見出し画像

ALC物語 第8章 ~ 第17章 &あとがきに代えて


第8章 ダートトライアル

1・ ダートドリフト走行の醍醐味 

 
ALCではダートトライアルとジムカーナも開催してきた。
当時モータースポーツには4ジャンルあった。それはラリー、レース、ジムカーナ、ダートトライアルの4つであるが、ALCはその全てを開催してきた。
クラブは全国に多数あれども、そのように全ジャンルを行ったクラブは極めて少ない。

モータースポーツは当時、レース、ラリー、スピード行事の3種目に分かれ、スピード行事の中で、非舗装路で行うタイムトライアルをダートトライアル、舗装路面で行うものをジムカーナと呼んだ。
ダートトライアルは略してダートラとも呼ぶが、これはラリーでダートを走る面白みの部分を独立してタイムトライアルとして行うもので、いわばラリーのSS独立版である。

昔のラリーは、一歩街を出ると国道といえどもダート(非舗装路)が当たり前の時代であり、そのダートの峠道がラリーのハイライトになっていた。ところが、舗装が年々進み、そのようなところが少なくなったので、ならば、そのダート走行の面白みを独立させてやろうとしたものだ。ゆえにダートトライアルは1970年代になってから生まれた競技だ。

ジムカーナは、舗装された広い駐車場などにパイロンで臨時コースを設定するのが一般的だが、ダートラはそのような背景から来ているので、コースは“道の形状”となっていることが多い。


ラリーの非舗装路走行が原点となったダートトライアル。
著者茶木が、ベストカーのラリー車で走行。
ナビは日本の名ナビゲーター小田切順之氏
(1978年、北軽井沢にて)

2・ 福島から岐阜まで広範囲で実施 


ALCが創立したのが1977年9月1日。そしてALCは翌1978年1月から「ALCラリーシリーズ・関東オープニングつばきラリー」を皮切りに、各種イベントの開催をしていくのだが、ダートトライアルも同じ年から開催を始めた。
イベント開催の初年度はラリーとダートトライアルの2ジャンル2本立てでスタートした。

ALCのダートトライアルは、1978年4月9日の福島県エビスサーキットでの「ALCダートトライアル」から始まった。これが記念すべき第1回となり、同年は計9回開催している。

会場は、第1回の福島県のエビス、千葉の房総、岐阜県の朴(ほお)の木平、山梨県の河口湖湖畔など、広範囲に渡った。
エビスは当時まだ舗装コースがなく、アップダウンのある約2kmのコースはスピードが出てダイナミックだった。朴の木平は、現在は駐車場もきれいに舗装されスキー国体も開催されたりしているが、当時は非舗装であり、そこにパイロンでコースを設定して行った。


ALC河口湖ダートトライアルに、女優の長谷直美さんも来場。 
指導も行った。

翌年の1979年にダートラは11回開催したから、今思えば年間4回のラリー開催に加え、ダートラ11回開催とは、よくやったものだと思う。
ALCはラリーからモータースポーツに入った背景から、ある意味でジムカーナよりもダートトライアルを開催したのは、当然だったと言えよう。

ただ、ダートトライアルの場合、問題が二つあった。

一つ目は、会場には走れる場所があるだけで、建物もなく、電話も水も何もないところがほとんどであったことだ。
今のように携帯電話もないから、外部とは連絡も取れず、タイム計測の掲示作業も車の中で行うしかなかった。
ALCが本部車としてのハイエースに机を特注して設え、強力な無線機を搭載したのも、そのためであった。


中央のグリーンの車が、ALCの本部車。
フロント部に書かれたALCロゴマークは、初期のもの。
写真は後年、筑波サーキットで撮影したもの



二つ目は、不確定要素が大きいことだった。
上手く行くも行かないも、天候次第である。晴れると砂埃に悩まされ、雨が降るとぬかるむ。これが一番悩まされる問題だった。豪雨の後は、少し乾くまでスタートを遅らせたりもした。しかしぬかるんだ泥濘の路面はそう簡単に乾くわけもなく、スタートすると次々にぬかるみにはまってスタックしてしまう。それをぬかるみから脱出させるのに、また一苦労という場面もたびたびあった。

今はダートトライアルもジムカーナも、公認された会場での開催が前提となっているが、当時は走れる会場があれば、どこででも開催できた。
しかし、何もないところで、かつ不確定要素が多い中での開催は大変であった。

ここから先は

29,544字 / 54画像

¥ 600

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?