見出し画像

映画感想 ジュラシック・ワールド3 新たなる支配者

 これにてシリーズ終結……かなぁ?

 『ジュラシックパーク』といえばご存じの通り「CGの恐竜」が映画のなかに初めて登場させ、映画表現を根本的に変えてしまった名作。それを引き継いだ新シリーズが『ジュラシック・ワールド』。その『ジュラシック・ワールド』も本作で最終作となる。
 劇場公開は2022年。本当は2021年にはすでに完成し、公開される予定だったのだけど、コロナウィルスで1年延期になった作品だ。
 監督は『ジュラシック・ワールド』第1作目を担当したコリン・トレヴォロウが本作に戻ってくる。これは前作があまり良くなかったから……それで制作総指揮のスティーブン・スピルバーグによって引き戻されたということらしい。第2作目の監督はシリーズ完結編のプランを持っていなかったらしく、そこで最初から完結編のプランを持っていたコリン・トレヴォロウ監督のほうが相応しい……ということになったようだ。
 出演はこれまでの『ジュラシック・ワールド』シリーズの登場人物はほぼ勢揃い、さらに『ジュラシックパーク』のメインキャラクターも登場し、新旧出演者が顔合わせする……という内容になっている。
 興行収入は貫禄の100億ドル。同時期公開されていた映画は『エルヴィス』『トップガン マーヴェリック』。大ヒット作が並ぶ中で堂々の興行成績を稼ぎ出す。
 しかし評価は芳しくなく、映画批評集積サイトRotten Tomatoesによれば平均点4.8。Metacriticでは59点とかなり低め。女性映画ジャーナリストが主催する映画賞である第16回EDA賞では「最も時間を浪費させるリメイク・続編賞」という不名誉な賞に選出されてしまう。他にもゴールデンラズベリー賞では最低女優賞、最低リメイク賞、最悪脚本賞にノミネートされる。バラエティレビューによれば「シリーズ史上、もっともつまらない作品」と評される。ただしPostTrakを見ると、一般観客スコアは73%の肯定評価と大衆人気葉のある作品である。

 とりあえず、前半のストーリーを見てみましょう。


 イスラ・ヌブラル島が沈没し、島の恐竜たちがアメリカに放たれてから4年――世界は大きく変わっていた。日常世界のすぐ側に恐竜たちがいる。その恐竜たちに人間のコミュニティは猛烈な勢いで浸食されようとしていた。人間の社会も生態系も、新たな社会へ向けて再構築しようとしていた。
 こうした状況を受けて、米国議会は恐竜の保護権を巨大企業バイオシンに委ねることにした。イタリアのドロミーティ山脈に恐竜を集め、保護し、その遺伝子を研究する企業だ。その研究を人々に役立てよう……というのがバイオシンの理念だった。

 シエラネバダのとある山の中。そこに、メイジー・ロックウェルが匿われていた。メイジーはクローン技術で作られた少女で、世界中の研究所が行方を追っていた。そんなメイジーをオーウェンとクレアが面倒を見ていたのだが、メイジーも14歳……思春期の最中で、自由を求めていた。
 安息の日々は、突然終わりがやってくる。密猟者がメイジーの潜伏地に気付いたのだ。密猟者達はシエラネバダの山小屋を襲撃し、メイジーを誘拐。ついでに山の中で暮らしていたラプトルの子供も連れ去ってしまう。
 メイジー救出のために、オーウェンとクレアはCIAにいる旧友を頼り、密猟者達を追ってマルタへと向かうことになった。

 同じ頃、テキサス州の農場に巨大イナゴが出現する事件が起きていた。しかし「恐竜問題」が手一杯の役所は巨大イナゴ問題を無視。そこで古生物学者のエリー・サトラーが調査にやってきたのだった。
 農場へ行くと、農産物の大半がイナゴに食い荒らされていた。しかしお隣の農場は無事……。「あの農場と同じ種を使っているの?」と尋ねると「いいえ。あっちはバイオシンの種よ」と答えが返ってくるのだった。
 エリーはユタ州の恐竜発掘現場へ行き、旧友アラン・グラントを尋ねる。アランに農場で捕獲された巨大イナゴを見せる。専門家が見ても間違いなく白亜紀時代のイナゴだ。バイオシンがなにか企んでいるらしい……。バイオシンにはイアン・マルコムが講師として招待されており、そのツテを頼って入ることができる。エリーはアランに、バイオシンがいったいどんな研究をやっているのか、突き止めてやろう……と誘いかけるのだった。


 ここまででざっくり30分。
 ……お話しが始まらない。前半30分、登場人物の設定説明の場面がえんえん続き、事件がほとんど何も起こらない。登場人物が多すぎるゆえに、物語進行が重くなってしまっている。
 ここをくぐり抜けると楽しい展開が待っているのだけど……なかなかそこまで行き着かないのがこの作品の難しいところ。

 今回の悪役はバイオシンCEO、ルイス・ドジスン。ルイス・ドジスン……この名前って『不思議な国のアリス』の作者ルイス・キャロルとチャーチル・ラトウィジ・ドジスンを掛け合わせた名前だよなぁ? どうしてこの名前にしたんだろう。特にこの人物とルイス・キャロルが関係していそうなところなんてなさそうだけど……。

 それはさておき、前作のラストで恐竜たちがアメリカに放たれてしまったことにより、社会情勢は大きく変わってしまった。日常風景のなかに恐竜がいる。大型恐竜は捕獲され、国立公園などに移されたものの、その手から逃れた恐竜たちが野生化し、人間社会のすぐ側で生活するようになった。裏社会では恐竜たちを独自に捕獲し、繁殖させ、密輸や密売などが盛んに行われている。新たな社会に向けて、世の中は大きく変わろうとしていた。
 今までの『ジュラシックパーク』だと舞台はいつも密林……。いかにも「恐竜がいそう」という背景だったが、今作でついにアメリカの日常世界に恐竜が放たれてしまう。ごく普通の風景の中に恐竜がいる……今までありそうでなかった映像を見るのが楽しい。日常でありながら異世界……という風景が展開されている。
 プロローグ映像でその現状が語られたが……実は本編中では恐竜はそこまで日常風景の中には出てこない。プロローグのニュース映像がなかなか面白く作れていて、あそこでワクワク感が高まったんだけどな……。
 ともかくも今までと違って、世界中のあらゆる場所が舞台となって描かれている。すでに終了になってしまったようだが、公式サイトでは世界中に出没している恐竜の映像が公開されていた。そのなかには日本の映像もあって、日本の観光名所を背景に恐竜が生活している姿が描かれていた。
 舞台がワールドワイドになれば登場してくる恐竜たちも多い。種類、数、ともにシリーズ随一。ただ登場数が多いだけにCGのクオリティにやや差があるように感じられる。シーンによっては妙に合成っぽいな……という印象のあるところも。
 アニマトロニクスも多い。俳優が直接手を触れる恐竜がアニマトロニクス。手を触れないのがCG恐竜。アニマトロニクスもクオリティが上がっていて、CG恐竜との区別が容易に付かない。CGだと思って見てたらアニマトロニクスだった……という場面がいくつもあった。
 ただこっちもシーンによってクオリティにバラツキがあったかな。トリケラトプスの子供とか、いかにもアニマトロニクス……という感じだった。

 お話しの展開が遅い……というほかにも引っ掛かりどころがあって、画面が単調。ルックがぜんぜん映画っぽくないんだ。なんだかテレビドラマみたいだな……最近のテレビドラマは高品質化が進んだから、テレビより印象は貧相かも。
 上に掲げた場面はアラン・グラント登場シーン。恐竜発掘現場にアランが出てきて、いきなり学者らしく語り出す……というわかりやすい登場シーンだけど、よく見ると左手にいるお嬢さんたちは話を聞いてない。発掘現場にやってきた観光客で、特に学術的な興味のない子……ということのようだけど、そういう設定のおかげでなんとなくシーンが決まらない。どこか間抜けなイメージになっている。
 この後、エリーが訪ねてきて、お茶を飲みながら対話シーンに入っていく。対話シーンに見せかけたキャラ紹介シーンだ。これがなくてはならないシーン……といのうのは理解できるのだけど、おかげでお話しの進行が遅くなる。
 物語というのは「設定解説」の場面に入ると「物語展開」が止まってしまう。設定解説の場面はだいたいにおいてつまらない……が、なくてはならない。ここをどのように見せるか、が映像で語る映画監督の腕の見せ所……というところだけど。あまりうまくいっているように見えない。

 そんななか、新キャラクターも登場するのだけど……こっちは掘り下げが弱い。何者なのかわからないし、どうして協力してくれるのかもわからない。なんとなく登場してきて、なぜか主人公達に最初から協力的な態度で接してくれる。
 で、あなたはいったい何者なの?
 引っ掛かるけど、すでにメインキャラの掘り下げで結構時間を使っているので、このキャラクターの背景や心理的動機まで語り始めるとまたさらに時間を使ってしまう。たぶん、設定はあったのだろう。でもそれが作品の中に出てこないから、中途半端なキャラクターになってしまっている。最後まで「お前誰なんだよ」感が抜けない。

 デイジーが誘拐されて、その後を追ってマルタへやってくる。今作は世界中をロケで飛び回っている。こうして見ると、今回はどこかスパイ映画っぽい雰囲気が漂っている。
 でもこのシーンを見て……あれ? おかしいぞ。これセット撮影じゃないか?
 後でWikipediaを見ると正解。メインキャストはマルタへ行けなかったので、現地シーンのロケはスタントマンが演じている。メインキャストが顔を出す場面はセット撮影や、スクリーン合成となっている。

 画面中央で双眼鏡を手に様子を見ているオーウェン。これもスタントマン。
 カメラが近付いてクローズアップになると、スクリーン合成になる。違いを意識して見てみよう。

 映画が始まってから50分を過ぎてようやくアクションシーンが入る。この辺りでやっと物語が動き始める。お話しが面白くなるのはこの辺りから。
 アクションシーンもメインキャストが現地へ行けなかったため、マルタの街が見える場面はスタントマン。顔が見える場面はセット撮影やスクリーン撮影……ということになっている。オーウェンが恐竜に追いかけられながらバイクで疾走するシーンは基本的にはスタントマン。後ろをパッと振り向いて、顔を見せる場面とかになるとセット撮影。
(トム・クルーズだったら絶対に本人がバイクに乗ってスタントやるのにな……)
 それでちゃんとアクションが成立しているように見えるのが面白い。むしろアクションが始まってからのほうが、画面への違和感がなかった。編集マジックって面白いな……と感心してしまった。

 マルタのアクションシーンを経て、ようやく物語が動き始める。ここからお話しは面白くなっていく。オーウェン&クレアがバイオシンの研究施設のある保護公園へ入り、そこで恐竜と遭遇するドタバタが描かれる。一方、アランとエリーはバイオシン研究施設の奥へと潜入していく。
 恐竜の登場数はおそらくシリーズ最多。描かれるシチュエーションも様々。恐竜と対峙するサバイバルが始まってからは面白い。いっそ、前半1時間くらいは早送りしていてもいいくらいかもしれない。

 映画の話はこれくらいにしておいて……ちょっと脇道のお話し。
 バイオシンは怪しい遺伝子操作で新しい生物を生み出そうとしていたのだが……そのうちの一つが外部に漏れてしまった。白亜紀のDNAと融合させたイナゴが研究施設の外に出てしまい、それがアメリカ中に広まって作物を食い荒らす……という事態が起きてしまった。
 しかし巨大イナゴはバイオシン製の種子による作物は食べない……ということから、エリーは「バイオシンが怪しい」と気付くのだった。

 これには元ネタがある。モンサント社が作ったターミネーター種子だ。映画の話じゃないよ、現実のお話し。モンサント社が遺伝子操作で作ったこのターミネーター種子は、発芽が早く、すぐに収獲ができる。このターミネーター種子であれば、飢餓に直面している貧困国が救える……。貧困国を救う画期的な種……として注目された。
 ところがこのターミネーター種子には罠があった。ターミネーター種子は育てても「種」を作ることがないのだ。必ず1世代で全滅する……遺伝子操作でわざわざそういう仕組みを作っていたのだ。
 つまり次の作物を育てるために、モンサント社からそのつどターミネーター種子を購入しなければならない。飢餓の問題は解決できるかもしれないが、モンサント社は大儲けができる。農民達は作物を育てるために、モンサント社に「税金」を払うように、種子を買わねばならなくなるのだ。
 それだけではなく、モンサント社が同時に提供している「農薬」には副作用があった。強力な農薬で、初年度は雑草をまるごと駆逐できるが、翌年、翌々年と使い続けると、なんと耐性の付いたより強力な雑草が生えてくるようになるとか……。
 「救世主」と讃えられた種子は、農民の暮らしも土地も汚染する、トンデモない代物だった。

 もちろん、そんな種子が問題にならないわけがない。
 2012年頃から環境活動家達がこの問題に気付き、モンサントを相手に訴訟を開始した。ターミネーター種子による環境への影響、さらに遺伝子操作で作られた作物が人体にどんな影響を与えるかもわからない。科学者達が引き起こした最悪の公害として、大きな社会問題となった。
 この問題は解決しないまま、現在に至っている。
 ターミネーター種子なんてアメリカの話でしょ。日本は関係ない……ではない。日本では2017年「種子法」が廃止された。「種子法」とは日本の米、大豆、麦といった主要穀物の種子を保護しよう……という法律だったが、これが廃止された。理由はこの法律があるために、民間による新しい種子開発の妨げになる……ということだったが、「自由競争は品質のいい商品が手に入るようになる」ではなく、だいたいにおいて「勢力のある一部企業の寡占化」の切っ掛けとなる。
 ――そう、ターミネーター種子は日本に来ているのだ。アメリカの企業にとって、人口1億人の日本は理想的な市場。しかし日本には「種子法」があるから、手が出せないでいた。もともとはTPPの時にアメリカは日本の「種子法」を撤廃させようと迫っていたが……。それから10年にわたるロビー活動のすえ、とうとう日本の種子法を撤廃させてしまった。日本人は気が付かないうちに、ターミネーター種子で作った農産物をすでに口にしているのだ。

 と、この辺りの話が今回のお話しの元ネタにあるのだろう。
 『ジュラシックパーク』シリーズが当初から持っていたテーマは「遺伝子操作の危険性」。第1作目の頃は遺伝子操作は私たちとあまり関係のない世界の話……SFのなかのお話しに思えていたけれども、気がついたら私たちの生活の身近なところまで来ている。私たちが普段口にしている食べ物が実は遺伝子操作された食べ物……しかも背後にはアメリカの巨大企業の陰謀が絡んできている。これも映画の話ではなく、本当の話。さすがに遺伝子操作された恐竜は生み出されてないけど、もっと日常的な形になって遺伝子操作された“なにか”は私たちの側までやってきている。
 所詮は映画の中の絵空事……と思っていたものが、気がついたら《現実》になっている。バイオシンの遺伝子操作種子の話が導入部に出てきたのは、遺伝子操作のお話しが私たちの身近にあるものだよ、と私たちに訴えるためのものだろう。
 世の中の頭のいい人たち……学歴エリート達はこういった問題をあまり問題とは考えない。自分たちのしでかしたことで、世界に貧困が広まる、飢餓が広まる……知ったこっちゃない。食の安全が脅かされている……エリート達からすればそれは問題ではない。なぜなら彼らは、お金を払って農家まで行き、自分で安全な食べ物を収獲するからだ。
 エリート達はこう語る――「食べ物に不安があるんだったら、もっと高くて安全な食べ物を買えばいいだけだ」と。「パンがないならお菓子を食べればいいじゃない」論法だ。自分たちはそれができるから問題ない。それよりも目先の利益をいかに拡大できるか……ということに奔走する。
 どんなに頭が良くなっても認知能力には限界があるから、「世界のどこかで貧困が広まっている」なんて気にしない。知っていたとしても、それが何の問題なのか考えつかない。その結果、自分がどんなに恨まれるか……なんて想像できない。それで巡り巡って世界を崩壊させるようなことがあったとしても――人々のバッシングが自分に向けられる瞬間まで、自分たちが当事者だと想像できない。
 『ジュラシックパーク』がずっと描いてきたテーマはこれ。頭はいいはずなのに、どこまでも愚かなエリート達の姿。最初の作品から、繰り返し描かれてきたことがこれ。
 『ジュラシック・ワールド2』で恐竜たちがついにアメリカ全土に放たれてしまった。それはまったくの絵空事ではなく、遺伝子操作された食べ物が日常的な食卓の上に出ている。「遺伝子操作されたモンスター」は私たちの日常の中に入り込んでいる。ここで映画で描かれたことと現実とが重なっていく。

 『ジュラシック・ワールド』シリーズ最終作。『ジュラシックパーク』シリーズのメインキャストと合流し、恐竜もこれまでのシリーズに登場していたほぼ全ての恐竜が勢揃いし、ほとんど「総集編」とも言うべき内容だった。第1作目から登場しているティラノサウルスのレクシィも、もちろん登場している(首のところにある傷が目印だ)。レクシィはシリーズ最多登場だ。
 ところがその物語が情緒に訴えかけることはない。アラン&エリー&マルコムの3人が登場してきたのに、どこかゲスト出演しただけ……という感じ。せっかく出てきたのに、彼らの中からドラマが生まれてこない。
 オーウェン&クレア&メイジーの3人にもさほど情緒のあるドラマは生まれていない。この3人には「疑似親子」というテーマがあったはずなのだけど、このテーマは映画の中で終着していない。
 すべてのドラマが噛み合わない。映画をよくよく観ていると、楽しいシーンは一杯だ。マルタの街中を恐竜とバイクチェイスをするシーンなんて最高だった。この映画でしかあり得ない場面作りだ。
 でもこういったアクションシーンにブーストをかけるドラマが作品の中から生まれていない。これが惜しい。
 最初の『ジュラシックパーク』が世に出たとき、それは「映画が変わる瞬間」だった。CGによる本物にしか見えない恐竜がスクリーンに登場して、間違いなく当時の観客の度肝を抜いた。『ジュラシックパーク』はたった1作で映画表現を押し上げた映画史的にターニングポイントとなる作品だ。
 しかし2作目、3作目とシリーズを重ねるごとに、精彩さを喪っていく。CGはあらゆる映画の中で使われ、アップデートされていき、「リアルな恐竜」は今は別に珍しくともなんともない映像になってしまった。『ジュラシック・ワールド』の時代に入ってくると、もはやたくさんある映画の中の1本でしかない。
 そこに「遺伝子操作された食品」が入ってくる……というテーマはなかなか良かった。CGの恐竜と同じくらいに、「遺伝操作されたモンスター」が私たちの食卓という日常まで入り込んできている。このテーマの提唱は良かったのだけど……たぶん、ほとんどの人はこのテーマに気付いていない。「CGの恐竜を登場させる」ほどのショックを人々に与える効果はない。

 良いところは一杯あるけど、でももはや特別な1本ではない。その他の今どきなCG映画に埋もれて輝かない映画。時代が『ジュラシックパーク』を過去の映画にして、終了を突き付けた……そんな感じだろうか。


この記事が参加している募集

映画感想文

とらつぐみのnoteはすべて無料で公開しています。 しかし活動を続けていくためには皆様の支援が必要です。どうか支援をお願いします。