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1月8日 マスコミは台風みたいなものだから……

電ファミニコゲーマー:カドカワの社長退任や『シン・ゴジラ』の舞台裏、そして教育事業に賭ける情熱とは?──川上量生・特別インタビュー

〈引用〉

川上氏:
 つまり、みんな文部科学省の悪口を言うじゃないですか。教育が変わらないのは保守的な文科省が何もしないせいだという漠然としたイメージをもっていませんか? でも、実際は文科省は何もしないわけではなくて、かつてのゆとり教育とか、昨年、炎上した英語入試改革とか、いろいろ変えようとしてきたことに世論が猛反発して潰してきたという歴史があるわけです。

──何もしないし、やるときは、とんでもないことをやる。そういうイメージは確かにありますね。

川上氏:
 そうでしょう? たとえば、ゆとり教育は日本の教育水準を下げただのなんだのって、すごく叩かれて潰されてしまった。その結果、何が起きたかというと、いまの子たちが苦しんでいる、詰め込み教育への回帰だったんです。あれは、ゆとり教育の否定で始まっているんです。

 今さらだけど、「ゆとり教育とはなんだったのか?」というお話。引用元は非常に考えさせられる要素が多いので、ぜひ読んでいただきたい。
 私も「ゆとり教育」とはつまりどういうものだったのか、なにも知らなかった。なんとなくある「ゆとり」というネーミングに引っ張られて、その内実はどういうものなのか、ゆとり教育が否定されたことによって起きた余波についてなにも考えてこなかった。

 教育については私も思うところがあって、果たして私の受けてきた教育は正しかったのだろうか……という疑問。私たちが身につけるべき教養とは、本来どういったものであるべきだったのか……。
 私は詰め込み型教育世代の人間だけど、学校で得た物はなーんの役に立っていない(なにも役に立ってないので、いま持っている知識はすべて自分で得たものだ)。それは私の個人の感慨だけではなく、周囲を見回しても、「どうしてこの人達は落ち着いて考えようとしないんだろう」と思うことはよくある。どうしてなにも知らない立場なのに、こうも高慢な態度を取れるのだろう……と。「無知な人間ほど傲慢な態度を取りがち」とはよく言うことだが、しかし無知であることを自覚できれば、その瞬間、学ぼうという意識に変わるはずだが、ほとんどの人がその心構えができない理由はなんだろう……。それこそ教育ではなく教養の欠如ではないか。
 そういう話はこういう場ではなく、いつかストーリーとして発表したい、という考えがあって……。まだ考案中なのだけど。

 そういうわけで、今回はこういうお軽い話。

「マスコミは台風みたいなもの」

 何が悪いのか、というと結局はマスコミ問題なんだよね。
 マスコミは情報の良い悪いの判断は基本的にしない。マスコミはテレビの視聴率が取れれば、新聞の売り上げ部数さえ伸びればいいと考える人たちなので、情報の良い悪いの判断はしない。何でもいいから、それで“お祭り”ができればいい……そういう考えの人たちだ。

 最近はマスコミ報道に対して誤りがあったら、ユーザー達が正確なデータを出してきて、「キリトリに過ぎない」「誇張だ」と反論する流れがある。
 そういうのに対して、マスコミの言い分はずっと変わらない。「ネットの悪い奴らが広めている」……だ。マスコミは自分たちの意見が正しいか間違っているか、ではなく「正義である」という前提なのね。だからどうしようもない。自分たちに意を唱えるやつらは全部悪い奴ら、という考え方。

 ずいぶん昔の話だけど、1997年神戸市須磨区連続児童殺傷事件の後、「少年犯罪報道」が飛躍的に増えた。その前年までは数回程度だったけれど、97年に300回以上に跳ね上がり、その後も少年犯罪報道はずっと多い状態のままだった。

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資料:どこか〈問題化〉させられる若者たち

 私もその時代を生きてきたからわかるが、当時はテレビを見るとどこもかしくも少年犯罪報道ばかり。あたかも少年はみんな異常者でみんな犯罪者予備軍のような扱われ方をした。世間的にも少年犯罪そのものが増えている……みたいに思い込むようになり、そのように語られるようになり、それでその原因として漫画とゲームがやり玉に挙げられる、という定番のパターンができあがっていた。
 ところが実際の少年犯罪件数は非常に少なかった。それどころか、少年犯罪件数は毎年戦後最低を更新し続けた。増えたのは“報道”だけだった。そのことを、マスコミは当時から今に至るまで、一回も報道に載せたことがない。
 なぜ少年犯罪報道が増えたのか……それは売れるから。視聴率が取れるから。マスコミ的に「少年はみんなヤベーから。あいつら全員犯罪者になるかも知れないから」そういう恐怖感を煽れば、いくらでも世間の関心を引き続けられる。だから少年犯罪報道をやり続けた。
 結果的に、世間的に少年犯罪が増え、凶暴化しているというイメージだけが一人歩きして、いわゆる大学の“有識者”という連中が、エンタメが原因に違いないから規制するべきだという議論をやり始めた。
 もともとになっているデータがなく、イメージだけで語られてしまう……私はこの時にその不気味さに気付いた。

 そういうのを体験して、酷い目に遭ったから、私はテレビを見ないし、いわゆる“有識者”という連中を信じていない。UFO研究家のほうが信用できるよ。というか、同じレベルだし。

 テレビは情報の良し悪しを判断しない。騒げればいいだけで、そのネタがなんであるかは気にしない。しかも、その背景にある内実をきちんと伝えない。むしろ“内実”を知ってても隠しちゃうケースも結構ある。
 私は基本的に日々のニュースをほぼ見ない……というものこれが理由。大騒ぎになっていることでも、その内実がどういうものなのかわからないから。後になって当事者が語る時が来ないと、なにもわからない。事件から何年かたって本になり、そういうのを見ると、当時語られていることとまったく違っていた……ということはよくある。

 マスコミは誤情報とイメージだらけ。というか、自分たちが伝えたいイメージに沿うように情報が集められてしまう。だから報道と実像がまったく違う風に作られてしまう。内実を知っていたとしても、伝えたいイメージと違っていたら伝えない、ということも平気でやる。
 世間的に報道は真実の姿を伝えてくれている……と思われているが実はそんなことはまったくなく、マスコミは視聴率を取りたいがためにウソをついたり誇張をしたり、ということをいくらでもやっている、ということを心得ておかねばならない。
 マスコミは自分たちの情報が誇張だったり、間違っていたと後に判明しても、それを訂正する……ということは滅多にしない。なぜならマスコミ自身に説明する義務も責任もないからだ。本当のことが知りたかったら、当事者が出てきて話す時を待たなくてはならない。でもそれは、耳を傾けようとするごくわずかな人たちにしか伝わらない。

 でも世間の大多数というのは、テレビのそういうイメージで広めたものを信じる傾向にあるんだ。  テレビで見たイメージを根拠に、特定の人を差別したりもする。その人から危害を受けたこともなければ、実際に会ったこともない……そういう相手でもテレビで「この人は悪人です!」と報道したら途端にみんなで攻撃をしに行く。わざわざ県外から車で越境して、その人の家に落書きをして石を投げに行く、という熱心な人も現れてしまう。
 どうしてそこまでするのかとすると、それを「正義」だと勘違いする人たちがいて、マスコミがそう勘違いさせているからだ。
 ネットの世界ではもっと気軽だから、疑惑が出た、というだけでその人を攻撃にしに行く……という人は多い。いや、疑惑も必要はない。イメージだけでいい。そういうイメージさえ出して、今の時代的にいうとバズりさえすればいい。
 今はコロナウイルス関連の話題が多いが、コロナウイルスにかかると、かかったという人の家に石を投げに行く人がいるし、「出て行け!」と塀に落書きが書く人もいる。ついでに家族も差別を受ける。……これ、海外では本当に起きていること。日本でもかかった人の家族に対する差別は起きている。もはやコロナウイルスが恐いというより、コロナウイルスで発狂する周りの人々による差別のほうが恐い。
 ウイルスにかかったら、当事者が一番大変なはずなんだよ。病気で苦しんでいるわけだからね。それに別に何かしら犯罪を犯したわけでもない。でも病気になった人を悪人であると思い込む。
 大多数の人はある瞬間にタガが外れ、「攻撃していい」と思い込む瞬間がある。そういうGOサインを出しちゃってるのがマスコミ。
 こういう人たちは、要するにマスコミにコントロールされている人。コントロールされやすい人。そういう人が意外なくらい世の中に多い……というのが毎日のように何かしらで「炎上」が起きていることからわかる。

 だいたい、炎上が起きて寄り集まってくる人々は本当にその事件に関心があるのか? 本当はそうではないんだろうと思う。そもそもその当事者について普段から何か知っているか……と問うても実は知らない、という人々が大多数じゃないかな、という気がしている。
 前にとある個人ブログを読んでいたことがあったのだが、そのうちある件で炎上が起き、それで普段の閲覧数から見てもあり得ない数のコメントが大量に書き込まれた。あの人達、普段からあのブログを読んでいたのか……ほとんど読んでない外野じゃないのか? という疑問を持ったことがある。
 中には、「社会派」のフリをして、単にストレスを発散できる相手を探しているだけ……という人もいるんでしょう。
 お前は本当に石を投げていい立場なのか?
 大多数の人は日頃の鬱憤を晴らしたい。マスコミはその鬱憤を晴らしたい人々に“的”を与える。的が目の前に現れた瞬間、良心のタガが壊れる。でもそういう時に、標的にされる人は大変じゃないか……という疑問も持って欲しい。

 すでに書いたとおり、私は標的にされちゃったほうだから、その苦労はよくわかる。
 「お前は将来絶対犯罪者になるぞ」とさんざん言われてきたから。「ゲーム好き」っていうだけで、「将来犯罪者だな」って言われる時代があったんだよ。

 政治の世界となるともっと混沌としている。これまでにも繰り返してきたとおり、マスコミは情報の良い悪いの判断は基本的にしない。政治家は国のトップで、それに何かしらの悪イメージが付けば視聴率を大いに稼げる。色んな人を怒らせることができる。だからウソをついてでも、イメージだけを落とそうとする。
 それで、気付いていない人も多いかも知れないが、これで日本人は結構国益を損なっているんだ。  例えば増税の話。世の中のおじさん達というのはみんな日本という国は借金まみれで、国民一人当たり○○万円借金している……と思い込んでいる。私は色んな工場へ行き、そういうおじさんたちに実際に会っているから、よく知っている。本当におじさんたちはこういうのを信じてるんだ。
 増税前、テレビで“解説員”と呼ばれる人が「日本は増税すれば国際的な信用が上がり、株価がぐんと上がります。経済はより良くなります」と説明しているのを見た。
 そんなわけねーだろ。と思ったし、実際増税によって悪くなった。
 新聞はどうやら自分の所は軽減税率で影響を受けない……とタカをくくっていたらしいが、軒並み部数激減。これは身から出た錆なんで、ざまーみろってやつだ。

 今は政界でそういう被害に遭っている人と言えば杉田水脈議員が思い浮かぶ。あれも「今からみんなでこの人を叩きましょう」という報道キャンペーンによるもの。杉田水脈議員は今みたいなマスコミにバッシングを受ける以前から左翼界隈から狙われていた人で(「従軍慰安婦は大嘘だ」って公言してたんだよね)、選挙演説の時でも露骨な妨害を受けていた。それが叩きやすいボロを出しちゃったがために、一気にああなった。まんまと罠にかけられた人なんだよね。
 もともと左翼から睨まれていて、そこにマスコミが乗っかった。もう杉田水脈議員といえば悪いイメージしかないから、他議員も火の粉を被らないように避けるようにすらなっている。
 この件に関しては、普段は女性の権利がどうこう言っているフェミニズムもマスコミの流れに乗っかっている。おいおい、お前ら普段と言っていること違うだろ。でもそんなのもお構いなし。叩ければ何でもいいんだ。杉田水脈議員を叩いているフェミニストはみんなインチキだと思って良い。

 最初にあげた「ゆとり教育」の話にしても、マスコミによって損なっているもの……というのは実はたくさんあるんだ。だいたいゆとり教育にしても、名前だけでその内実がどんなものか、誰も知らないでしょ。私もまったく知らなかった。マスコミは叩く相手を提供したいだけで、そのためなら内実を一切知らせない、イメージだけで報道なんでことを平気でやる。

 でもマスコミをバッシングすることに何の意味がない。なぜならマスコミとは台風みたいなものだからだ。
 台風だから情報の良し悪しは考えない。騒げれば良い。みんなで大騒ぎして後は破壊の傷跡だけを残し、何一つ自分では回収しない。当事者がボロボロになって、ボロボロになった当事者が自分たちだけで何とか復興のために取り戻していこう……とするしかない。その時には誰も見向きもしなくなっている。
 犬はイタズラした時に叱れば反省する。でもマスコミは反省しない。謝罪もしない。気にしないというか……興味すら持たない。犬以下というか、そもそも生き物ですらなく、台風みたいなものだ、と思うしかない。もしも謝罪しても、頭を下げて、舌をペロッとだすのがマスコミだ。
 台風に対してどうこう言ったって仕方がない。だって台風だもの。
 意思がないというか思考もない。そういうものだから、いくら「マスゴミ、マスゴミ」と叩いても意味がない。だって、マスコミは自分のことだとは思いもしないんだもの。それどころか、訴訟を受けると祝杯を挙げるような連中だ。
 「訴訟を受けると祝杯」はかつて本当にやっていたことで、マスコミにとって訴訟を受けることは名誉あることだと考えていた。「訴訟をするってことはマズいところを突かれたからだろ」とマスコミは考える。自分たちの報道内容が間違っていたから……とは考えもしない。この辺りが狂ってるところだが……。マスコミにとって訴訟は勲章の扱いだった。
 それも訴訟額が大きくなり、記事で得られる収入を超えてしまったことで祝杯の習慣は絶えたそうだ。

 どうしてマスコミは自分たち自身を省みることができないのか……というと私の想像だが、マスコミ自身、台風の中にいるからじゃないか。いや、マスコミ自身が台風……と表現したほうが良いだろうか。自分たちが何をしているか、どこに向かっているかも知らないし、考えない。考えないからこそ、自らが台風になって周りにあるものを引っかき回すことしかできない。
 そんな連中にどうこう言っても仕方ないし、そんな連中に振り回されるのはもっと馬鹿馬鹿しい。

 なので日々のニュースなんて見ないほうがいい。見ても、「あ、そう」くらいの軽さで受けたほうが良い。その情報の内実が実際どんなものか、後になってみないとわからないんだから。

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