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恋と学問 第17夜、女ほど生きづらい物はない。

光源氏の生涯をたどってみて、こんな人物がなぜ「善き人」とされるのか、理解に苦しむと感じたとしても、なんら不思議ではありません。むしろまっとうな感覚です。

光源氏はイヤな野郎だ。好きになれない。この男を妙に持ち上げる紫式部の心持ちが分からない。そう言い放ったのは皮肉にも、近代以降だれよりも源氏物語を熟読した作家であり、私たちに最高の現代語訳を残してくれた谷崎潤一郎でした。谷崎は、死の2ヶ月後に発表された随筆「にくまれ口」のなかで、次のように述べています。

藤壺のような重大な女性を恋しながら、ふとした出来心で興味を持っただけに過ぎない通りすがりの女(引用者注:空蝉のこと)に向って、いとも簡単にあなたを思いつづけていたとか、死ぬほど焦れていたとか、言う気になれるものであろうか。(中略)源氏物語の作者は光源氏をこの上もなく贔屓にして、理想的の男性に仕立て上げているつもりらしいが、どうも源氏という男にはこういう変に如才のないところのあるのが私には気に喰わない(谷崎潤一郎「雪後庵夜話」中央公論、1967年、236頁)

これは光源氏が空蝉にささやいた口説き文句を取り上げて、意中の人が別にありながら、よくもまあ白々しい言葉を吐けるものだと呆れているのです。他にもあれこれと人格上の難点を挙げて、次のように結論づけています。

私はあの物語の中に出てくる源氏という人間は好きになれないし、源氏の肩ばかり持っている紫式部には反感を抱かざるを得ない(同書240-241頁)

谷崎の矛先は本居宣長にも向かいます。

「源氏物語」は勧善懲悪を目的にして書いたものではない、物のあわれということを主にして書いた読み物であるから、儒学者の言うような是非善悪の区別をもって臨むのは間違いである、物語の中の人物の善し悪しは自ら別で、儒者心をもって測ってはいけない、という本居翁の説は卓見であるとは思う。しかし、今挙げたような上手口を叩く男は今の世にも沢山いて、どういう物指をもって測っても、感心する訳には行かない(同書238頁)

以上の主張には無理がなく、うなずくほかはありません。ただしそれは、「登場人物には人格の一貫性がなければならぬ」という、近代小説の方法に照らして見たらそうなるという話であり、そもそも紫式部の目指したものが近代小説だったのかは、疑ってみる余地があります。

今夜の題材は、紫文要領の第2部「善悪と物の哀れ」のうち、第2章「善き人とされた人々」(岩波文庫版、67-78頁)ですが、ここで宣長は真っ先に光源氏という人物の異様さを指摘します。

此の源氏の君の本末を考ふるに、淫乱なることあげていひがたし。空蝉・朧月夜・薄雲の女院などの事は何と言ふべきぞ。別してはかの女院との事など、儒仏の教へ、尋常の了簡にていはば無類の極悪、とかく論ずるにも及ばぬほどの事也(68頁)

翻訳します。(意訳気味ですが)

光源氏の生涯について考えてみると、夫の留守中に人妻である空蝉を寝取ってしまうわ、皇太子のお妃候補だった朧月夜に手を出すわ、父の後妻である藤壺に不義の子を孕ませるわ、淫乱な行いを挙げたらきりがない。なかでも藤壺との情事は、儒仏の教えを借りるまでもなく、尋常の了見で言っても、極悪の所業であることはあれこれ論ずるにも及びません。

谷崎が言ったような批判があり得ることは、宣長だって百も承知なのです。さらに、あの柏木と女三宮の密通事件については次のように述べています。

此の衛門の督も、尋常の議論にていはば、人の室家を奸して、子をうましむる不義大なれば、何ほどよき事外に有れども称するにたらぬ事(中略)それをあはれむ源氏の君は、尋常の了簡にていはば、大なるしれ物といふべし(70頁)

痛快な書きぶりです。

あの柏木も、尋常の議論で言えば、人妻を犯して子を生ませた大罪があるので、どれほど善い所がほかにあったにせよ、誉められた人物ではないのです。そんな彼を憐れむ光源氏は、尋常の了見で言えば、大馬鹿者と言うべきでしょう。

己の妻を寝取った男の死を惜しむなど、よほどのお人好しか、単なる馬鹿か。それが、常識(尋常の了見)の立場からする光源氏の見えかたというものです。だから、谷崎は「好きになれない」の一言で切って捨てました。しかし、宣長は学者ですから、この一件をもって、源氏物語が設けている善悪の基準が常識が定める善悪の基準と異なる証拠、と見ます。その違いはどこにあるのか?これを探求するのが学者・宣長の仕事です。

己がうらみいかりをばさしおきて、物の哀れをさきとし給ふ事、これもかれもよしとする事、尋常のよきといふとは指す所かはれり(70-71頁)

さらっと述べていますが、ここには根本的な思想が述べられています。

自己の恨みや怒りよりも、物の哀れ(他人の運命への共感)を優先すること。この人の哀れ、あの人の哀れを、すべて善き物(運命)として肯定すること。このように、尋常の了見が善いとするものと、物語が善いとするものとは、意味内容が異なります。

宣長は、物語で善き人とされるのは、物の哀れを知る人だと、繰り返し強調しています。物の哀れを知る人が、なぜ善き人なのかと言えば、引用文にあるように、物の哀れを知る人は自己中心主義(エゴイズム)を離れるからだ、と言います。他人の運命に共感できる者に、他人が犯した悪の必然を知る者に、他人を殺したいまで憎むことは出来ません。光源氏が密通事件があってもなお、柏木の死を惜しんだのは、「大馬鹿者」だからではなく、物の哀れを知り尽くす人だから出来た「許し」でした。それが滑稽に見えるのは、紫式部の選び出している例が極端だからです。いわゆる「馬鹿と天才は紙一重」という、あれです。

人物評が続きます。光源氏の次に論ずべきは、やはり女主人公である紫の上でしょう。紫式部によって最高の「善き人」と表現された人物です。

ここで宣長は、「蛍の巻」と「夕顔の巻」における夫婦の会話を引用しながら、光源氏と紫の上という、ともに物の哀れを知り尽くした二人の「相違」を浮き彫りしています。個人的に、大変おもしろく感じる箇所です。二人の相違とは、要するに「男女の相違」を意味します。

まずは「蛍の巻」から。玉鬘と光源氏の間に文学談義があったことは、すでに述べましたが(第10夜および第11夜を参照)、よほど楽しかったものと見えて、帰宅後、光源氏は紫の上にも文学談義を仕かけます。まずは会話の全体をお見せしましょう。光源氏はまだ幼い娘(実際は明石の上の子だが養育は紫の上がした明石の姫君のこと)に、人目を忍ぶ恋などを扱う物語を読み聞かせするのは、教育上いかがなものかと紫の上に意見を求めます。その続きです。

上は、「浅はかな人真似などいたしますのは、 見ても笑止に思われるものでございます。宇津保の藤原の君の娘は、分別があって、しっかりしていまして、間違いはないようですけれども、あんまりてきぱき挨拶を返したりしますのも、女らしいところがないようで、片寄り過ぎておりますね」と仰せになりますので、「実世間の人にもそういうことがあるようです。いっぱしの人間らしく自分の性分を押し通して、ほどということを考えないのです。立派な親が心を配って養育した娘が、あどけないのは丹精のかいがあったものとしまして、ふつつかなところが多いのは、どんな育て方をしたのであろうと、親の躾ようまでが思いやられて気の毒になります」(谷崎訳「源氏物語」3-28)

表面的には娘の養育について語っているようで、実際は作者の「女性観」を紫の上に語らせているのだ、と宣長は正しく指摘します。この当時、女が守るべき道徳とは唯一「貞節」でした。男たちの求愛を一切無視して操を守ることは、一般的に善いこととされている。しかし果たして、女の生き方はそれでよいのだろうか?私は甚だ疑問に思う。紫の上は光源氏に、「女の生きづらさ」を語り、光源氏も同意します。

宣長はこの箇所を論じて、紫の上の人生には淫乱なふるまいがなかったという事実を指摘し、そんな彼女が、貞節を守るだけを誇りに生きる女の人生の、生きがいのなさを語っていることの意味を、よく考えてほしいと読者に求めています。宣長は言います。よくある誤解として「物の哀れを知る人」イコール「淫乱な人」という等式を思い浮かべる人が多いが、とんでもないことだ。たしかに光源氏はそのような誤解を招きかねない人生を送ったが、ここに描かれている「貞節の人」、紫の上の苦悩を見よ。

かの藤原の君のむすめのやうに、一偏に貞烈をたてて、人になびかぬすくよかさもあまりにて、女に相応せずといへるは、紫の上の心にも、好色の方にも物の哀れはしれとの心あらは也。されば一部の中によしとする紫の上の心も、尋常の書によしとする所とはかはり有り。貞烈なる女を一偏なりとの給ふにてしるべし。問ひて云はく、しからば紫の上に淫事なきはいかに。物語の中の婦人おほく淫事有り。紫の上にはなき故よしとするか。答へて云はく、淫事の有無はすててかかはらぬ事なり。物語の中に淫事なくてもあしき人あれば、淫事ありてもよき人有り。されば淫事なくてよき人は勿論也(73-74頁)

宇津保物語の藤原の君の娘のような、貞節を守るばかりで男になびかない生真面目な人は、片寄りすぎていて女らしくないと語ったことから、紫の上自身、色恋の方面でも物の哀れを知るべきだと考えていたことは明らかです。となれば、紫の上が「善き人」とされる理由も、尋常の書に言う善悪の基準とは異なります。ひたすら貞節であろうとした女を片寄った人と評したのですから。ではどうして紫の上自身には不貞がなかったのか?物語の中の女性たちの多くは不貞をしている。紫の上は不貞がなかったがために「善き人」とされたのではないか?こう問われたとするなら、私は次のように答えるでしょう。不貞行為の有無は物語における善悪の判定基準ではありません。登場人物の中には、不貞がなくても「悪しき人」がいて、不貞があっても「善き人」がいる。不貞がなくて「善き人」がいるのは言うまでもありませぬ、と。

紫の上が「蛍の巻」で語ったことを現代の言葉遣いに言い換えれば、己の経験や感想を、他人と共有することさえ自由にならない制約下にあった、この時代の女性が置かれた社会的条件に対する悲しみであり、なぜそれが悲しいかと言えば、物の味わいを知ったら、それを人と語り合おうとするのは、人間が人間である上で不可欠の条件だからです。それが、女性であるがために、出来ない。物の哀れを語ることへの、禁止と欲望。二つの条件が鋭く対立する矛盾が、女性特有の問題意識を醸成します。それは「いかにして女性は物の哀れを表現するか」という問題です。先回りして言えば、この問題意識に導かれて源氏物語は書かれたのです。

続いて「夕霧の巻」です。柏木の未亡人、落葉の宮に恋してしまった息子の夕霧のことが、夫婦の間で話題になります。光源氏は落葉の宮と紫の上を重ねて、「私が死んだ後の、あなたの心変わりが、今から心配になります」などと、ずいぶん女々しいことを述べます。紫の上は顔をあからめるだけで返事をしませんでしたが、次に引用するのは、その時に心の中で思ったことです。

上はおん顔をあからめて、私をあとに残すおつもりなのであろうかと、心憂くお思いになります。ほんに、女ほど身の持ち方の窮屈な、可哀そうな者があろうか、悲しいことも楽しいことも分らないような風に垂れ籠めて、日の目も見ずに暮しているのでは、何として生甲斐のある栄華を味わい、はかない現世のつれづれを慰めることができようぞ、大方のものの哀れを汲み分けない、面白味のない人間になったら、丹精をして育てた親も口惜しくはないであろうか、法師たちがえらい難行の例に引く昔の無言太子とかいう人のように、善いことも悪いことも知りぬいていて、じっと胸の中に収めたままで埋れてしまうのもつまらないことだし、我が心ながら、どうしたらほどほどにして行くことができるであろうかとお考えになりますのも、今は女一宮の御養育を専一にして、そのおんためをお思いになるからなのです(谷崎訳「源氏物語」4-162)

女はいかに生きるべきか。そこに紫の上の、背後に控える作者・紫式部の、全思考が集中しています。私はこういう箇所を読んでいると、「なるほど、源氏物語はまさしく女性の手によって書かれたのだな」と、しみじみ得心が行きます。そして反対に、光源氏がなぜあれほどバケモノじみた奇妙な人物に造型されたのかも、女性の手で書かれたという事実と無関係ではないことに思い当たるのです。

光源氏、ひいては男性一般は、紫式部という平安時代の貴族女性の目から見れば、女とは比べ物にならないくらい自由で制約のない存在として映っていたはずです。だから、紫式部は光源氏という男性が全生涯にわたって表現した物の哀れ(運命への愛)を描くにあたって、社会的な制約を設ける必要をあまり感じなかったにちがいない。彼のことはただ、ありったけの夢を表現すればよかった。数々の恋愛も不貞も追放も栄華も許しも、彼が男であればこそ、自由に表現することが出来たのです。

紫の上はちがいます。この人は作者と同じ女性です。女性はいかにして物の哀れを表現したらよいのか?表現を阻もうとする社会的な制約をくぐりぬけて。女性である紫式部は、それを考慮することをぬきに、紫の上の人物造型が出来なかったはずです。宣長の次の言葉が問題の核心を突いています。

女ほど身もちのむつかしき物はなきと也。思ふままに身をもてば難もいでくれば、思ふ事の心にむすぼるるがちなる故に、哀れなるべきといへる也。尤もよくよく味わうべき所也。(中略)女といふ物は心の内には物の哀れをしりても、それを外へあらはせば、人にいはるる事のいでくる物なれば、しりてもしらぬやうに引きいり沈めてゐねばならぬ。是れ身をもてなすさまの所狭く哀れなるいはれ也。さて然ればとて、さやうに見しりても見しらぬふりして、心のうちにのみこめてゐれば、何につけてか此の世にふるはえばえしさも有らん。又何につけてか、つねなき世のつれづれをもなぐさめんと也。(中断)「おぼしめぐらす」といふ迄が、紫式部此の物語書ける下心もふくめるなるべし(76-79頁)

紫の上が心に思ったこととは、次のようなことでした。女ほど生きづらい物はない。思うままにふるまえば、あらぬ誤解をかけられて非難されるような場面にも遭遇するので、自然と思うことが言えずにわだがまりがちになるゆえに、「女は可哀そうな者だ」と言うのです。ここは最もよく味わうべき箇所です。女というものは、心の内には物の哀れを知っていても、それを外へ表現しようとすれば、人に誤解されて非難を受けることは目に見えているので、知っていても知らないふりをして、その身を「内省の世界」に沈めていなければなりません。これこそが「女が生きることの窮屈さと哀れさ」の源泉です。さて、こうした社会的な制約が厳然と存在するにしても、物の哀れを知りながら知らないふりをして、ただただ誰も知らない「内省の世界」に哀れな夢を育てているだけでは、この世に生まれた晴れがましさも、無常の世の退屈を紛らわすなぐさめも、一体どこに求めたら良いのだろうと、紫の上は自問しています。紫の上が心に思ったことはそのまま、紫式部が源氏物語を執筆した動機でもあるはずです。

今夜の主題は、もはや尽くされました。最後に付け加えるなら、本節の議論はともすれば女性(しかも権利が低かった、この時代の女性)についての議論であり、男性には関係のない議論だと思われかねませんが、決してそうではないということです。

光源氏のような男性は、この世に存在しません。あんなものは、作者の哀れな夢がありったけ詰め込まれたバケモノです。実際は、この時代の女性ほどではなくても、男性・女性にかかわらず、現代人は紫の上と同じ苦悩を共有しているはずです。物の哀れを表現することには、今もさまざまな社会的な制約が存在します。平安時代と現代とで、制約の種類こそ変わりましたが、制約の中で表現しようとする人間の苦悩が存在することに、変わりはありません。今夜取り上げた箇所は、認識と表現にかかわる、きわめて現代的な問題を扱っています。

今夜はこのへんで。

それではまた。おやすみなさい。




【以下、蛇足】




今回は光源氏と紫の上という、二人の主人公に対する本居宣長の人物評を通じて、「物の哀れを知ること」と「それを表現すること」の関係を考えてみました。

次回は紫文要領の進行に沿って、いわゆる「雨夜の品定め」についての宣長の解釈を見てゆきます。若き光源氏と友人たちが「理想の女」について語り合う場面です。そこで問題になったのも、やはり「いかに物の哀れを表現するか」でした。

同一の問題が様々な角度から検討され、少しずつ、しかし確実に、深層に近づいてゆきます。お楽しみに。


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