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後ろから読む佐藤愛子著「90歳。何がめでたい」

本を読むとき、前から順に読もうが、後ろから読もうが自由だが、「素人は前から読み、玄人は後ろから読む」という言葉がある。

私は、新聞社に在籍後、雑誌の記事も書き、単行本や文庫本も発刊してもらっているから、出版業界のことはある程度分かる。だから玄人の方に入るのだろう。

今回、佐藤愛子著「90歳。何がめでたい」も、このように後ろから見てから、読むことに決めた。
それらに関連したことを書いてみたい。

後ろから読むメリット

さて玄人は何故後ろから読むかというと、本の概要と、内容の位置づけが概ね分かるからだ。つまり人間で言えば氏素性が分かることになる。

具体的には、次のようになる。
■第一段階。
先ずは本のタイトルを見てから、①巻末等にある著者プロフィールを見る。②あとがきを見る。③巻末の「奥付」を見て、いつ、どこから発行され、何回印刷しているか、初出は何か等をみる。

■第二段階。
そして本の冒頭の方に行って、①前書きを読み、②目次の大見出し、小見出しを見る。
これで著者は何を書いているのか、全容が大体わかる。

■第三段階。
大見出し、小見出しから、自分の関心がありそうなところをペラペラと見る。

私の場合、これで、読むか、読まないかを判断する。

どの本も最初のページから、一文字づつ読んでいくと疲れるし、全体像が見えない。しかし後ろから読むと、全体像を掴んでいるから、鳥の目のように俯瞰図的に「その本の位置づけ、内容、著者の人柄」を見ることが出来る。

この本の「あとがき」には、次のようなことが書いてある。
彼女は88歳の時、執筆活動を止めた。すると楽にはなるが、暇になり、日々がつまらない。のんびりと過ごしているが、その「のんびり」のお陰で、ウツ病になりかけた。
そうこうしているうちに週刊誌「女性セブン」から、連載しないかと話が来た。じゃぁ暇つぶしに書こうか・・・ということになった。ただ、週刊誌は毎週だから、それはキツイので、隔週ということで再び書き始めた。
タイトルも、ヤケクソ気味に「90歳。何がめでたい」と付けた。

ヤケクソ気味に始まった連載が、大化け


こうして2015年9月16日号から連載が始まった。執筆が進むにつれ、脳細胞はどんどん働き出す。気が付くと老人ウツ病からぬけ出していた。
連載は、2016年6月2日号までの約9カ月続いた。

これが初出(しょしゅつ)となり、それを纏めた単行本として売り出したのが今回の「「90歳。何がめでたい」である。

初出とは、字の如く、初めて世に出たことを意味する。
この本のように、単行本になる多くの場合、最初は雑誌や新聞等で連載したものを数十回分纏め、編集し直して1冊の本にする。
逆にその本の為に書いたものを「書き下ろし」という。

黒柳徹子著「窓際のトットちゃん」も、同じように雑誌掲載→単行本の経過をたどって、世に出たものである。

窓際のトットちゃんは、黒柳さんの子供の頃の出来事や心情を綴ったものだが、佐藤さんの今回の本は、円熟の人生全体の出来事や心境をスポット的に綴ったものである。

・若い女の子に騙されたドロボーの顛末では、泣き落としに引っかかってはダメだと再認識させられた。

・いたずら無言電話を逆に撃退したことの件(くだり)では、「ふ~む、なるほどその手があったか」と思い、何かの時にはその手を使おうと思った。

・テレビ番組への批判等については、「こっちの思っていることを、ズバリ言ってくれてありがとう」とも思った。

そんなことを綴った本だが、連載が終わった2か月後の2016年8月6日に初版第1刷発行となり、瞬く間に刷りを重ね、約14カ月で第20刷りまで進んだ。
印刷して売りだしたら売れた。だからまた刷る。刷ると売れる。だからさらに宣伝する。するとまた売れる。
これが繰り返され、約3週間に1回刷っていることになる。

それから約8年、今度はそれが映画にもなった。

暇つぶしとヤケクソで書いたものが売れに売れ、映画にもなるとは、「凄いことだなー」と痛感した。

さて、あなたは「前から読む派」、それとも「後ろから読む派」?

#佐藤愛子  #「90歳。何がめでたい」 

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