沈黙は金曜日。ようやく気持ち的な整理もついた。オフラインで稼動していたパソコンが昨日御臨終致しました。当面、かな打ちとマルチタスクは出来そうにないから寂しいな。なかなか成果は芳しくないけれど、今日も今日とて。明日がやってくるだけ幸せだ。

多少なりとも寂しいな、はあるので意識的に入れてもいますが、
看板は掲げない記事になります。

ようやく覚悟はある程度決めて、御褒美に近い「KAORU」も炭酸と
共に購入してきた。なかなか成果は芳しくないけれど、今日も今日とて。
明日がやってくるだけ幸せだ。


 といふ段階も越えてようやく気持ち的な整理もついた。
オフラインで稼動していたパソコンが昨日御臨終致しました。
 まあ主にデータ移動のハブとして使っていただけにどう
補うか(まあタブレット端末は稼動してるのでハブかOTG
を購入して補うことにはなるだろう)選択肢はいろいろある
けれども。

 まあともあれ当面かな打ちとマルチタスクは出来そうにないので、
自家製の写真やデータに関しては塩漬けにするしか
ないのは画定ですが。

やっとかな打ちが芥川賞を獲る時代になったのかと。~受賞者のコラムで気を引いたのは~|torov

 覚悟して御褒美に近い「KAORU」はソーダ割りにして呑んだ。少し眠ったけど、もう少し今日は寝て体制を調えるかな。

 そして再び起きたのでたまには自分も宥められるような現代詩
でも持ってくる。


 自分のかつて作った詩でも良かったが、セレクトとしては
やはり谷川俊太郎かな、と。

皺くちゃ
谷川俊太郎

一緒に年取ってきたものがよくなってくる
いま使っているこの飯茶碗ひとつだってそうだ
子どものころから馴染んでいる平凡な染め付け
忘れ難い思い出がある訳ではない
ただ見慣れているだけ使いつけているだけ

両親の家を出て真新しい四畳半に住んだころ
何から何まで新しくもちろん女まで新しく嬉しかった
だがいまは黴くさいものが懐かしい
二歳になった孫娘だけは別だが

ひとに若いと言われると嬉しくないこともないが
腹立たしい気にもなる
モーツァルトだって年は食ったはずなのに
ぼくはいまだに年を食い足りていない

詩を皺くちゃにしなくっちゃと思う
せめてそれがゴミになる前に

初出は『文學界』(文藝春秋)の1994.1かと。
ネットでも出てきてる記事は探し当てられなかったので、
当時のノートから引き移してみました。
詩集としては「真っ白でいるよりも」に所収されているかと。



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