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ドラマ感想 ウェンズデー

 見ましたとも! ティム・バートン監督のドラマシリーズ『ウェンズデー』!

 本作は『アダムス・ファミリー』を原作とするテレビドラマシリーズである。原作は雑誌『ザ・ニューヨーカー』にて1937年から連載が始まった無題の1コマ漫画だった。作品タイトルがなく、キャラクター名も設定としてなかったために、1964年にテレビドラマ化したときに、作者チャールズ・アダムスの名前からとって『アダムス・ファミリー』となった。
 私たち世代にとって一番親しみを感じているのが、1991年のバリー・ソネンフェルド監督の映画『アダムス・ファミリー』だ。この映画は世界的に大ヒットし、日本でも「アダムス・ファミリーといえば」で、まずこの映画版が思い浮かぶ人が多いはずだ。続く『アダムス・ファミリー2』も大ヒットし、3作目の予定されていたが、ゴメス・アダムス役のラウル・ジュリアが胃癌と脳卒中で54歳で死去したため、このシリーズは終了してしまった。
 その後も『アダムス・ファミリー』は舞台やCGアニメとなってシリーズは続いていたが、実写映画の計画はしばらく休眠し続けることとなった。それが2022年、Netflixドラマとして新しいバージョンが制作されることとなった。それが本作『ウェンズデー』。
 監督は奇才:ティム・バートン。主役はウェンズデー・アダムス。時代背景は現代。今までは謎めいたお屋敷が物語の舞台だったが、そこから飛び出して全寮制の歴史ある学校が舞台となる。お話しも原作をなぞるのではなく、幼女だったウェンズデーが16歳のティーエンジャーに。全寮制学校で同じ年頃の学生達と接していくうちに価値観が変わっていく姿が描かれていく。

 こちらが本作の主人公、ウェンズデー・アダムス。可愛いでしょ。
 演じるのはジェナ・オルテガ。2022年現在20歳。撮影時は2021年だったから、19歳頃の時に撮影されている。ジェナ・オルテガの女優としてのキャリアは、まだ女優歴自体が浅く、ドラマ、映画のいくつかに出演しているものの端役をこなした……という程度。大きな役として大抜擢されたのはこの作品が初めて。これから活躍が期待される女優だ。
 日本語吹き替えを担当したのは遠藤璃菜。『ばらかもん』で子役の1人を演じていた子だ。あれ以降もどうやら声優を続けているらしい……ということは知っていたが、久しぶりに声を聞いてびっくりだ。すっかり大人の声。

 第1話のある場面。背景には光が強く入り込んでいるのに、ウェンズデーの顔には影が落ちている。このシーンに限らず、ずっとこんな感じ。ウェンズデーだけやたらと目元に影が落ちている。目元に黒のアイシャドーを入れて、さらに影を落としているからやたらと目元が暗く、その一方目元が強く輝いているように見える。目の輝きを強調したかったことがわかる。

 第1話のハイライトといえば、チェロの演奏シーン。堂々たる演奏シーンを披露したが、ジェナ・オルテガは別にチェロに親しんでいたわけではなく、このドラマの撮影のために猛特訓した末だったらしい(音源はプロの演奏のものだと思われるけど)。チェロの演奏だけではなく、フェンシング、アーチェリー、カヌー、ドイツ語のレッスンを受けて、撮影当日までに仕上げてきた。ハリウッドの俳優はスゲーな……とはいつも思っていたけど、この女優も根性見せてくれている。
 第4話ではかなり珍妙なダンスが披露されたが、これもどうやらジェナ・オルテガ自身による振り付けだったらしい。とにかくもポテンシャルが高く、これからが期待される女優だ。
 ちょっと話は逸れるが、日本の声優界に、ウェンズデーみたいな風貌の声優さんっているよね……見ているとどうしても彼女のことが頭に浮かんできて……。

 アダムス一家の中でも注目すべきなのが、お母さん役を演じたキャサリン・ゼタ=ジョーンズ。この女優、久しぶりに見たねぇ……。映画出演は2013年に3本、2016年に1本出演作があるが、その後はテレビドラマに活動の主軸を移していた。どうりで見かけないわけだ。

 もう一人注目の女優さんがこちら。元・ウェンズデーのクリティーナ・リッチ。1991年の映画『アダムス・ファミリー』ではウェンズデーを演じ、ティム・バートン監督作品は1999年の映画『スリーピー・ホロウ』に出演していた。今回の役どころは寮母のマリリン・ソーンヒル。植物学の先生でもある。
 新ウェンズデー、旧ウェンズデーが並ぶシーンはすこし感慨深いものがある。

 私のもう一人のお気に入り女優さんがこちら。ウェンズデーのルームメイト、人狼のイーニッド・シンクレア。エマ・マイヤーズが演じる。この子も可愛いでしょ。
 この子も現在20歳。ジェナ・オルテガと多分同年齢。女優としてのキャリアは意外と長く、10歳からいろんな映画やドラマに出演しているが、やはり端役。本作が初めての大きな役となる。Wikipediaを見ても記述が少なく、これからが期待される女優だ。

 さてお話しは……?
 まず最初に、ごく普通の学校風景が出てきて「おや?」となるが、これはちょっとした引っ掛け。ウェンズデーはここであることをやらかして……具体的にいうとプールにピラニアを放流したことが問題となって別の学校へ転校することになった。それがネヴァーモア・アカデミー。両親であるモーティシア・アダムス&ゴメズ・アダムスが青春時代を過ごした学校である。ネヴァーモア・アカデミーは普通の学校ではなく、生徒全員が亜人。吸血鬼、人狼、人魚、サイキック……。生徒も先生も“ノーマルな人間”がほぼいないという学校だった。
 そもそも学校という場すら毛嫌いしていたウェンズデーは、ネヴァーモア・アカデミーに送り込まれ、しぶしぶ全寮制学校の生活を送ることになるのだが……。
 その学校の風景を見てみよう。

 舞台となっているのは堂々たるお屋敷建築。冒頭の学校風景が「あれ?」となるのだけど、ここにきて「ああ、アダムス・ファミリーっぽい」という風景が出てくる。
 撮影はルーマニアのカンタクジーノ城。1911年、ゲオルゲ・グリゴレ・カンタクジーノ王子の要請によって建築された城……で撮影されたのだけど、外観を比較するとまるっきり別モノ。「CGIを追加されている」とのことだが、かなりモリモリにCGを盛っている。ほとんど「カンタクジーノ城をモデルにしている」というくらい外観は違う。といってもロケは間違いなくルーマニア。中庭の風景などを見ると、確かにここで撮影され、その後かなりCGを追加したらしいことがわかる。

ちなみにこちらがカンタクジーノ城。えーっと……確かにバルコニーの形なんかはそのまんまですよね?

 お城に入ってからは「ティム・バートンらしい風景」があちこちに出てくる。古くて陰気でしかし妙に格調高い風景。『バットマン』や『スリーピー・ホロウ』などで目にしたイメージがあちこちに現れる。中庭のシーンには、ティム・バートンのシンボル的な「枯れて捻れた木」が出てくる。ティム・バートンの感性は相変わらず変わっていないことがわかる。
 ティム・バートンらしいイメージ満載である一方、非常に『アダムス・ファミリー』っぽいイメージでもある。ティム・バートンらしい陰気さと重厚さと少しのコミカルさのある風景が出てくるのだが、それは同時に「アダムス・ファミリーらしい」風景とも見事に合致する。ティム・バートンの感性と『アダムス・ファミリー』の感性が見事なくらいハマっていて、こうして見ると、どうして1991年の映画はティム・バートン監督じゃなかったんだろうか……と疑問に思うくらい。
(どうやらティム・バートン監督のところに打診はあったようだけど、当時は『バットマン』の監督を優先したために別監督に移った……という事情があった)
 20年の時を経て、相応しい人のところに相応しいプロジェクトが移った……という感じだ。ティム・バートン監督の感性は独特な「歪み方」をしているわけだが、その歪み方が『アダムス・ファミリー』という題材の歪み方とバッチリハマっている。あまりにも見事にハマっているので、見ていて心地良くなるくらいだ。

 ウェンズデーは自分と正反対の感性を持つイーニッドという女の子とルームメイトになるのだが……。
 その部屋の風景からすでにティム・バートンらしいイメージ。ケバケバしいまでのカラフルな風景と、モノクロの陰気な風景の対比。ティム・バートンが絵に描きそう……という風景そのまんま。
 見ての通り、リアリティはなし。絵画的なイメージを優先する作家だから、あえて作り物っぽい、まるで「絵に描いたような風景」を実写映像で作り上げる。こういうところがティム・バートン的。

 ウェンズデーという女の子を見てみよう。16歳の、親に対しても社会に対しても反抗的な年代。周りに対して非協力的。やたらとプライドが高く、孤独を好む。拷問や殺戮といった負のイメージに極端に惹かれやすく、本人もいつもモノクロイメージのゴシックスタイルを身にまとっている。  ……なーんだ、よくある中二病女子じゃないか。
 それでいて、これは「少女版ティム・バートン」でもある。「美少女ティム・バートン」と言い換えてもいい。ティム・バートンを思春期の美少女にしたら……というイメージがウェンズデー。ということはティム・バートン、いまだに思春期のこじらした感情を抱えているのか……。
 しかもウェンズデーは理性的かつ聡明、それだけではなくスポーツをやらしても一級の実力を発揮する。ティム・バートンが自分の思春期を理想化した姿……ともいえるのだが、こういうふうに描こうとする気持ちはわからなくもない。

 ではお話しは?
 半ば強制的に全寮制学校に送り込まれて、反抗期を発動させているウェンズデーは、ルームメイトにもクラスメイトにも攻撃的な態度を取る。
 ウェンズデーはこの頃まだ知らなかったが、ネヴァーモア・アカデミー周辺では連続猟奇殺人事件が起きていた。森に迷い込んだ人が次々と殺され、殺されただけではなく身体はバラバラにされ、身体のうちの一つは持ち去られていた。地元警察は「ネヴァーモア・アカデミーに関係ある誰かがやったに違いない」……と決めつけた上で捜査するのだった。
 全寮制学校に嫌気がさしたウェンズデーは、収穫祭の夜に脱走する計画を立てる。しかしその途上で同じクラスのローワンとぶつかった瞬間、ビジョンを見る。不穏なものを感じてローワンを追って森に入ると、ローワンはウェンズデーに襲いかかってきた。ローワンの母は予知能力があり、ウェンズデーがやがてネヴァーモア・アカデミーに災厄をもたらす、だから見かけたら殺せと言われていたのだった。
 ローワンの超能力に押さえつけられ、ピンチ……その時、人狼がウェンズデーを救い出す。その人狼こそ、連続猟奇殺人を起こしている怪物であった。
 そんな恐ろしい事件に遭遇し、さらにその渦中に飲み込まれるようになっていき……むしろウェンズデーは喜んで事件解明に向かうのだった。

 ここまでが第1話。
 作劇的なお話しをすると、ティム・バートン監督で題材が『アダムス・ファミリー』なので、リアリスティックな作劇を求めると「あれ?」となる。かなりコミカル、漫画寄りな作劇でお話しが進む。
 例えばウェンズデーがビジョンを見る瞬間、のけぞって目を剥くのだけど、この描き方がかなり漫画的。いかにも“作り物”という感じ。アニメだったら特に引っ掛からないのだけど、実写でやるとちょっと描写が奇妙になる。  こういうところに限らずありとあらゆるものが“作り物”っぽい感じで作られている。“リアリティ”を志向した作品ではない。
 人を襲う恐ろしげな人狼が出てくるのだけど……

 こういう顔。ぜんぜんリアリティないでしょ。かなり漫画的。ここで「おや?」となるかも知れないけど、こういう漫画的な“作り物”っぽさをむしろ志向している作品。
 『アダムス・ファミリー』といえばちょっと不気味な世界観をコミカルに描いた作品。不気味だけど怖くない。むしろ可愛くもある(上画像の人狼の可愛いでしょ)。それが「アダムス・ファミリーらしい世界観」だけど、作劇の面でそういう世界観をきちんと守って描かれている。最初はリアリティに欠ける世界観に「おや?」となるかも知れないが、この作品特有の様式美というのがあるので、それがわかってきてリズムに乗れるようになるとむしろ心地良く感じるようになっていく。

 お話しは殺人事件があって、謎の怪人がネヴァーモア・アカデミーかあるいは周辺の街のどこかに潜んでいる。さらに数百年前、アダムス家がアメリカに入植してきた当時の事件も絡んできて……。
 というわけでミステリー形式でお話しは進んで行く。主人公ウェンズデーが探偵役になり、事件解決へと物語は進行していくのだけど……。
 お話しは正直なところ、穴が多い。まずウェンズデーは何度も推理を見誤り、関係ない人を犯人扱いしてしまい、その失敗をすぐになかったことにする。すべての事件も後半クライマックスですっきり解決か……というと解決されずスルーされる部分も結構ある。「そういればアレはなんだったの?」……みたいなのが結構残る。アダムス家御先祖も事件に関わってくるのだけど、そこまで深く……というわけではない。必要だったのかな……と疑問に感じるような関わり方。過去の迫害がサブテーマとして描かれるが、そこまで強力なメッセージ性をもつこともなく。全体において「このシーン必要だった?」というところだらけ。
 しかもウェンズデーを中心とした「ハーレムもの」になっちゃっている。というのも、出てくるイケメンがことごとくウェンズデーに好意を寄せ、特に理由もなく協力してくれるようになる(確かにウェンズデー、可愛いけどさ)。
 それともう一つ、アクションがいまいち盛り上がらない。例えば第2話、カヌーの試合があるのだけど、これがまったく迫力がない(カヌーの訓練は相当にやったはずなのに……)。「それっぽい絵」をモンタージュのように並べただけで、決定的瞬間がほとんど描かれない。一昔前のアニメみたいな編集。すべてにおいて“作り物”っぽいところがあるのだけど、アクションもそういう感じになるので、そういうところで没入感が妨げられるというのはある。

 それでドラマ『ウェンズデー』がつまらないか……というとぜんぜんそういうわけではない。むしろ楽しい。なぜならミステリーはこのドラマのメインテーマではないからだ。
 ドラマの導入部はミステリーだけど、お話しの後半はむしろウェンズデーの青春物語が主題に変わっていく。前半のウェンズデーは思春期と中二病をこじらせてハリネズミのように周りの人たちにトゲを刺して回っていたけれど、次第にそのトゲを引っ込めるようになっていく。
 他人の思いがけない好意に驚いたり戸惑ったりもしながら、次第に受け入れるようになっていく。自分本位だった性格は「誰かのために、友人のために」を行動原理にして行くようになる。
 自分は特別だ……と思い込んでいた孤独な女の子が、結局のところはごくごく普通の青春を謳歌するようになっていく物語。こちらの物語がメインであって、ミステリはサブ。やはり青春物語のほうがしっかり描かれていて、そのなかでウェンズデーの人間としての成長が共感あるものとして描かれているので、そこで“愛すべき作品”になっている。ミステリー面のツッコミどころは「こまけーことは気にするな!」だ。それ以上に魅力ある作品だから、それで充分だ。

 ドラマ『ウェンズデー』は原作や過去の映画版をなぞったお話しではなく、そこから一歩進めた作品。新しいキャラクターが一杯生まれたし、原作では幼かったウェンズデーが、ティーエンジャーになって色んな人と関わるようになったし、御先祖のお話も出てきたし、結果的に『アダムス・ファミリー』という作品自体に厚みを足すことになった。もしかすると数年後には「アダムス・ファミリーといえば」この作品を思い浮かべる人が多くなるかも知れない。それくらいに決定的な作品に成長していくかも知れない。
 それは今まではいくらでも解釈可能なストーリーだったものから、自由度を封じて「固定された一つの物語」と変わっていく過程ともいえなくもないが……。しかしこれが非常に魅力的なものとして仕上がっているので、「正しくアップデートされた」と言えるだろう。

 『ウェンズデー』は2022年11月23日Netflixにて公開され、83カ国でナンバーワンを獲得した。リリースした初週には5000万世帯、3億4120万時間視聴され、その前の記録保持者であった『ストレンジャー・シングス4』を上回るものとなった(3億3501万時間)。Netflix史上でも2番目に視聴された英語作品となっている。
 映画批評集積サイトRotten Tomatoesでは72%が肯定的レビュー、10点満点中6.8点となかなかの高評価。この『アダムス・ファミリー』シリーズの新しい物語は世界中で歓迎され、評価を受けることとなった。
 当然ながらシーズン2のプロジェクトはすでにスタートしている。ウェンズデーを巡る物語はまだ終わらない。私も続きのお話しが楽しみだ。


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