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8月21日 「合理的思考」と「感情移入」は相容れない

 ふと思いついたこと。
 「合理的思考」と「感情移入」は相容れない意識なんじゃないか……説。

 実家でご飯を食べていたときの話。

 私の味噌汁から、イモムシが出てきたことがある。イモムシは煮込まれていたので、死んでいたわけだけど、茶色く濁った底の方からイモムシが浮き上がってくる様子に、私は気持ち悪くなってその味噌汁を飲まずに捨ててしまった。
 ところが、私の家族は誰も気にもしなかった。
 家族に言わせれば、「別に取り除けばいいじゃないか」。むしろ「もったいない」だった。
 イモムシが一匹鍋の中に混じっていたとしても、それで味噌汁の味や栄養が変わるわけではない。味噌汁としての「本質」は変わらないわけだから、取り除いて飲み干しちゃえばいいじゃないか。なんで飲まないんだ……? という調子だった。

 これが「合理的思考」。
 私の家族の言うことは、合理的には合っている。

 しかし現実問題として、自分の汁椀の中にイモムシが入っていたら、誰だってその瞬間気持ち悪くなり、それ以上食べようという気にならなくなるはずだ。
 私の家族には、その「想像力」が欠落していた。イモムシは1匹だけとは限らない。他の汁椀の中に隠れているかも知れない……とは誰も考えなかった。何も気にせず、何も考えず、いつもの調子でズルズル飲んでいた。
 正直なところ、私はその思考回路が信じられなかったのだが……。
 でも、私の家族はそのように「想像」してみる人が一人もいなかった。

 ここで考えられるのは「合理的思考」と「感情移入」は基本的には両立しない……ということ。

 合理的思考で考えると、「別に」「○○すればいいじゃん」「なんであの人は、簡単にわかるようなことをやらないんだろう」ということになる。
 感情移入で考えると、「大変だ」「自分の同じ目に遭ったらたまらない」ということになる。
 この二つの思考が、同時に一人の人間の中に宿ることはない。
 私の話を聞いて、イモムシ入り味噌汁を捨てて「もったない」「食べ物を無駄にするな」としか考えなかった人は、「合理的思考」タイプの人だ。

 それで思うのは、現代人のほとんどは、「合理的思考」で物事を考える癖が身に付いているように思える。
 ニュースサイトのコメントには「なんでこんなこともわからないんだ?」「誰だってすぐにわかるのに、バカなのか」というコメントがずらーっと並ぶ。一人として「自分も同じ目に遭うかも知れない……気を付けよう」なんて書いたりはしない(ネットはマウント社会だから、そんなふうに弱みを見せた瞬間、「それ!」とばかりに叩かれるから……という側面もある)。そういう局面に陥ったとき、自分も同じような目に遭うかも知れない……と想像できる人が、現代人の中に致命的なほどに減っているのだ。

 ではどうしてそういうタイプの人間が減ったのか?
 それはおそらく、「現実体験」の経験が減ったからだろう。現実体験が減って、ほとんどがネットのみの情報になってしまった。これが現代人の危ういところだろう。
 例えばニュースサイトで見るような事件や事象は、自分が当事者ではない。第三者の立場だ。当事者ではないから、事件に対して一定以上の距離感がある。もう一つ言えば、自分は「安全圏」で事件を見ている立場である。
 そうした「安全圏」の立場から「事件」を見ると、どんなものでも「なんでこんなことで?」となる。
 実際の事件と遭遇したときと、客観的に事件を見たときとでは、感覚が違う……という摺り合わせが意識の中でできないのだ。
 ほとんどの人が、それほど大きな事件に遭遇したこともないから、そういうときどんな心理に陥るか想像も想定もできないのかも知れない。
 最初の私の体験話にも繋がるが、「致命的な想像力のなさ」も、合理的に考える習性に絡んでくる。

 事件の当事者になったことがあるかないかでは、意識の中で大きな差が生じる。
 事件の当事者になると、同情的な視点で事件を見ることができる。「ああ、あれは大変なんだよな……」と。
(例えばアニメの制作を一度経験すると、少々の作画の乱れくらいで「作画崩壊だ!」と言って大騒ぎすることはなくなる。「まあそういうこともあるさ」と考えるようになる。私の場合、作画が良いときは褒めるけど、作画が良くないときは何も言わないというスタンス)
 事件の当事者ではない人は、「なんであの程度で?」と考える。
 ニュースサイトに積極的にコメントしたがるタイプのほとんどが、後者のタイプだ。

 脳内でシミュレーションしたものなら、いつだって完璧なアンサーを出せる。それは当たり前。
 でも現実の世界で、シミュレーション通りのものをいつでも出せるか……というと、そんなわけはない。現実の事件に遭遇したら、まずどんな人でもパニックになる。シミュレーション通り冷静に考えて対処できる人なんて、いるわけがない。
(例えば自分の好きなアイドルと会ったとき、あらかじめ言おうと思ったことをその通りに言えるか……というとなかなかそういうわけにはいかない。まず頭の中が真っ白になる。アイドル現場を経験した人なら、誰もが覚えがあるはずだ。要するに、あらゆる事件に遭遇したとき、そういうことが起きるわけだ)
 これが現代人がわからなくなっていること。そして、この先の世代では、この感覚がどんどんわからなくなっていくだろう(すでにネット掲示板に書かれていることだけを見て、世の中について知ったつもりの人も結構いるし)。ネット情報でしか現実を知らないから、現実体験は減っていき、想像力は弱くなっていく。

 現実体験がなく、脳内シミュレーションばかりやって、自分はそこそこ頭が良いぞ……と思い込む未来人……。これ、ちょっと物語のネタに使えそうだね。
 「未来人は感情移入ができない」……SFネタに使おう。

つづき!


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