海なし県8つから、古(いにしえ)に想いを馳せて
前回、世界中には内陸国48か国あり、そのうち二重内陸国が2か国あると書いた。
二重内陸国とは、国境を2回超えないと海に到達しない国のことだ。
転じて、日本に置き替え、さらに古(いにしえ)に想いを馳せてみた。
現在の日本は海洋国で、周り中が海であるが、都道府県を単位にしてみると、海の無い県、つまり内陸県は8つある。
北から南に見ていくと、栃木県、群馬県、埼玉県、山梨県、長野県、岐阜県、滋賀県、そして奈良県の8県である。
最初の7県は全て陸続きであるが、奈良県だけは独立した位置付けとなる。
私はそれらの県に何回も行っているが、意識していないと、気づかぬうちに県境を超えていることも多い。
しかしそこに歴史を重ねてみると、今の県境は、ほぼ昔の国境である。
例えば山梨県から20号で北上し、長野県に入るとき、いつも思うのは「今では県境の看板がある程度だが、戦国時代なら武田信玄の甲斐の国と、上杉謙信率いる信濃の国だったんだなぁー」と古に想いを馳せる。
昔は国境になる要のところに関所を作った。だから自由に往来が出来なかった。それがたったの約150年前まで続いた。
戦国時代は、お互いの国が武力で覇権を競っていた。
今その個所を通っても、関所も無ければ、人も立っていない。自由に往来ができる。すると、何で今まで血で血を洗うことをしていたのだろう、それはとてもおろかな事のように思う。
話を世界に戻すと、同様に感じる経験もあった。
ヨーロッパがEUになる前、各国の通過は独自のものだった。それでも、車でオランダからドイツに入った時は、何処が国境は分からなかった。ドイツに入ってしばらくして野点看板の言葉が変わっているので「あ~、もうドイツに入ったのだ」と分かるくらいだ。
オーストリーからイタリアに入った時も、国境の跡形はあるものの、パスポートのチェックすらなかった。
スキーでオーストリーからスイスへ入るとき、ゲートも無く、人も立っていないから、稜線が国境であると意識していないと分からなかった。
このように、「あぁ~、世界はどんどん一つになっていくのだなー」と感じた。
縮尺と時代を変えてみれば、日本もおなじだなぁ~と感じる。
戦国時代は、内陸国は塩が貴重だった。だから塩街道の言葉も生まれ、「敵に塩を送る」とう故事もできた。
しかし現在、内陸県だからと言って、塩ルート確保しなくてはならないという心配はない。
それらは交通や通信、そして物流が発達したからであろう。
人間は、争いごとをするために生まれて来たのではない。穏やかの日々の中で、相手を尊重しながら、仲間として時代を共有し、人生を楽しむために生まれてきたのである。
地域の特性であるオリジナリティは大切にしながらも、お互い相手を尊重し、助け合いながら、世界中が平和な毎日になることを願っている。
県境と国境のことを考え、県境を通過する度に、そんなことを思う。
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