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飛行機&大空編 エッセイ

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「ゼロファイター大空を翔る」を著した、パイロット作家のエッセイです。
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記事一覧

代名詞の威力凄し Jeep他

■イントロダクション ・10代の子供の頃、悪路走破性の高い4輪駆動車をジープ(Jeep)と呼ぶ…

茶木寿夫
3か月前
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良いとこ取りのオスプレイ 操縦は難しいのか

V-22 (航空機) - Wikipedia 数か月前の2023年11月、米軍の輸送機オスプレイが墜落し、アメリ…

茶木寿夫
5か月前
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茶木寿夫(ちゃき としお)の「人生冒険物語」シリーズ まえがき総集

イントロダクション好奇心があれば、何事も面白い。 あの峠の向こうには何があるのだろう・・…

茶木寿夫
6か月前
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「助けて」・・・SOSとメーデーの違い

今頃にして、SOSとメーデーの違いが分かりました。 結論は、SOSは無線電信(モールス符号)で…

茶木寿夫
6か月前
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熱気球(ホットバルーン)で上空へ

ホットバルーンとは熱気球のことである。 アメリカで、飛行機の免許の陸上単発 → 陸上多発 …

茶木寿夫
6か月前
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水上機への挑戦 その4 たったの2日で合格

2日目の朝は、起きると同時にテキストを開き、水上機操作の手順を確認してから、スクールの事…

茶木寿夫
6か月前
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水上機への挑戦 その3 片フロートで離水せよ  

当初、私は陸上機の車輪の代わりに着いているフロート(浮舟)を,なめらかに滑らせて離水するものだと思っていた。 だが、実際にはそれだと水の抵抗が大きすぎる。 そこで、水上機の場合、“片フロートで離水せよ”となる。 少しスピードがついて来た時、機体を少し傾けた状態にして片側のフロートを水から浮かし、そのままの状態で直進させる。 すると水の抵抗が半分になるから、スピードも増す。 離水出来る速度に達したら、そのまま操縦桿を少し引き、機首を上げる。 それで離水して空中へとなる。 空

水上機への挑戦 その2 さびれた町に恐怖感  

ロスアンジェルスから約3時間程かかったであろうか、私は田舎の小さな湖のあるエアーハーバー…

茶木寿夫
6か月前
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水上機への挑戦  その1 ”日本語で知識習得、英語で体得” 

■水上飛行機取得へのキッカケ 私は、1982年にグライダーの免許を手にした。それで気をよくし…

茶木寿夫
6か月前
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グライダーで飛翔 その4  日本の免許取得に国交省へ

当時は、アメリカの飛行免許があれば、日本の飛行免許も発行して貰えた。だが、それには国交省…

茶木寿夫
6か月前
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グライダーで飛翔 その3 高い壁に感じた口頭試問

グライダーで30分以上滑空した証明の「Bバッジ」も貰った。それもあってか、フライトすること…

茶木寿夫
6か月前
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グライダーで飛翔 その2 スカイスポーツを実感

グライダーのことを滑空機という。つまり自分では動力を持たず、空中を滑空するだけだ。では空…

茶木寿夫
6か月前
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グライダーで飛翔 その1 私が鳥になったとき

グライダーで大空を飛翔するとき、そこは無音の世界。静かだ。 あるのはせいぜい風切り音くら…

茶木寿夫
6か月前
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自慢の父に、「烏の反哺《からすのはんぽ》」いまだ及ばず

父は昭和5年(1930年)に自動車の運転免許を取った。それはトヨタ自動車が出来る3年前だった。戦時中はガソリンが無いので、木炭車も運転した。 そんな父のもとへ、今からおよそ60年前、警察官が二人訪ねてきた。 そして「運転免許展を開催するので、木炭車の免許と、大型2種の免許を借りたいのですが、お願いできませんでしょうか」と言った。 もちろん貸し出した。そんな父を誇らしく思った。 父は、若い頃から機械ものに詳しかった。 夕食のときなど、左手を出して「フレミングの左手の法則」を