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【戯曲】チェンジ・パートナーズ ⑪

▼第五場E

先ほど炯介と怜が別れた、木立の向こうに浅間山が見える場所。炯介が一人で思い悩んでいると、電話が鳴る。炯介、番号表示を見て慌てる。

炯介 (かしこまって)はい、もしもし、馬場です。はい、馬場炯介です。お世話になっております。はい。はい。……はい。……え? はい。それで、わたしを? 学芸員として? 採用? 本当ですか! あ、あの、ありがとうございます! 何と言ったらいいか。……さっそく来週からですか? いえ、何も問題ございません。何をおいても駆けつけます。今日からでも大丈夫です。今ちょっと旅先ですが、一時間半もあれば伺えます。……え? 来週からでいい? 分かりました。はい。不肖馬場炯介、命燃やし尽くす覚悟で頑張らせていただきます! ……え、そんなに頑張らなくてもいい? ほどほど? はい。では、ほどほどということで。はい。よろしくお願いいたします! 失礼いたします!

炯介、電話を切り、有頂天になって飛び上がる。

炯介 やった! やったやったやったやったやった! もう誰にも失業者なんて言わせないぞ。ぼくは、学芸員になったんだ。それも、東京都現代美術館! 第一志望だったところ! はっ! はっ!

下手より七穂。佳純が遅いので様子を見に来たのだ。七穂は炯介の喜びようを見て、怪訝な顔をする。

七穂 あんた、大丈夫?
炯介 (喧嘩していたことなどすっかり忘れて)ちょっと聞いてよ!
七穂 何?
炯介 現代美術館が採用してくれるって! おれを! 採用!
七穂 え? え!
炯介 最初に採ったやつが一週間で辞めちゃったんだって。やっぱりおれの呪いが効いたんだな。(呪いを再現して)パワハラでやめろ、ミスしろ、クビになれって。
七穂 一番行きたかったところじゃん。
炯介 そうだよ! 来週から来てくれって。これでおれも学芸員だ。社会人一年生。
七穂 信じらんない。
炯介 呪いってマジ効くんだな。悪魔に感謝しなきゃ。
七穂 ……やったね。やった。やったじゃん(遅蒔きながら喜びが沸いてくる)。
炯介 そうだよ!
七穂 炯介!
炯介 七穂!

炯介と七穂、駆け寄って抱き合う。すぐに喧嘩していたことを思い出して、あっと体を離す。それから、やはり喜びを分かち合いたい気持ちが勝って、再び抱き合う。
上手より怜が現れる。炯介と七穂がしっかりと抱き合っているところを目撃して、言葉を失う。

炯介 (気づいて)あ、怜さん!

炯介、七穂を待たせて怜に駆け寄る。

炯介 聞いてください。ぼく、就職が決まったんですよ!
 え?
炯介 前に面接で落ちたところが、改めて採用したいって。ぼく、学芸員になるんです!
 あの、おめでとう……。
炯介 怜さんの言った通りですね。何が起こるか分からないって。
 彼女とも、仲直りしたんだ。
炯介 あの……(七穂とちらりと目を合わせて)、えぇ。(申し訳なさそうに)ぼく、自分の気持ちがよく分かってなかったみたいで。だから、さっきの話は……。
 分かってる。冗談だったことにしとく。
炯介 すいません。今日は楽しかったです。色々ありがとうございました。

炯介は七穂のもとへ戻り、二人で突然開けた明るい未来について語り合う。
上手から佳純が来て、怜の隣に立つ。佳純もまた、状況を見て困惑する。

佳純 ……(怜に)どうなってるんだ?
 (怜はただ黙って首を振る)
佳純 (現実を見たくなくて)別れを惜しんでるんだな。おれと七穂ちゃんが一緒に帰るからって。そうだ。切符、今のうちに交換しておこうか。
 その話はもういいの。
佳純 どうして? せっかくみんないるし――。
 見ての通りよ。
佳純 別れを惜しんでるんだろ。これが最後の別れになるんだから。このまま喧嘩別れで……。

炯介と七穂、抱き合って熱いキスをかわす。佳純は見間違いではないかと目を擦る。

佳純 ここは、幻覚を見る森的なやつか?
 そうじゃないと思う。
佳純 おれと七穂ちゃんがああなるはずだったんだ。違うのか?(怜に)どうなってるんだ。
 何が起こるか、分からない……。

七穂が佳純に気づいて、申し訳なさそうな顔で来る。

七穂 住吉さん。
佳純 (まだ少しの期待を込めて)七穂ちゃん。
七穂 お腹、大丈夫ですか?
佳純 もう平気。全部、きれいさっぱり出したから、男らしく。さっきの続き、いつでもいけるよ。かなりいいところまでいってたよね。あとほんの三十秒くれれば、きみを腰砕けにしてみせる。
七穂 ごめんなさい。
佳純 五秒でもいい。
七穂 わたし、彼と仲直りしたんです。
佳純 仲直り?
七穂 (うなずく)
佳純 おれが、トイレに行ってる間に? 下痢ピーで苦しんでいるときに?
七穂 あの、そんなつもりじゃなかったんですけど……。
佳純 おれがトイレに行ってる間は、時が止まるんだ。だから、仲直りなんてできるはずがない。
七穂 どうしたらいいか、自分に訊いてみたんです。
佳純 どうしたらいいかはおれが教えるよ。知ってるんだ、どうすればいいかは。
七穂 わたし、やっぱり彼のことが好きみたい。
佳純 七穂ちゃんは……(二の句が継げない)。
七穂 ごめんなさい。
佳純 そうなの?
七穂 (うなずいて)だから……。(と言い淀む。それから怜に)あの、一瞬だけ、許してください。
 え?

七穂、佳純にすっと近寄って頬にキスをする。
佳純、驚いて目を丸くする。怜と炯介もそれぞれ驚く。

七穂 わたしたちには軽井沢の思い出があるってことで。カノジョさん、幸せにしてあげてください。(怜に)ごめんなさい。
 (何とも答えようがない)
七穂 あの、じゃあここで。さようなら。
 あ。
七穂 え?
 車のキーだけ。
七穂 あ、そうですね。

怜、ポケットから車のキーを出し、七穂に渡す。
七穂、頭を下げて炯介のもとへ戻る。炯介は何か文句を言おうとする。

七穂 (手を上げてそれを制して)何も言わないで。

炯介は不服そうに佳純を睨む。

七穂 ほら、行こ。

七穂は手を差し出す。炯介はその手を取る。二人は下手に退場。
佳純と怜、それぞれフラれたような惨めな気持ちで取り残される。

佳純 (キスされた頬に手を当てて、言い訳するように)かわいいもんだよな。
 怒ってないから。
佳純 でも、どうして……(まだ展開についていけず)。
 就職が決まったんだって。
佳純 あいつが? ……それだけ?
 そうみたい。
佳純 あ、そう。内定ゲットしたんだ。……めでたい話があるのは、いいことだな。……そうなんだ。……あ、そう。

佳純も怜も、しばし途方に暮れる。

 どうしようか。
佳純 土産、買うんじゃなかったっけ。
 そうだ、今何時?
佳純 (時計を見て)四時十五分。車返して、買い物して。新幹線の時間にはちょうどいいかな。
 だね。行こっか。
佳純 あぁ。

そのとき、佳純の携帯が鳴る。

佳純 (着信を見て)担当さんだ。ちょっとごめん(怜に断って電話に出る)。はい、住吉です。ども、おつかれさまです。どうかしましたか? 大丈夫ですよ。まさか、また直しじゃないでしょうね?(軽口を言って笑う) え? それならいいですけど。なんですか、もったいぶって。……はぁはぁ。……はぁ。……はぁ(相手の話を聞いているうちに次第に表情が曇る)。……どういうことですか? え? いやいやいや、そんなの今更無理ですよ。だって、半年以上もかかってる仕事じゃないですか。

怜も次第に心配になってきて、成り行きを見守る。

佳純 だから、そちらの意向に沿って何回も描き直したんじゃないですか。(次第に声を荒げる)途中で体壊して入院までしてるんですよ。ギャラは三分の一もらえるって、約束してただけいただかないと困りますよ。こっちだってそのつもりで他の仕事セーブしてやってるんですから。編集長が代わったって、そんなこと言われても納得できませんよ。それはそちらの事情じゃないですか。……ぼくが悪いわけじゃないなんて、そんなの分かってます。もう九割九分終わってるんですよ? 今更それはないでしょう。(はっと気づいて)もしかして、シリーズの続きも? ダメってこと? ……なかったことに。(だんだんすがるような調子になってくる)どうして急にこんな……、どうにかならないんですか? いくらなんでもひどすぎるでしょ。ぼくの絵は一枚も使われないんですか? ただの一枚も? あんなに描いたのに?

傍らで聞いている怜も居たたまれない気持ちになる。

佳純 ……(がっくりと落ち込んで)そうですか。……また何か機会があったら。……えぇ、えぇ、はい。……いえ、いいです。大丈夫ですから。……はい。……どうも(力なく電話を切る)
 よっしー。
佳純 ……。
 ……。
佳純 あの本、絵はやめて全部写真にするって。新しい編集長の鶴の一声でそう決まったんだと。どうせ、使いたいカメラマンでもいるんだろ、若い女の。
 そんな……。ひどい。
佳純 もう決定。おれは約束の三分の一のギャラもらってお払い箱。シリーズの続きの話もなし。
 そんなの、ひどすぎるよ。
佳純 もちろんひどいさ。どうせこうなるって分かってたんだ。苦労だけして何にもなし。いつもそうだ。……ギャラ、三分の一か。何にもないよりましだな。……(少しの間無言になって、そして突然)やめた! 今度こそホントにやめる。三分の一は退職金。
 よっしー。
佳純 今度こそ絶対にやめる。やめやめやめ、もうやめ! やめた!
 ダメよ。やめてどうするの。
佳純 他の仕事探す。ちゃんと働いた分だけ金になる仕事。棚の組み立てでもいい。やった分だけお金になるし、作った棚はちゃんと使われるし。その方がずっといい。
 また好きな絵を描けばいいじゃない。よっしーの本当に描きたい絵。たくさん描いて、それで個展やろうよ。ずっとやりたかったんでしょ。
佳純 売れないよ、そんなことやっても。
 絵を見て、気に入った人が声かけてくれるかもしれないし。
佳純 そんな――。それにすぐ描けるわけじゃないし。その間、収入とかどうするんだよ。
 わたしが何とかする。
佳純 何とかって。
 働くし、一緒に頑張ろうよ。
佳純 きみのお父さんが喜ばないだろうな。
 そんなの関係ない。続けてれば、きっとそのうちいいこともあるから。
佳純 散々こんな目に遭ったあとで?
 お願いだから、やめるなんて言わないで。
佳純 (少し折れて、しかし気力のない声で)……好きな絵っていったって、何を描いたらいいんだか。
 ゆっくり探せばいいじゃない。
佳純 しばらく何もしたくない。
 ちょっと休めばいいよ。この旅行にだって気分転換で来たんでしょ?
佳純 そうだった。……なんてひどい旅なんだ。
 (思わず笑って)でも、みんな、いい思い出になるよ。
佳純 今日のことが?
 きっとそのうち。そしたら、絵にしたっていいし。
佳純 あぁ。そうだな。

怜、佳純の身体に手を回して、二人で下手に向かう。

佳純 いいところで下痢したんだ、あのソフトクリームのせいで。帰る前にあいつに文句言ってやりたいよ。山内くんに。
 そうね。……いいところって?
佳純 それは……。何でもない、もう終わったこと。あいつ、用賀に住んでるんだって。
 誰が?
佳純 山内くん。
 すぐ近くじゃない。
佳純 うん。あいつが東京に戻ってきたら文句を言いに行こう。 
 そうだね。

二人、話しながら下手に退場する。


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