺🇸ロサンゼルス 1990年 【記念日】はじめの一歩〜ロサンゼルス 今から34年前の今日。1990年4月25日。僕は初めて異国の地を踏んだ。アメリカ・ロサンゼルス。ここから、僕の放浪の人生が始まった。僕もこの日を記念日としたいと思っている。 始めから一人旅だった。 一緒に行こう!などと言ってくれる友だちは周りにいなかった。あえて孤独を楽しんでいる時でもあった。1人でどこまでやれるのか?自分を試す事が冒険の第一歩だと思っていた。 向かったのはロサ

        • 旅の風景🇮🇳2人のインド人女性との忘れられない出会い’93

          旅の風景 インド🇮🇳プリー 1993年 【世界一周旅行記】 僕のインドデビュー戦は“コルカタ''ではなくカルカッタだった。 インド人の方々によって、いい意味で身も心もズタボロにされて洗礼を受けていた僕は、ゲストハウスに戻り一人うなだれていた。 そこへ、インド慣れした先輩パッカーがやって来て 『プリーでも行って海でも見てきたら』 とアドバイスをくれた。 プリー?よく分からないけど行ってみる事にした。 ベンガル湾に面した穏やかな所らしい。 こうして、僕はプリー行きの列

        • 固定された記事

        🌏①世界一周旅日記90s✈︎謎の旅日記発見されてしまう!

        マガジン

        • エッセイ
          2本
        • 旅の風景
          6本
        • 世界一周旅日記
          5本
        • 旅と本と✈︎僕たちは本と一緒に世界中を旅していた
          4本

        記事

          旅の風景🇨🇱南米チリ、ビニャ・デル・マールのレジェンドとの再会!

          旅の風景 チリ🇨🇱ビニャ・デル・マール 1999年〜2013年 【世界一周旅行記】 チリ伝説の安宿・汐見荘 山岸さんとの思いがけない再会  僕が初めてチリ、ビニャ・デル・マールにある伝説の安宿、汐見荘へたどり着いたのは今から25年前1999年の夏だった。 世界一周の旅の途中、北米マイアミからメキシコに入り、ローカルバスをつないで中米諸国をめぐり、そして南米をブラジルまで目指していた時だ。 『チリに最高の宿がある。絶対行った方がいい。』と出会う何人かの旅人から何度も聞か

          旅の風景🇨🇱南米チリ、ビニャ・デル・マールのレジェンドとの再会!

          🇹🇭⑤世界一周旅日記90s✈︎文庫本の価値

          90年代のバックパッカー旅日記を公開。 アナログな旅は楽しかった! 🇹🇭222日間世界一周たび日記90s 日記File No.005タイ・バンコク 1998年7月29日 ✈︎バンコク・カオサンでの文庫本の価値は?いまボクは90年代のバンコクを旅している。 バックパッカーの聖地カオサンのドミトリーに宿を移して相変わらずウダウダしている。  今日も何もすることがない。読み終えた文庫本でも売りに行くととにした。 小銭稼ぎだ。カオサン通りの古本屋へ行くと女性が、古本を秤に計って

          🇹🇭⑤世界一周旅日記90s✈︎文庫本の価値

          旅の風景②ベトナム編南ベトナム解放民族戦線(ベトコンVietcong)の元戦士たちは?

          旅の風景 ベトナム🇻🇳サイゴン 1996年 南ベトナム政府とその支持国であるアメリカに対するゲリラ戦を展開し、ベトナム統一のために戦って生き抜いてきた方々。 自分の身の丈より長いライフを担ぎ、死戦をくぐりぬけて来た方たちです。 みな優しい顔をされています。時は流れる。 ベトナムに今ある平和を誰よりもかみしめ、誰よりも子どもたちの幸せを願っている人たち。人に歴史あり。 いまのベトナムの平和は、このような名もなき戦士たちの活躍と同志たちの尊い犠牲の上で成り立っている事を、

          旅の風景②ベトナム編南ベトナム解放民族戦線(ベトコンVietcong)の元戦士たちは?

          旅と本④ロンリープラネット✈︎南米編

          旅と本 『ロンリープラネット』(Lonely Planet) South America ✈︎『ロンリープラネット』(Lonely Planet) 南米編 僕の南米放浪の旅の友は『ロンリープラネット』(Lonely Planet)だった。1997年のこと。 アジアからインド、中東、東欧、欧州を旅し、ロンドンへ流れついた。さあこれから北中南米へ行くぞ!と言う時、僕はロンドンで不安になった。 今までずっと『地球の歩きかた』にずっとお世話になってきたが、当時、特に南米旅行で

          旅と本④ロンリープラネット✈︎南米編

          旅の風景・カンボジア②11年越しの恋が実った瞬間泣けてきた

          旅の風景 カンボジア🇰🇭②バンテアイ・スレイ 1995年そして11年後 バンテアイ・スレイ (Banteay Srei) 1995年、夏。初めてのカンボジア。 アンコールワットの街シェムリアップへは日本からの直行便はない。どこかの街でトランジットすることになる。当時はバンコクからのダイレクト便も無かった。カオサンでロイヤル・カンボジア・エアーと言う仰々しい名前のキャリヤーを選び、片道キップを手に入れた。そして、まずは首都プノンペンへ飛んだ。 僕たちバックパッカーの間では

          旅の風景・カンボジア②11年越しの恋が実った瞬間泣けてきた

          旅の風景・カンボジア①プノンペン1995

          旅の風景 カンボジア編🇰🇭①プノンペン 1995年 1995年、僕はバンコクからプノンペンに飛んだ。目指していたのは、アンコールワット。シェムリアップという街の近郊に在る世界遺産だ。まだその頃は直行便などがなかったから、バンコクから首都プノンペンへ飛び、そこからトンレサップ湖を遡っていく高速ボートに乗る必要があった。 そうして、立ち寄った混沌の街、首都プノンペン。 宿にしたのは、伝説のレジェンド宿 キャピトルゲストハウスだ。 ここはバックパッカーの聖地ともされている。

          旅の風景・カンボジア①プノンペン1995

          旅と本③ 旅で眠りたい&旅行人✈︎蔵前仁一

          旅と本 『旅で眠りたい』蔵前仁一 ✈︎旅と本『旅で眠りたい』蔵前仁一(1999) この本のおかげで、いや、全ての蔵前さんの作品のおかげて、僕の旅人生が始まったと言っても過言ではない。 バックパッカーのバイブル雑誌『旅行人』を入手するのが困難な田舎に住んでいた僕は、東京神田まで"上京''し、『旅行人』を求めて書店街を彷徨った。 何軒もはしごし、目当てのバックナンバーを探し当てた時の感動が今だに蘇る。 その時手に入れる事ができた『メコンの国情報ノート』はいまだに大事にとっ

          旅と本③ 旅で眠りたい&旅行人✈︎蔵前仁一

          旅と本②ベトナム戦記✈︎開高健

          旅と本 バックパッカー編② ベトナム戦記 ✈︎旅と本『ベトナム戦記』開高健(1964-65) 旅と本 『ベトナム戦記』開高 健(1964-65) 僕が初めてベトナムの地を踏んだのは92年2月だった。アメリカがベトナムに対する制裁を解除したのが1994年。それより少し前の話し。 この頃のベトナムは、まだ自由旅行が許されない時代で、外国人登録が必須で出入国を厳しく管理されていた。それが逆に面白かった。 戦場ジャーナリストに憧れて『ベトナム戦争本』を読み漁っていた頃、開高

          旅と本②ベトナム戦記✈︎開高健

          旅と本①深夜特急✈︎沢木耕太郎

          旅と本 バックパッカー編 ✈︎旅と本 『深夜特急』沢木耕太郎(1986)旅と本 『深夜特急』沢木耕太郎(1986) 90年代のバックパッカーたちは皆、一冊のお気に入りの本と共に世界を旅していたと思う。僕もそうだった。ネットもスマホもない時代。旅が長くなると活字に飢えてくる。そして、読み漁る本。 だから、僕たちは、よく本と向き合っていた。 流れついた世界の日本人宿の談話室には、旅人たちの手垢がついた古本がたくさん並べられていた。一日中そこにこもって読みふけている旅人もいた。

          旅と本①深夜特急✈︎沢木耕太郎

          🇹🇭④世界一周旅日記90s✈︎バンコクでの暇のつぶし方

          90年代のバックパッカー旅日記を公開。 アナログな旅は楽しかった! 🇹🇭222日間世界一周たび日記90s 日記File No.004 タイ・バンコク 1998年7月29日 ✈︎バンコクでの最高な暇のつぶし方(カオサン編)いまボクは90年代のバンコクを旅している。 カオサンのドミトリーに宿を移してウダウダしている。聖地カオサンにいるからといっても、ボクは誰ともつるみたくなかった。 2段パイプベッドの隣りの住人になったパッカーには軽く挨拶はもちろんするが、一通りの会話が終わると

          🇹🇭④世界一周旅日記90s✈︎バンコクでの暇のつぶし方

          🇹🇭③世界一周旅日記90s✈︎あなたはジュライ派?カオサン組?どっち?

          90年代のバックパッカー旅日記を公開。 アナログな旅は楽しかった! 🇹🇭222日間世界一周たび日記90s 日記File No.003 タイ・バンコク 1998年7月28日 ✈︎ジュライホテル組 vs カオサン組アジアを旅するバックパッカーの拠点として知られているのはカオサン・ロードだ。 300mほどの路地にドミトリーと呼ばれる安宿がひしめき合っている。ここに来れば、旅に必要な全てが手に入る。 格安航空券を売る旅行社も激しく競争をしている。 『カルカッタ行き格安xxxバー

          🇹🇭③世界一周旅日記90s✈︎あなたはジュライ派?カオサン組?どっち?

          🇹🇭②世界一周旅日記90s✈︎会社を辞めて旅にでた。バンコク凱旋!

          🇹🇭90年代古き良き時代の バックパッカー旅日記を公開してます! アナログな旅は楽しい。 222日間世界一周たび日記90s② 日記File No.002 バンコク編 1998年7月27 ✈︎バンコク行き片道キップ!? 今、僕は90年代の世界を旅している。 まだ見ぬ世界を見て見たい、知らない世界の国の人々と話してみたい。それだけの理由で、せっかく合格した青年海外協力隊を辞退し、会社に辞表を出して世界一周の旅に出る事に決めた。 旅の始まりはいつもバンコクから・・・。 そう決

          🇹🇭②世界一周旅日記90s✈︎会社を辞めて旅にでた。バンコク凱旋!