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映画「ラストレター」(岩井俊二) “戻らない時間”についての3つの考察

岩井俊二監督の長編映画作品「ラストレター」(2020年)を鑑賞して、この映画は“戻らない時間”についての物語なのだと感じた。その点について、印象深かった3つのことを記録しておく。(以下ネタバレあり)

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1、“輪廻”

映画「ラストレター」は美しい。そして静かだ。
中でも一番美しいと感じたシーンは、廃校となった母校を乙坂鏡史郎(福山雅治)が数十年ぶりに歩いていると、高校生の頃の姿のままの遠野未咲(広瀬すず)の幻を、廊下のガラスの向こう側に見つけ、信じられないと思いつつ転げそうになりながら追いかけるシーン。それは実は“未咲の娘”で、亡くなったはずの未咲が生きていたのかと勘違いをして、タイムスリップしたような錯覚を覚える。その“見まちがい”に特別目新しさがあるわけではないけれど、息を切らせて追いついた時の、廊下の先の十字路に立つ鮎美と颯香(広瀬すずと森七菜)、そのワンピース姿のふたりはまるで蜃気楼のように美しい。幻想的で、狐につつまれたような気持ちになっても自然と思う。木漏れ日。風に揺れる裾。大きな犬。

時間は決して戻りはしない。亡くなった人は還らない。初恋だった美しい少女は、数ヶ月前に亡くなっていたと知ったのに、その死んだ少女が、あの日のままの姿で、犬を連れて散歩をしていた。人違いではあっても、それはもう、時を遡った事と変わらない出来事と僕は思う。“輪廻のようなもの”だと思う。遠野未咲は決して死んで消えてしまってはいない。そこに、形を変えて生きている。

乙坂鏡史郎(福山雅治)は別れ際、2人の少女をカメラにおさめる。時を止めてみせる。彼女たちはそこから年齢をストップする。写真の世界のなかで。

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2、“幾夜も想像する”

いくつかの重要なシーンが、この映画作品の中で映像にはなされていない事に気づく。“大学生時代の遠野未咲”と、“大人になったあとの遠野未咲”だ。写真もほとんど残っていないそうで、“遺影”でさえも高校生の頃の写真を使っている。

あんなに美しく聡明だった彼女は、どんな表情をして、何度も手首を切り、命を絶ったのか。

娘もすくすくと育っていて(多少の影を抱えてはいるものの)賢く社交的だし、妹の遠野裕里(松たか子)も明るく元気。そんなまわりの人たちとどう接しながら、晩年、暮らしていたのだろう。そのあたりのことについては、誰も言及はしない。とはいえ“言ってはいけない”というピリピリ感も特にはないので、ごく自然と誰も口にしないだけだ。
岩井俊二は、観客の想像力にゆだねている。“十人十色の自由な想像でかまわない”と言うように、ほとんど情報を与えずに。高校時代から死のあいだには時間の空白があり、そこには阿藤(豊川悦司)がいたことくらいしかわからない。

“高校生の頃の遠野未咲”は、いつもマスクをつけていて、転校生の乙坂鏡史郎(神木隆之介)は未咲の素顔が気になって仕方がない。妹に自宅にある写真を見せてもらうことにするが、写りが悪くてよくわからない。

このエピソードは、“大人になったあとの遠野未咲”のメタファーだと思う。
乙坂は幾夜も、マスクに隠れた未咲の素顔を想像したことだろう。現代の乙坂も、大人になったあとの未咲のことを、これから幾夜も考えるだろう。

ただ、“どちらの未咲”も、べつに隠そう隠そうとして隠しているわけでもないから、“大人になった未咲”にもし会えていたとしたら、きっと特別なことはなにもなくてごく普通に暮らしていたんだよと、そういうことなのかもしれない。
それはまるで、挨拶をする時に、“マスクをはずす程度”の自然さで。はかなげに、ニコリと微笑んで。

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“映像にしないから”こそ、印象に残る。
どのように暮らしていたんだろうと、想像をする。そこにもういない人のことを想う。

3、“手紙”

過ぎ去った時間は二度とは戻らない。やり直しはきかない。だからこそそこには哀愁があり郷愁がうまれる。

この物語にはたくさんの「手紙」が登場する。
「手紙」という“装置”をはさむことで、すでに亡くなってしまった人と会話をするという体験を登場人物にさせてみせる。

“妹”が姉のフリをして手紙を書いたり、“娘たち”が母のフリをして手紙の返事を書いたりする。

乙坂のもとには未咲からの手紙が届く。そして乙坂は返事を送る、実家の住所に。「生きている」と「亡くなっている」の境目はどこにあるのだろうと鑑賞者は考えさせられる。もちろん“物質的な死”が境界線の真実ではあるのだが、実はそれとは別に“死んだあとでも生きている死”みたいなものもあるのかもしれない、と。劇中のセリフの中にも、こう出てくる。
「想う人がこの世にひとりでも生きている限り、“その人”はまだ生きているんだよ」。

それをより、可視化したメタファーのような形で表現されたのがこの“文通”なのだろうと思う。
ラストレターは、これからも届き続ける。
その人を想う人がひとりでも生きている限り。

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(おわり)

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