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モータースポーツ・エッセイ

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「PMC・Sにみる日本のモータースポーツ」を著した作家のエッセイです。 タイヤメーカーのスタッドレス研修会の主任講師や、自動車メーカーの安全指導インストラクターの経験も有す。
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記事一覧

初めて知った「二重内陸国」

■ 二重内陸国の言葉にビックリ 二重国籍、二重スパイのことは知っているが、初めて「二重内…

茶木寿夫
2か月前
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車にまつわるエピソード03 ブルーバード510

今から57年前の1960年代後半、日産はアフリカ大陸で開催されたサファリーラリーに参加し、盛ん…

茶木寿夫
3か月前
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勝手連 おじさん3人組 日本アルペンラリーと全ての故人を偲んで八ヶ岳山麓へ

元祖日本アルペンラリーで優勝した桐壮一郎氏(享年80歳)が数年前に亡くなった。その後同ラリ…

茶木寿夫
3か月前
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茶木寿夫(ちゃき としお)の「人生冒険物語」シリーズ まえがき総集

イントロダクション好奇心があれば、何事も面白い。 あの峠の向こうには何があるのだろう・・…

茶木寿夫
6か月前
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巨星 堕(お)つ。ラリー界のスーパースター篠塚建次郎氏を偲んで・後編

日本人初のWRC2年連続優勝、そしてパリダカ優勝 既報の前編、中編で記したように、篠塚建次郎…

茶木寿夫
6か月前
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巨星 堕(お)つ。ラリー界のスーパースター篠塚建次郎氏を偲んで・中編

※この記事、及び写真の無断転載を禁ズ。 ■ラリードライバー篠塚建次郎の二人の育ての親 篠…

茶木寿夫
6か月前
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巨星 堕(お)つ。ラリー界のスーパースター篠塚建次郎氏を偲んで・前編

光り輝く大きな星といえるラリー界のスーパースター、ケンジロウこと篠塚建次郎氏が2024年3月18日に膵臓癌で亡くなった。 日本人のラリープロドライバーとして、走ることを職業にして活躍した数少ない一人だった。 同じラリー界に身を置いた私から見た彼のエピソードを書いてみたい。 ■ 私から見たケンジロウ 彼と私は同い年である。私がラリーに興味を持った頃には、彼はもう三菱の準ファクトリー選手として、活躍し始めていた。 当時の国内ラリーの頂点は、日本アルペンラリーだった。 私が、1

A級ライセンスは、人の広がりの一歩

学校の友達は、卒業したら増えることは無い。 だが趣味を持てば、友達の輪は広がる。 貴方の人…

茶木寿夫
7か月前
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「危険がいっぱい」の一般道、「安全度の高い」サーキット

多くの人は、「サーキットで走るのは危険度が高い」と思うだろう。 だが、最近とみに、一般道…

茶木寿夫
7か月前
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サーキット走行は人生の彩り

人はサーキット走行なんかしなくても、生きていける。 でも、なぜそんなことをするのだろう・…

茶木寿夫
7か月前
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銀色の馬

■ 銀色の馬(ジャッキスタンド) 12月10日の快晴の日曜日、茨城県の筑波サーキゥットに行っ…

茶木寿夫
9か月前
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ALC物語 第8章 ~ 第17章 &あとがきに代えて

第8章 ダートトライアル1・ ダートドリフト走行の醍醐味    ALCではダートトライアル…

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茶木寿夫
10か月前

ALC物語 第1章 ALC誕生前 ~ 第7章 マレーシアでのレース開催

第1章 ALC誕生前1・ 代表者・茶木寿夫の歩み 物事は、始まる前の前段階がある。まずはそこ…

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茶木寿夫
11か月前
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レーシングカー・ガレージからの声

レーシングカーガレージへの立ち寄り ふらりと立ち寄ったレーシングカーガレージ、「オートルック レーシング ファクトリー(ARF)」 場所は、茨城県の筑波サーキットの真ん前。ガレージは年々きれいになり、発展しているのが実感できる。 レーシングカーガレージと言ってもピンと来ない人も多いと思うが、馬に例えれば、レーシングカーは競走馬、そのガレージは競走馬の厩舎、指導者は馬の調教師であり騎手であるドライバーの育成者と言えば、イメージしやすいと思う。 社長兼指導者の代表・佐藤力さ