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自慢の父に、「烏の反哺《からすのはんぽ》」いまだ及ばず

父は昭和5年(1930年)に自動車の運転免許を取った。それはトヨタ自動車が出来る3年前だった。戦時中はガソリンが無いので、木炭車も運転した。

そんな父のもとへ、今からおよそ60年前、警察官が二人訪ねてきた。
そして「運転免許展を開催するので、木炭車の免許と、大型2種の免許を借りたいのですが、お願いできませんでしょうか」と言った。
もちろん貸し出した。そんな父を誇らしく思った。

父は、若い頃から機械ものに詳しかった。
夕食のときなど、左手を出して「フレミングの左手の法則」を用いて電流や磁気のことを説明してくれた。これには子供心にビックリした。

家業は農家だが、大きな納屋を使って双葉製縄工場も経営しており、さらにはサラリーマンもしているという「3足のわらじ」で、父は働き詰めだった。

そんな我が家に、なぜかアメリカ車に乗って「ちょっと診て欲しい」という人もきた。何故自動車でもないのに、父のところに来るのだろう? と不思議に思った。
それは、父が車に詳しく、簡単な修理なら出来たからである。

当時運転免許を持つということは、自動車の構造のことを知っているのが当たり前だったからである。
私は父に言われるがままに、火鉢で火をおこし、エンジン下部にあるオイルパンを温めたり、プラグを火で焼いたりした。そして父はおもむろにエンジンを掛けた。するとエンジンは始動したのである。

また、地元では耕運機を最初に導入した。
すると近所の農家からは、「あんな機械ものを田んぼに入れるから、うちの稲の生育が悪いのだ」と、何の理由にもならない中傷も受けた。

だが、農機具屋さんから「お父さんは機械に詳しい。扱い方も上手だ」と言われた。
私はまだ小学生だったから、よく分からなかったが、「へぇ~、そうなんだ」と思い、少し誇らしげに思った。

父の背中を見て育った私は、必然的に機械もの、とりわけ自動車に興味を持った。そんな私は、定年退職した父と一緒に、自動車屋をやりたいと思ったが、父はそう切り出さなかった。

結局それは私の単なる夢に終わったが、ある時父が飛騨号というロードスター(オープンスポーツタイプ)に乗っている写真をみた。ハンティング帽をかぶり、フェートンと言うタイプの車に乗る写真も見た。
手前味噌にはなるが、なかなかダンディでお洒落で、カッコいいと思った。
当時はそんなに思わなかったが、今振り返ると自慢の父である。


オープンロードスター 飛騨号
左端のコートを着ているのが父。
場所は不明だが、岐阜県の古川市(今の高山市)と推定できる。
幌屋根のフェートン
こちらも場所は不明だが、富山県の神通峡付近と思われる。

機械ものが好きな父に、多少の親孝行でもと思い、私が操縦するヨットや飛行機にも乘ってもらった。

諺《ことわざ》に、「鳩に三枝《さんし》の礼あり 烏に反哺《はんぽ》の孝あり」というのがある。これは、子鳩は親鳩よりも三枝下に止まる礼儀を知っており、烏はひなのとき、親から養われた恩に報いるために、成長の後、親烏の口に餌を含ませる孝の道を心得ているという。
このように礼を知り、孝を行なうのであるから、まして、人間はそれらの徳をよくふみ行なうべきである、という意である。

しかし自分を振り返って、多少の親孝行はしたかもしれないが、「鳩の三枝の礼」「烏の反哺の孝」いまだ及ばず・・・という気持ちが本当のところである。

「親孝行したいときに親はなし」で、父も母も天国に旅立ってしまった。

左が父、右が筆者
アメリカの飛行機会社のキャプテンに頼んで操縦席にいれてもらい、
ボーイング747型機のコックピットで、私が父に説明をしているところ。


機長席の父


知人のヨットでくつろぐ両親
海外にて。

#親孝行  

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