茶木寿夫

元新聞社勤務にして7つの顔を持つ男。その7つとはスキー(インストラクター)、モータース…

茶木寿夫

元新聞社勤務にして7つの顔を持つ男。その7つとはスキー(インストラクター)、モータースポーツ、ヨット、飛行機操縦、乗馬、作家、国交省認定の運管主任講師。実話の人生冒険物語をメインに発表予定。著書にラリーテクニック(講談社)、ゼロファイター世界を翔ける!(潮書房光人新社)他多数。

マガジン

  • 身辺 エッセイ

    人生は旅・・・笑いあり、涙あり、失敗あり。 そんな身辺の出来事から連想する心の内側を、文と写真で描写したエッセイです。

  • スキー&ウィンタースポーツ編 エッセイ

    名も無き田舎のスキーヤーが、日本一になった男や、オリンピックの金メダリストとの交流にまで発展。人生は摩訶不思議なものです。 私が有名人と付き合ったのではなく、知人、友人がそうなったのである。 そんなスキーを中心としたエッセイ

  • 乗馬&馬編 エッセイ

    カウボーイに憧れて、馬に興味を持った私は、カナダでの映画撮影にもジャパン・ホースチームの一員として参加。 人馬一体となって草原を疾走するときは最高です。そんな馬にまつわるエッセイ。

  • ヨット&大海原編 エッセイ

    海は世界へつづく路。 潮のにおいが肌身に沁みる、ヨットと大海原に関するエピソードです。

  • ゼロファイター 世界を翔ける男

    これはパイロットの腕1本で、人生を切り開き、世界を渡り歩いた男の壮大な実話ドラマである。 「火だるまのゼロ戦を操り敵中強行着陸。麻酔無しでの皮膚移植手術。死線上の彷徨から奇跡の生還。ハワイでの特異な捕虜生活経験。YS-11を南米やアフリカなどの世界中へフェリー(クルーのみでの回送フライト)し、日本人最高位の2万7千時間の飛行時間と国宝級の腕を持つといわれたパイロットの、夢と信念に生き、世界に羽ばたいた波瀾万丈の人生」を描く

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日本も原爆の製造研究していた・・・3つ同時に来た戦争の情報

私の耳目に、原爆と戦争に関する情報が3つ同時に入ってきた。 日本も原爆の製造研究をしていた事実をはっきりと認識した今、とても複雑な気持ちになった。 ■1つは、中越戦争(中国とベトナム)で取材中に、仲間を亡くした中村悟郎著の「記者狙撃」の単行本である。 そこには、ベトナム戦争のことも、ベトナムで原爆が使われそうになったことも、戦争に共通することも、そしてウクライナ戦争のことも書いてある。 さらにはジャーナリストが何故標的にされやすいかも、その背景にあることも書いてある。 現

    • 嬉しさ一入《ひとしお》 40年ものチロリアン・ロデル(木製ソリ)の活躍

      ■ 40年前のヨーロッパ製木製ソリ(ロデル)が、現役で活躍している情報を知り、嬉しくなった。 なぜなら、このロデルは私が日本総代理店として1980年代に輸入・販売したもので、いわば我が子のように思う品だからである。 活躍しているのは、北海道の中央部の歌志内市にある「かもい岳スキー場」。 そのスキー場は一旦閉鎖されたが、近年蘇り、さらに今年3月から、そのロデルのレンタルも開始したのである。 木製のものは40年も経てば不具合が出るのが普通だろうが、アッシュという樫木を素材とし

      • 陸海空 ヨーロッパ交通見聞録 (2015年時点)

        プロローグ 2015年の夏、縁あって知人のヨットに誘われ、地中海にクルージングに行った。航海中ヨットで食べる米を7㎏担いで勇躍旅立った。 行先はイタリアとフランス。具体的にはローマを経て、イタリア・サルディーニ島へ飛行機で入り、そこからヨットでフランスのコルシカ島へ渡たり、さらに北上しようというものだ。サルディーニ島は四国位の大きさで、その北にあるコルシカ島は四国の半分の大きさ。地中海のほぼ中央にデンと構えている。 海外旅行は10年ぶりで、交通事情の変化に我が心はまるで

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        • 桜とVWとアメリカンハウス・・・日独米の融合。

          朝散歩していたら、古びたアメリカンハウスの前にあるフォルクスワーゲン(VW)と、桜が目に入りました。 それでおもわずパチリと撮影。 年代物のVWカブト虫、米軍の古びたアメリカンハウス、それに綺麗な桜と、その3つが何とも言えないコントラストを醸し出しています。 日本の美とドイツの美、そしてアメリカンの融合・・・そんな言葉が頭に浮かびました。 今度、日独米の首脳会談をここでやったらどうでしょうね。 ところで、この家には人が本当に住んでいるのだろうか? このVWカブト虫には、ち

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          ジョン万次郎と咸臨丸に学ぶこと

          私はかねがね「免許と実力は別」と思っている。 だから講習会等で機会あるごとに、そのことを伝えてきた。そうしないと危ないからである。 私は船も操船する。飛行機も操縦する。自動車の運転もする。 自動車はラリーコース設定で全国の山岳部を走り、国際ラリーにも出場した。 だから、自然界では自分の能力が、生死を分けることを身に沁みて感じている。 そして最近、ジョン万次郎が咸臨丸に乗りアメリカまで行った記述を再度読んで、ますますその意を強くした。今回は「知識、経験、実力」が如何に大事で

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          電気自動車EV考 

          車はエンジンから電気へと、今大きく変わろうとしている。 2023年から、新車は電動車(EV、HEV、PHEV、FCV)しか販売が出来なくなる。つまり、ガソリンやディーゼル(軽油)エンジンのみの車は無くなるということだ。 今やエンジン車と電気自動車は、購入時には、完全に同一線上に並んだ。 そこで気になる値段、補助金、ランニングコスト(電費) 充電、等、ユーザーとして知りたいことを、各視点から網羅してもらった。 著した近藤勉氏は、元大手自動車メーカーのハイブリッド車の開発リーダ

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          一枚の写真から-ラリーカー3・・レーシングエンジンのベレットGT-typeR

          メーカーから借用のラリーカーシリーズ1では、スバルレオーネのことを書いた。 シリーズ2では、ダイハツコンソルテのことを書いた。 続いて今回は、いすゞから乗る機会を与えてもらったベレット GT-typeRで和歌山を走ったことを記したい。 免許取りたての1960年代後半、憧れの車が何台かあった。スカイラインGTはその筆頭だったが、ベレットGTも魅力的な1台だった。 卵型をモチーフとしたカッコいいボディに、1600㏄のDOHCエンジンは、当時若者だった私の心を掴んだ。 GTとは

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          一枚の写真から・ラリーカーシリーズ2・・丸太橋を渡ったダイハツコンソルテ

          前回のラリーカーのシリーズ1では、我がボスでありラリーの神様と呼ばれた澁谷氏の力で、各メーカーからラリーカーを使用するに至った経緯を書いた。 そしてシリーズ1では、スバルレオーネで走ったことを書いた。 今回は、ラリーカーシリーズ2として、ダイハツから使用させてもらったコンソルテのことを書いてみたい。 1970年代当時、日本アルペンラリーに次ぐJMCのビックイベントは、3月のマウンテンサファリーラリーと、5月のデー&ナイトラリーであった。 そのデー&ラリーのとき、私はダイハ

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          一枚の写真から ラリーカーシリーズ1・・・3倍疲れたスバルの初代レオーネ

          機会があり、スバルの初代レオーネ・クーペに乗ったことがあった。 今回はそのエピソードを書いてみたい。 というよりも、今だから書けるエピソードである。 ■ラリーの神様の力は偉大なり 1975年当時、新聞社の社員である私は、子会社である日本モータリストクラブ(JMC)に出向し、1年中ラリーコース設定で全国の山岳路や峠道を走り回っていた。 そんな特殊なことを仕事にしているのは、全国でも私と上司の二人だけであった。 私のボスは、「ラリーの神様」の異名をとる澁谷道尚氏だった。神様

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          古《いにしえ》にタイムスリップ・・・古民家探訪

          ちょっと時間があったので、ふらりと散歩していたら、立派な古民家が綺麗に手入れされて佇《たたづ》んでいるのが目に入った。 ここは東京の郊外、福生市。駅から歩いて7分のところにあるこの「旧ヤマジュウ田村家住宅」。明治35年(1902年)に建てられたものだ。 地元の田村酒造の分家であり、3代に亘り生活をしてきた建物とのことだ。土蔵も2つあり、往時の雰囲気が漂っている。 富山にある私の実家もこのような建築手法による建物であり、土蔵もある。だからどことなく懐かしさを感じ、入ってみた

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          車にまつわるエピソード2 グロリア(プリンス&日産)

          1960年代から1970年代にかけて、ひときわ魅力を感じる車があった。プリンス自動車のグロリアである。プリンスはニッサンと合併したから、ニッサングロリアとなって行ったが、私は2代目のプリンスのグランドグロリアと、3代目のニッサングロリア(実質はプリンスグロリア)に特に惹かれた。 私流の言い方方をすれば、当時、平社員は軽四かパブリカなどの小型車、課長クラスはコロナなどの中型車、社長はクラウンなどの大型車というイメージが日本にあった。 大型車にはトヨタのクラウン、日産のセドリッ

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          一枚の写真から・・・オープンカーの爽快感を満喫。プジョー206CC

          オープンカーはカッコいいし、爽快だろうなぁー とは思うものの、本当に乗ってみようとはあまり思わなかった。 それは、若い頃読んだ雑誌コラムで、次のようなことが書いてあったからだ。 1・オープンカーで快適に走れるのは、1年の内のホンの数日しかない。もちろん雨が降ったらダメだ。 2・そのために、他の日の走りを犠牲にしなくてはならない。 その時は「なるほどそうか」と思った。 もう一つおまけに、車内に入ったホコリを、どう掃除するのか!? と思った。 だがある時、1週間ほど、オープ

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          1枚の写真から・・・ロールスロイスのオープンカーが似合う男になりたいなぁー

          世界最高級の車はロールスロイス・・・と思う人は多いだろう。 私もその一人である。 ロールスロイスは、専属運転手がいて、オーナーは後部座席にゆったり座るものというイメージがあるが、これがオープンカーとなると、一気に趣が変わる。 スポーティな雰囲気が漂い始めるのである。 ある時、目の前にそのロールスロイスのオープンカー(カブリオレ)があった。 ロールスロイスの関係者に、私がイギリスへ行ったときのラリーの話をしてコミュニケーションを図った後、走れるわけではないが、「ちょいと、

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          1枚の写真から・・・馬車の名残り・ランブルシートのある車

          初めて見たとき「あれっ、この車、何だろう?」と思った。 日本では見たことのないタイプの車で、最初はわからなかったが、初期の車のタイプの一つで、ランブルシートの車だと分かった。 英語では RUNBLE Seat と綴る。 まさに馬車のなごりをひく形で、デッキシートとも呼ばれ、また何故かは分からないが義母シードとも呼ばれている。 後部に折りたたまれた「外部シート」で、必要な時だけトランクを開ける要領でシートを出して使うものだ。 じっくり眺めていると、なるほど合理的な考えのも

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          1枚の写真から・・・スーパーカーに乗って ♪あの頃僕は若かった~

          この写真を見ると、♪「あの頃君は若かった~」という曲が自動的に流れて来る。 時は1979年5月。私は講談社の子会社であるベストカー副編集長に電話を入れた。 「ねぇ、今度菅生に行くとき、一緒につれていってくれないかな~」 すると「あぁ、いいよ」と言ってくれた。 雑誌の企画で、スーパーカーを数台持って、宮城県の菅生サーキットへ行って走るものだ。 丁度その年、私は同社から単行本「ラリーテクニック」を出版して貰い、ベストカーとは懇意だった。 そんなことから、ちゃっかりと同行が実

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          1枚の写真から・・・日本に一台しかない キャデラック・パレード用オープンカー

          ある日、友の人Oさんに見せてもらったのが、日本に一台しかないという1961年式 キャデラックだった。 とにかく大きい。 全長は、ロールスロイスより長い5m68cm、車両総重量は2.68t。 エンジンは6390cc 私は尋ねた「これ、何に使うクルマですか?」 するとOさんは、「サーキットのレース後、ウイニングパレードするときに使うのです」と答えてくれた。。 だから、それ用に手を加えてある。 ナンバーも、車検証も揃っていた。 それで私はOさんに提言した。「これ、映画撮影とか

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