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読書感想文 人はどのように鉄を作ってきたか/永田和宏

 人はどのように鉄を作ってきたか 鉄は溶かして再利用ができる。リサイクルしやすい材質だ。我が国では「野鍛冶」と呼ばれる職人が農家を回り、庭先で即席の鍛冶炉を作り、集めた古鉄を再溶解して農具を修理していた。
 現代でも同じだ。スクラップを集め電気炉で溶解し、別の製品を作っている。
 古代や前近代的製鉄の時代は、炭素の少ない鋼と多い銑鉄の2系統で完全に回収していた。現代ではありとあらゆる合金が開発されたため、回収系統は複雑になり、最終的には廃棄されている。
 現代の製鉄と古代の製鉄は何が違うのか――根本的本質的には同じである。ただ現代と古代では性質の違う鉄が作られていた。その違いに、私たちが見落としているものがあるのではないか?

鉄ができるまで

 純鉄の融点は1536度である。鉄に炭素を溶解させると融点は次第に下がる。これは「凝固点降下」と呼ばれ、塩水が0度以下で凍る現象と同じである。鉄の場合、炭素濃度が4.2%含むと融点は1154度まで下がる。が、これ以上炭素濃度を増やしても融点は下がらない。
 ちなみに銅が溶ける温度は1084度だ。この温度は木炭を燃焼することで得られ、鉄は炭素を吸収することで融点が下がる。この発見が青銅器文明から鉄器文明へと発展させることに繋がった。

 鉄は温度によって結晶構造が変わるという性質を持っている。912度~1394度の鉄はγー鉄と呼ばれる。γー鉄は、鉄の原子がもっとも密に詰まった状態で、原子が移動しやすい結晶構造を持つ。柔らかく、ハンマーで打つことで容易に加工することができる。
 912度以下ではαー鉄と呼ばれる結晶構造に変化する。αー鉄の結晶はγー鉄に比べて隙間の多い並び方をしており、原子が移動しにくく、硬くなりやすい。
 γー鉄にはαー鉄のほぼ100倍の炭素を溶け込ませることができる。
 そこで鋼を800度くらいに急冷すると、γー鉄中に溶け込んでいる炭素量が、αー鉄くらいになっても、鉄原子の間に過飽和に溶け込んだままになる。すると鉄原子が歪み、動きにくくなるので、非常に硬くなる。これを「焼き入れ」といい、この硬い鉄組織を「マルテンサイト」と呼ぶ。刃物の刃はこの焼き入れで硬くなり、切れ味が鋭くなる。
 また800度からゆっくり冷却させると、727度でαー鉄とセメンタイトと呼ぶFe3C化合物に分解する。この混合組織を「パーライト」と呼ぶ。非常に柔らかいので、様々な形に形成することができる。この工程を「焼鈍し(やきなまし)」と呼ぶ。

 では鉄を作るにはどうすればいいのか?
 これは『Minecraft』のプレイヤーならピンとくると思うが、鉄鉱石を採取し、炉に放り込んで木炭に火を付ければ鉄を得ることができる。ではなぜそのプロセスで鉄を得ることができるのか、と見ていくとしよう。

 鉄の原料は鉄鉱石である。鉄鉱石は鉄原子と酸素原子からなる化合物なので、酸素を除去してやれば鉄にすることができる。鉄鉱石から鉄を作る反応を「還元反応」といい、これには1000度以上の高温が必要となる。
 鉄鉱石には2種類があり、一つは赤鉄鉱(ヘマタイト)で、もう一つは磁鉄鉱(マグネタイト)である。赤鉄鉱は赤みを帯びていて磁石に付かず、磁鉄鉱は黒色で磁石に付く。海岸や河川で黒く磁石で付くものは、磁鉄鉱の砂鉄を含むものである。
 赤鉄鉱は大陸に多いが、日本では採取されない。日本では主に磁鉄鉱だが、これは火山から吹き出したマグマが風化し、砂となって形成したものである。

 この鉄鉱石から鉄を得るには、1000度の高温が必要である。この温度を得るために、炉の中で木炭や石炭(コークス)に空気を吹き込んで燃焼させた。
 4000年前の時代には木炭が主たる燃料で、クヌギやコナラ、雑木を炭焼窯で蒸し焼きにして作った。コークスは石炭を蒸し焼きにして作る。
 木炭やコークスを燃焼すると高温が得られると同時に炭酸ガス(CO2)を発生させる。炭酸ガスは加熱した炭材と反応して一酸化炭素ガスになる。この反応を「ブードワー反応」と呼ぶ。この一酸化炭素ガスが酸化鉄中の酸素を奪い、鉄に還元する。

 還元された固体の鉄はそのままでは大きな塊にはならない。溶解して液体になり、液体の粒が炉底に流れ落ちて凝固すると大きな塊となる。
 鉄は炭素を吸収すると融点が低下するので、低い温度でも溶けるようになる。この炭素を吸収させることを「吸炭」と呼ぶ。
 ではどのように「吸炭」現象が起きるのか。
 還元された鉄粒と炭材はどちらも個体同士なので、点で接触する。その接点に液体の銑鉄液滴が生成される。小さな銑鉄の液滴は固体の鉄と炭材の両方に接するが、固体の鉄を引き合う力(界面張力)のほうが炭材と引き合う力より大きいので、固体の鉄に向かって早い流れが起きる。これを「マランゴニー対流」と呼ぶ。このマランゴニー対流によって炭素が固体の鉄側に供給され、急速に銑鉄の液体化が進む。

 鉄鉱石中にはシリカやアルミナなどの鉱物も混在している。これらは「不純物」である。還元した鉄中にはこれらの鉱物も残っており、鉄が炭素を吸収して融解するときに、石灰と反応して「スラグ」として分離する。スラグとは「鉱滓(こうさい)」とも呼ばれる産業廃棄物である。たたら製鉄では「ノロ」と呼ばれていた。

 ここまでの話をフローチャートとして示そう。

鉄鉱石には赤鉄鉱(ヘマタイト)と磁鉄鉱(マグネタイト)がある。
    ↓
鉄を溶かすには1536度の熱が必要! ただし炭素と結びつくと融点が1154度まで下がる。 そこで炉の中に木炭や炭素(コークス)を入れて、燃焼した。
    ↓
木炭やコークスが燃焼すると炭酸ガスを発生させる。炭酸ガスは炭材と反応して一酸化炭素ガスを発生させる。この反応を「ブードワー反応」。この一酸化炭素ガスが酸化鉄から酸素と鉄に分離させる。
    ↓
鉄は炭素を吸収すると融点が下がる。これを「吸炭」と呼ぶ。
    ↓
吸炭はどうやって起きるのか?
還元された鉄粒と炭材が接触する→銑鉄液滴が生成される→銑鉄液滴は固体の鉄に引き寄せられる→マランゴニー対流が起きる→マランゴニー対流によって炭素が固体の鉄に供給される
    ↓
鉄が炭素を吸収して融解するときに、「スラグ/ノロ」が分離させる。

 鉄は炭素の含有量によって次のように分類される。
 工業用純鉄は炭素濃度0.02%以下のものをいう。炭素濃度が0.02~2.1%のものを「鋼」炭素濃度2.1%以上は「鋳鉄」あるいは「銑鉄」と呼ばれる。
 鋼は炭素だけを主要に含む炭素鋼の他、炭素以外の元素を加えた「合金鋼」や特殊な性能や用途に適する「特殊鋼」がある。一般的に炭素濃度0.3%以下の柔らかい鋼を「普通鋼」と呼んでいる。

鉄の歴史(世界)

 鉄は「鐵」と書く。この字は「金属の王なる哉」という意味だ。
 鉄製造はおよそ4000年前、トルコ半島アナトリア地方に住むプロト・ヒッタイトと呼ばれる人たちが発見し、これによって当時最強の武器だった「鉄の剣」の製造に成功。ヒッタイトはこの時代最大の領土を得て“帝国”となった。
 ヒッタイト帝国の製鉄技術は“秘伝”で外部に漏れないように厳重に管理された。かつてヒッタイト帝国のあった小アジア中部の山岳地帯、アラジャホユック移籍から紀元前17世紀の鉄滓(スラグ)が出土されている。このあたりで製鉄が行われていたのだろう。
 山中で製鉄が行われていた理由は、日本のたたら製鉄も同じだが立地条件が良かったからだ。木炭の製造と運搬が必要であったし、山中であると谷に鉄滓を捨てるにも都合が良かった。また水も利用するので、水源の側が最も良いとされた。
 ヒッタイト帝国の首都であったポアズキョイ(ハットゥシャ)で紀元前1275年にエジプトの間で行われた「カデシュの戦い」の平和条約を記した粘土板が発見されている。粘土板には次のように記されている。
「良質な鉄はキズワナの私の倉庫できらしています。鉄を生産するには悪い時期なのです。彼らは良質な鉄を製造中です。……今日のところは私は一振りの鉄剣を送ります」

 ヒッタイト帝国は紀元前1200年頃に滅亡し、秘伝であった鉄製造技術は世界に広まっていった。やがてローマ帝国が始まり、紀元前27年までを「初期鉄器時代」と呼び、この間に製鉄技術は拡散されていった。ローマ帝国が滅亡する5世紀ごろまでが「ローマ鉄器時代」と呼び、西ヨーロッパに製鉄法が広まる。
 ヒッタイト帝国が滅ぶ紀元前1200年から500年ほどの間に製鉄技術はエジプト、ギリシャ、メソポタミアの周辺地域からヨーロッパ、アジア、北アフリカに伝播していった。
 地中海沿岸にはフェニキア人が製鉄技術を広めた。ヨーロッパ北部へはドナウ川沿いに伝わった。オーストリアのハルシュタットにある紀元前8世紀の墓から鉄の斧が発掘されている。スイスのラ・テーヌ遺跡からも鉄の剣が発見されている。イギリス島へは紀元前500年頃、紀元前400年頃にはインドおよび中国に伝わった。アフリカへの伝播は遅く、南アフリカへは紀元1000年頃ようやくである。

 14世紀に溶鉱炉が発明され、18世紀までに脱炭炉が発展し錬鉄が作られた。1720年から1850年の産業革命の時に木炭に代わりコークスを燃料とする溶鉱炉が開発され、工業化が進んでいく。
 産業革命とは小さな手工業的作業場に代わり、機械設備を持った大工場で製品が作られることである。イギリスで1760年頃に始まり、1780年頃には欧州各国に波及した。製鉄技術においては1740年頃アブラハム・ダービーが溶鉱炉にコークスだけを用いての銑鉄製造に成功したことから始まった。
 1710年頃のイギリスは木炭が枯渇して供給不足に陥っていたために石炭(コークス)を代替えとして使っていたが、コークスは木炭ほどの高温を得ることができ、生産性が次第に上がっていった。
 送風は水車動力の蛇腹型送風機で行われていたが、1760年代の終わりにピストン式シリンダー潟送風機が使われ始めた。これによって送風が強力になり、生産能力はさらにあがった。
 1776年、ワットの発明した蒸気機関が結合され、溶鉱炉の生産能力はさらに上がる。かつての木炭溶鉱炉の2倍近くにもなった。
 1828年、イギリスのJ・B・ネールソンは送風を加熱して溶鉱炉の羽口から吹き込むと、銑鉄1トンあたりのコークス使用量が大幅に減少することを発見する。ネールソンの発見は最初信用されなかったが、彼は実験を続け、銑鉄1トンあたり約8トンのコークス使用量を、149度の加熱送風で2.5トン節約できることを証明してみせた。

 1851年のロンドン万国博覧会にて、アルフレッド・クルップはルツボ鋼で今まで誰も見たことのない大きな均質の鋳鋼塊を作って出品し、ルツボ鋼で鉄道の車軸や砲身に使えることを証明した。
 しかしルツボ鋼は希少で大量生産できなかった。
 この問題を解決したのがイギリスのヘンリー・ベッセマーである。1854年のクリミヤ戦争中に兵器に用いるより良い材料を製造する研究を始めた。溶解銑鉄に空気を吹き込んで銑鉄を可鍛鉄にするという着想を得て、実験を重ねていった。ベッセマーは反射炉内の溶鋼に空気を吹き付けて温度を上げる実験を行い、脱炭が起こることに気付いた。
 さっそくその結果を1856年8月のチェルトナム大英科学振興協会の総会で発表。反響は大きかったが、問題が見つかり、酷評される。
 ベッセマー鋼には問題があり、鋼塊に多くの気泡が残り、溶鋼が過酸化状態になることだった。また根本的に脆いという問題もあった。
 ベッセマーは送風圧を下げ、風量を増したところ、問題を解決させられることに気付いた。そのほか様々な問題を乗り越えて、「ベッセマー転炉」は鋼の安価で大量の生産を可能とした。このベッセマー転炉が現代に至るまで形を変えることなく継承されている

鉄の歴史(日本)

 日本へは6世紀後半、朝鮮半島を経由して鉄製造技術が伝わった。その形状は長方形箱形炉である。8世紀に入って半地下式縦型シャフト炉が伝えられた。
 原料は日本でも当初は赤鉄鉱石(ヘマタイト)が使用されていたが、間もなく枯渇し、奈良時代の終わり頃8世紀末頃から砂鉄を用いるようになった。それからたたら製鉄法は砂鉄を原料とする独自の手法として発展を始めた。
 桃山時代まではたたら炉は「野だたら」と呼ばれ、砂鉄が採取でき、木炭が豊富に得られる場所で簡単な炉床の上に粘土で築かれた。
 江戸時代になり輸送手段が発達すると高殿と呼ばれる建屋の中に作られた。1691年に天秤鞴(てんびんふいご)が中国地方で発明され、生産性は2倍になった。これは「永代たたら」あるいは「企業たたら」と呼ばれている。操業は4日連続(4日押)で行われ鉧塊(けらかい・鋼の塊のこと)の生成を極力避けるために、短い間隔で鉄を流し出した。

 1780年代の江戸時代天明年間の鉄生産は年約1万トンで、その7割は農具に使われた。明治の初め頃まで、古金の鉄製品はほぼ100%回収され、鍛冶炉で「下し金(おろしがね)」をして再溶解し、再び農具や釘などに使用された。当時の古金の回収量は不明だが、金物泥棒が横行するほど貴重だった。幕府は古金を扱う業者の「古金屋」に組合を作らせ、盗品の売買を禁ずる御触書を出している。江戸時代は幕末まで古金屋が軒を連ねていたが、西洋から安価な洋鉄が輸入され、たたら製鉄も衰退すると、古金屋も姿を消していった。
 明治以降は鉄屑商が新たに起こり、近代製鉄業の発展とともに、明治40年頃から鉄スクラップ専門業として確立した。

 たたら製鉄技術は江戸中期に完成し、その後の明治を経て昭和19年までは3日3晩の1代(操業)で鉄と鉧が1.5トンづず作られていった。
 明治期に西洋の近代製鉄法による輸入銑鉄と錬鉄のダンピングにより経済的に成り立たなくなり、大正12年にたたら製鉄の商業生産は中止された。

 その後は日本刀の材料を生産するために一部でたたら製鉄は続けられた。
 昭和8年、国策で「靖国たたら」が島根県仁多郡奥出出雲町横田代呂で操業され、第2次世界大戦の終わる昭和19年まで続けられた。
 昭和20年、敗戦により、日本刀の製作も禁止され、たたら製鉄も行われなくなった。
 昭和27年に日本は独立し、刀剣製作は「美術刀剣」として復活。しかし原料となる玉鋼の枯渇が危惧された。そこで昭和56年、日本美術刀剣保存協会が靖国たたらの遺構を利用して「日刀保たたら」を再構築して現在に至る。

感想

 なかなか難しい本だった。というのも私に化学の教養がなく、「3Fe2O3」と言われてもピンとこない。「Fe3O4」と言われても「マグネタイト」とすぐに思いつかない。私にわかるのはせいぜい「Fe=鉄、あるいはファイアーエムブレム」や「CO2=2酸化炭素」くらいなものだった。
 本書は非常に図が多く、時代ごとの鉄製造法が丁寧に解説されているのだが、こちらも読んでいてもどうにも頭の中に入ってこない。知識が頭の上を滑っていくような感じがずっとあった。どうにもこうにも、この本を読むには前提としてある程度の知識、教養が必要であった。
 今回、こうやって感想文を書くにあたり、もう一回本文を読み返し、書き出してみることでやっとこさ意味がわかった……という部分が結構あった。
 やや難度の高い本ではあるのだが、きちんと読めば得るものは非常に多いだろうと思う。実際、鉄製造の具体的は手法や歴史がきっちり描かれた本であるので、きちんと読み解けば教養として得られる部分は多かろう。
 ただ、この本を通勤途中の暇つぶしとして読めるか、というとかなり難しい。私は通勤途中の20分ほどの間にこの本を読んでいたのだが、文章が頭の中に入ってこず、しんどかった印象になってしまった。通勤途中ではなく、机で読むべき本だった。読むときは傍らにノートを置いて、情報を整理しながら読みたい。知識を深めるための余裕が日常生活の中にある、という人にはおすすめの本である。
 私としては小説を書くときに、鉄製造のシーンが必要になったら、この資料を再び開こうと考えている。

 ところで今回から3回連続で「鉄」をテーマにした本を紹介する。その第1弾が『人はどのように鉄を作ってきたか』。本書で一通りの鉄の歴史と、製造法を俯瞰して把握することができる(ただし、内容は難しいが)。
 また次回この話をする予定だが、「日本に鉄製造技術が入ってきたのは6世紀頃」という部分には少し異論がある。これは後々テーマとして掲げる予定になっているので、その時に話をしよう。

 どんなものを書くにも知識は絶対に必要だ。その中で鉄は重要な知識になるだろう。特に“ファンタジー”を書きたい人たちにとっては、鉄がどのように生産されたのか、どれくらい貴重だったのか、鉄製品を作るのにどれくらいの技術が必要だったのか……そういった知識は必要だろう。
 ファンタジーには「鉄」や「鋼」だけではなく、「ミスリル」や「アダマンタイト」といった架空の鉱物も登場する。そういったものをどのように扱い、表現していくのか。嘘は知らないまま書くと説得力を欠くが、実際の知識を持つと嘘も生き生きとし始める。だから知識は必要だ。そういった知識を得るためにも、本書は最適な一冊といえるだろう。


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