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ユーラシア大陸横断日記23 世界の半分、イスファハン(イラン)

ユーラシア大陸を西へ西へ、中国の上海からポルトガルのロカ岬まで。
陸路・海路でユーラシア大陸を横断した、ユーラシア大陸横断(2008)の記録です。

テヘランからバスでイスファハンに移動し、定番のお宿アミールカビールにチェックイン。ひと休みして散歩に出かけます。

前回はこちらです ↓

イスファハンを歩く

夜行バスがイスファハンに到着したのは早朝だった。
旅人たちの定番の宿、アミールカビールにチェックイン。

チェックインの際宿の主人と話をすると、日本人は最近全然来ないね、ということだった。

沢木耕太郎さんの深夜特急から起こったヒッピーブームで、イランも一時は日本から来たバックパッカーたちで溢れていたらしいのだが、今はもうそんな日本人もめっきり減ってしまっていた。

たしかにドミトリーは各国からの旅行者でいっぱいだったが、日本人は1人もいなかった。

ただ主人の話からするに結構歴史のある宿のようで、パッカーたちにはイスファハンの定番宿なのだろう。

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自分が到着したのはちょうどラマダン明けの日。

この日は各地で盛大にお祝いが行われるらしく、イスファハンのイマーム広場もそうだった。

ラマダン明けのお祝いをイマーム広場でみてみたい、と思ってはいたけれど、移動ですっかり疲れ「ラマダン明けはまた今度、、今は寝る…」と部屋に入るやそのまま寝てしまった。

今思えばものすごく残念…

ラマダン明けのお祝いなんてそうそう経験できるものでもないし、がんばって広場に行けばよかった…なぜ寝てしまったのか、、(そのときの自分はそうしたかったのだからしょうがないかとは思いつつ)

2時間~3時間ほど寝たのだろうか、ゆるりと起きて準備を整え、街を歩いてみることにした。

イスファハンの街

テヘランではなんだかんだ慌ただしかったけど、ここでは数日余裕があったのでゆっくりできた。

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ぶらぶらと散歩に出かけると、あちこちから

「ハロー!ジャポン?」

と大きな声で声がかかる。

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本当にあちらこちらから声がかかる。テヘランもそうだったけど、みんなとてもおおらかでやさしい。

「サラーム(こんにちは) イエス! ジャポン!」

とこちらも街中で大きな声で返事をする。
ちょっと恥ずかしいけれど、歓迎してくれているのがとてもうれしい。

イマーム広場

イスファハンは、かつてのサファヴィー朝の都。

1598年、カズウィーンからイスファハンに遷都したアッバース1世は、ここイスファハンの中心としてイマーム広場(王の広場)を建設した。

アッバーズ1世のもとでサファヴィー朝は最盛期を迎え、首都イスファハンは「世界の半分」とよばれるほどに繁栄したのだった。

そんな歴史的な場所であるイスファハン。
今も残るイマーム広場にはずっと行きたかった。

アミールカビールからイマーム広場は歩いていける距離。
街を散策しながら、イマーム広場へと向かう。

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イマーム広場はまあとんでもなく広く、四角く囲われた広場の中にはモスクや宮殿、大きな市場がならんでいてどこまで続いているのかわからない。

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近づいてみると、ブルーのタイルが青空に映えて驚くほど美しい。

沢木耕太郎さんが、深夜特急の中で「青い風が吹く」と表現したのもわかる気がする。

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わずか50円の入場券を買って王のモスクに入ってみると、何人かが昼寝をしているだけであとは自分1人だけ。

誰もいない、しんとしたモスクの中を歩くと「こつーんこつーん」と靴の音が、写真を撮ると「カシャッ」というシャッターの音がドームに反響して何重にも響いてくる。

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世界の半分といわれていたとき、ここはどれほどにぎわっていたのだろうかと、自分の音だけが響く静まり返ったモスクを歩きながら思った。

静かなモスクの中と打って変わって、広場を取り囲む長方形の回廊には市場が広がっていてとても賑やか。

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バックパッカーなので荷物を増やせないし、お土産を買うことはないのだけれど、歩いているだけでも楽しい。ウィンドウショッピングを堪能させてもらった。

こちらに続きます ↓


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