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どんな一滴を注ぎ続けるか(世界の中に、自分の中に)

庭仕事をして良い汗かいて早めのお風呂。生きているなあって感じます♨
それがまた夕方なもんで、湯舟でひぐらしの声に包まれて。

季節を感じる。草花に目を留める。鳥や虫に耳を澄ます。昨日とは違う空を見上げる。
そうした味わいを楽しめるようになってきて、年齢を重ねるとは美味しい経験だなとしみじみします🍚

やっぱりどこでも空はきれいで良い人がいて、花鳥風月に心をほぐしてもらうのですね。

見渡せばそんなことばかり。日々というのは良いものですね🔍
僕の日々も、だからきっとあなたの日々も。


さすが信州。この時季も朝夕は涼しい風に吹かれて「気持ち良い〜」と声が出ます🎐
リモートワーク2つとローカル仕事の複業で、ゆったりゆったり暮らしてます。

「熱中」が無くても僕は案外OKみたい。

アドレナリン的な瞬間風速はその後に疲れが出る。
今は毎日なにかしら淡々とやって、アップダウンなく安定して幸せ🏡

毎日が日曜日。あるいは日曜日がなくても平気。

幸せと言える今は楽しいし、幸せを目指してアレコレ苦労と実験を重ねる過程も楽しかった。
自分らしくいるための自分らしい実験を重ねていたら、それが馴染んで自分になってきたのです。


歴史があって今があるから、世界も僕もあなただって、慣性の法則の中にいる。

性格だってクセだって、経済成長させたい気持ちや環境問題だって、積み重ねで勢いづいた慣性といえる。

小学1年生だって人生6年の歴史をもっていて、たまたま担任した僕が「変えよう」なんて変な話でもありますね。

一度でガラリと人生が変わる授業より、これを続けたら確実に良くなるよって一回。それを一年続けること。

ワタクシそう考えるようになりました🏫

一滴を注ぎ続けるしかないのです。
世界にも、自分にも。

じゃあどんな一滴を注ぎ続けましょうかね🍷
ささやかで小さなこの毎日こそが人生ですから。


「話を聴いてもらいたい」より、もっと正確には「自分の内をとつとつ・ぽつぽつ語らせてほしい」な気がしました。

僕の調子が落ちるのは「分からない」ときで、分からなくなったから落ちるとも言える。
色々なことに迷いが生じて、アレコレぐるぐる、モヤモヤ曇りですっきりしない💭

そんなのが三日続いたある晩、お風呂に入る前の布団にごろごろしながら、頭の中にあることをとつとつ・ぽつぽつ言葉にさせてもらったのです。

それは「話す」というより「聴いてもらう」というより、独り言を語らせてもらう感じ。
頭の中を出させてもらう。話すこと自体が考えること。
気がかりがあるときの曇り空が、全て出してみると晴れていく。晴れると気持ちが前を向く🌞

「一人に留まるためのコミュニティ」って大事なんでしょうね。面白い。

たとえば「ワクワクから始めよう」と聞いても、
自分には当てはまらないかもしれない、こんなの自分の場合だけかもしれない、言葉の定義が違うかもしれない…
とアレコレ常に考えてしまうのが僕。

だからこそ世界に注ぎ続けられる一滴は、僕の場合は
「誰も答えを持っていない平等さで真理を一緒に探す」とか「そう気持ちが固まるまでの時熟を受け入れる」ことなのだろうと思います。

穏やかに、穏やかに。
その一滴を注ぎ続ければ、世界も自分もその方に向いてくるのです🍷

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毎日の日記も続けて3年になりました。
暮らしのできごと、考えたこと思ったこと、こう考えれば良いかも…

それを暮らしのエッセイとして連載したい。
そう思うようになりました。

日々の中に、自分の中に、こんなにもたくさん感じられるものがある。
僕らの日々こそ、それだけですごいのです。
なるべく感じきりたくて、日記を書いています。

大したことなくて、わざわざ話すほどでもなくて、SNSにも載らなくて、
仕事や新しい取り組みの眩しさに負けがちだけど、本当は話したいこと。
自分しか自分のすべてを知らない孤独。
それを交わせたら、とずっと思っています。

返信しなくて良い交換日記のような、いっしょにいるから言える独り言のような。
人には言えるけど自分にはかけてあげられない優しい言葉のような。

今週の日記から一つとりあげて書く週刊エッセイ。まずnoteに書いてみます。

よければお付き合いくださいませ。

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