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4つの同時挑戦 その4・英語

■嬉しいような、嬉しくないような、大いなる誤解?

私は、周りから「英語が出来る人」と見られるらしい。家人もそう思っていたらしい。私は「英語が出来るよ」とは一回も言ったことは無いのに。

ではなぜ、そう思われるのか? 
それは海外の国際ラリーにプライベートで出場したり、アメリカで連邦航空局の飛行機の試験を受け、合格してきたりしているからである。

私は「英語は度胸」を絵に書いたような男で、20代で海外に行き始めた最初のころは、わずかな英単語に加え、紙と鉛筆でコミュニケーションを図ったりして、なんとかその場を凌いで来ただけである。

そんな姿を見た家族に、化けの皮はすぐ剥がれた。

「これじゃ、いかん」と、アメリカ人に個人レッスンを受けたり、NHKラジオの英会話番組を聴いたり、あの手、この手で、少しづつレベルアップを図った。

30代前半までは、友達に通訳を頼んだりしていたが、ある日気が付いたら、簡単な事なら私が通訳的なことをしていた。
英検2級も60代になって取った。その後も、オリンピック選手の両親が日本にきたときなどは、私が通訳的なこともおこなった。

でも、自信をもって「英語が出来ます」と言えるには程遠い。
そこで、「じゃぁ、馬鹿でない証明をするために、英検準1級を目指そう」と、一念発起したのである。

そんな英語に纏わるエピソードを記してみたい。

■英語は運転免許証と同じ


自動車の運転免許が無いと、誰かに乗せて行って貰うなど、たえず他人の力を借りる必要があるが、免許があれば、いつでも、どこへでも好きな時に出かけられる。

英語もこれと同じで、英語が話せないと絶えず誰かに通訳してもらう必要がある。つまり何かの打ち合わせなどの時は、英語の出来る人の都合を聞きながらスケジュールを立てる必要がある。

でも自分で話せれば、自分だけの都合でスケジュールを立て、何処へでも行ける。
英語が自分で出来ると自由度が格段に増す。

これが「英語は運転免許証に同じ」と言う所以である。

英語はツール(道具)だ。そのルールが使えれば、世界の約半分の人とコミュニケーションが取れる。一度使えるようになれば、一生使える。

■「三単現のS」も、「過去、現在、未来の時制」も無視

30代半ばまでは、私は英語をあまりできなかった。でも英国の国際ラリーに参加したり、アメリカへ飛行機の免許を取りに行ったりするようになると、何であろうとも英語でコミュニュケーションをとらなくてはならない。アメリカ連邦航空局の試験は勿論英語で行われる。試験直前は、寝る時間を2時間まで削って、猛勉強した。

フランスのナポレオンは寝る時間は3時間だったというから、数字だけ見れば私はナポレオンよりも余計にさらに努力したことになる。だから必然的に少しずつだが覚える。

そんな時、「三単現のSも、過去、現在、未来の時制」も気にしちゃいられない。そんな事よりも、とにかく自分の考えをしっかり持って、それをいかに伝えるかである。
だから私は最初、和英、英和の辞書に加え、メモ用紙とボールペンをいつも持ち歩き、イラストを描いたりして意図を酌んでもらえるようにしていた。

その後、ドイツとアメリカに住んでいた友人から、「英検2級に挑戦したらいいよ。そうすると一応英語は出来るとみられるから」と言われた。
じゃぁ、一丁やってみるかと思い、約2年かけて合格した。

その勢いに乗って英検準1級を目指そうかと思ったが、母国語をもっとしっかりさせた方が良いとの考えから、英検は一旦お休みとして、漢字検定準1級を目指した。

英検も漢検も2級までなら何とか取れるが、準1級となると急にレベルが高くなる。
日本人に生まれ、日本語で教育を受けていても、漢字検定の準1級取得には3年掛かった。


漢検準1級、英検2級の勉強をしていた頃の一枚。

そんなこんなで5年ほど要したが、年齢も高くなってきたので、「まぁ、もういいか~」の気持ちが出てきて、そのままとなっていた。

ところが最近になって、人生最後の挑戦と思い直し、英検の準1級を目指すことにしたのである。

■自問自答「なぜ、英語をやるのか」


私が英語をやる理由はシンプルだ。
それは「楽しいから」、「カッコイイから」、「見聞が広がるから」である。

しかし「何事も言うは易く行うは難し」で、英検準1級のテキストを見、CDを聴いていても、最初は分からなかった。
だって英検2級は、約5,000語の単語が必要とされてるが、準1級になると7,500~9,000語を知らなくてはならない。つまり日常余り使わない単語も出て来るからである。

でもまぁ、少しづつおこなっていると、徐々に分かる度合いが高まってくる。
すると面白味が増す。映画やドラマを見ていても、シンプルな言葉は分かるようになる。すると、映画等がさらに面白くなる。
そんなことで、只今「英検準1級」に挑戦中なのである。

■振り返ってみると・・・


郷里富山での中学、高校の時、英語の授業はあった。

中学の英語の先生は、若い女性教師だった、英語の授業のとき、教室の窓の外を見ると、農家のお父さんが麦わら帽子を被り、首に手ぬぐいを巻き、汗を流しながら耕運機で田圃作業をしている長閑な風景だ。

だからこんな田舎で、英語なんていつ使うの? 一生に1度か2度有るか無しだとしか思えなかった。

それにこの先生の英語は、本当に通用するのかなぁ~、あまり通用しそうもないなぁ~と思っているから、英語に興味は湧かず、授業にも身が入らなかった。

さらに悪いことに、進学した高校の文法の男性教師は、頭を角刈りにし、腰のベルトにタオルをブラ下げ、およそ英語とは程多い人だった。スマートさなんてほとんど無い。
だから、ここでもまた「この先生の英語、本当に通用するの???」 としか思えなかった。

■英語が使えれば、世界の半分の人と交流ができる。


しかし時代は変わった。今や国際的な視野に立つと、英語は必須ともいえる。
海外に行ってみて分かったことだが、知的レベルの高い人は、何処の国の人でもほぼ英語が話せる。なんでもそうだが、自分で出来ると楽しい。

幸い、英検2級と漢検準1級で得た経験があるので、最初はちんぷんかんぷんだった準1級のテキストも、面白がって少しづつやっていると、だんだん先が見えて来た。

するとさらに楽しくなる。英検準1級に必要な単語数は最低7,500語といわれているが、まぁ何とか成るでしょうという気持ちになってきた。

こうして人生最後になるかもしれない英語力に挑戦しているのである。

でも、同時に4つもどうやって挑戦するの?・・・という疑問ももたれるでしょうが、それはまた、小沢正一的に言えば「明日のこころだぁー」で、次回記したい。

#英語検定

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