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6月3日 工場での仕事は時間が3倍に伸びている気がする。

 ベルトコンベア仕事をやっていると気付くことがある。
 そろそろ1時間過ぎたかな……と思っても20分。
 そろそろ30分くらい過ぎたかな……と思っても10分。
 そろそろ10分……と思っても3分くらい。
 ベルトコンベアで仕事をしていると、時間の流れる速度が3倍遅くなる。作業していて、いつの間にか1時間過ぎていた……ということは基本的にない。作業に没頭していたら時間があっという間、というのはよくあることだが、ベルトコンベア仕事に関してはこれがない。これは最近だけの印象ではなく、私はベルトコンベア仕事を色んなところでこなしてきたのだが、体感時間はずっと変わらない。私の体感時間と実際時間の差はいつもだいたい3倍。
 ベルトコンベア仕事の何がきついって、この時間感覚だ。時間がゆーーーーーっくり流れていく。時間がじわーーーーーっと延びていく。でもベルトコンベア仕事というのはかなりアクティブに動き回らなくてはならない仕事だ。どこでもそうだと思うが、現在の私の仕事の場合、積み荷を上げたり下げたりだから、かなり体力的に消耗する。精神と体力、同時に消耗する。それがきつい。

 時間が3倍に感じられるっていうことは、考えてみれば時間を3倍有効利用できるって意味だ。いつもより3倍多くものを考えることができるし、3倍の量の作業をこなすことができる……はず。
 だから時間がないという人々もベルトコンベア作業をやってみよう! 時間が3倍に伸びるから、勉強の時間がない、仕事の時間が足りない、遊び時間が足りない、全てを解決! なにしろ時間が3倍もあるから、余裕で勉強して遊んで仕事もしてまだまだ時間はたっぷり余ってるぞ! みんなでレッツ・ベルトコンベア仕事!

 ……冗談だ。
 時間感覚が伸びるのは繰り返し作業をやっているときだけに限るし、実際時間が延びるわけではない。

 体感時間の話をすると、よく聞く話は子供より大人の方が体感時間が短く感じるという話。子供は参照にできる時間の体験が少ないから、ちょっとしたことでも時間が長く感じる。一方の大人は参照にできる時間の体験が多いから、時間が短く感じる。……という話だ。
 これを『ジャネーの法則』と呼ぶ。
Wikipedia:ジャネーの法則
 これは確かにその通りだと思う。たぶん正解だ。
 でも実際には大人になってからも時間感覚が長く感じる局面というのは一杯ある。これはどういうことだろう?

 私はいろいろ仕事をしているうちに、時間の感じ方について2つのことに気付いた。
 1つめはそもそも「記憶がない」から時間が早く感じる、ということだ。
 人は前日何をしていたか、あまりきちんと記憶していない。この一週間のできごとに拡大すると、覚えていることはほとんどない。あの事件は先週だったか、先月だったか……ちょっとした事件でも時間と紐付けて記憶することすらできない。よくある話、1年の締めくくりに事件を振り返ろうという時、「この事件って今年だったっけ? 去年とか一昨年かと思った」という感慨を持つことは誰しもあることだろう。大きな事件ですら、それくらいに正確な時間として記憶していない。
 覚えていない。過去に起きた出来事を正確にいつ頃の時間だったか、おぼろげにしている。記憶しておらず、曖昧にしているから、記憶の消失にも気付かない。
 「今週は早かったな」……そう思うとき、正確に1週間なにが起きたか思い出すことができるだろうか。ほとんどの人は何も思い出せない。思い返そうとしない。思い出せず、現在感じている印象だけで語ろうとするから、「今週早かったな」という印象になる。
 正確に1週間の時を刻んでいたら、「早かったな」という印象になることもないはずだ。でも実際そんなこと、誰もやっていない。ほとんど忘れている。
 1週間の大半の記憶を消失しているから、「早かったな」という印象にもなる。

 もう一つ、最近気付いたのは、大半の人は大抵の時間、オフモードで過ごしている。
 これに気付いたのは押井守・最上和子の対談本『身体のリアル』を読んでいたとき。押井氏はとあるイベントに出席したとき、登壇してから直後から、イベント終了後しばらくの記憶が喪失していることに気付いた。当のイベントで自分が何をして何を喋ったかも全く記憶していない。
 その時の体験を養老孟司に話したところ、返ってきた答えがこれだ。
「普通ですよ。みんな忘れているだけです。人間っていつも自己意識があると思ったら大きな間違いで、ほとんどの時間は人形として生きています」

 そう、ほとんどの人はほとんどの時間、「人間」ではなく「人形」として活動している。何も考えていないし、何も意識していない。人形として活動していて問題ないのか、と思われるが、だからこそ「経験」というものがある。それまでに培っていた「経験」があるから、人形状態になっても毎日問題なく職場へ行けるし、人と話すこともできるし、仕事をこなして昼にはご飯を食べて、その後帰るまでができる。これらの活動の多くは、別に高機能の前頭葉など使う必要がない。その以前の経験で積み上げてきた「機能」と「反射」だけで問題なく日々の生活を送ることができる。
 私はこの人形状態になっていることを、「オフモード」と呼ぶことにした。

 人間は人間が思っている以上にロボットに近い生き物だ。私自身の経験を振り返ってみても、そういえばよくオフモードに入っている。機械的に仕事をこなすし、機械的にご飯食べるし、お風呂に入って髪洗って体洗ってといった活動は、何もかも機械的な機能でしかない。それぞれの時に「こうしよう」という意思はほぼ介在しておらず、記録している動きをなぞっているだけ。同じ行動を繰り返すゲームのNPCと実はさほど変わらない。(「オートモード」という言い方もありかもしれない)
(私は色んな局面で機械的に行動するから「記憶はあるが実感がない」ということがしばしば起こしている。髪洗ったのに、歯を磨いたのに、その記憶はあるはずなのに「あれ? やったっけ?」みたいになる。オンモードで状況を確認していないと記憶から抜け落ちやすい。またその逆で、「実感はあるのに記憶が飛んでいる」、ということもしばしば起こしている。これは誰しも起きていることだが、認識している人は少ないようだ)
 人はオフモードでいるときとオンモードでいるとき、スイッチが入る瞬間を認識できない。この境目が非常に曖昧で、区別を付けることができない。自分がオフモードになっているのか、今はオンモードなのか、自分でも区別を付けることができない。ほとんどの人は自分がほとんどの時間をオフモードで過ごしていることなど、気付いてすらもいないはずだ。
 さらにいうと頻繁に人はオン・オフが入れ替わる。例えば電車の網棚に雑誌を載せて、帰るときには回収しようと思っても、その5分後には雑誌のことを忘れて、2時間後くらいには「あれ? 雑誌は?」と思い出すが、そこの頃にはもうどこに置いたかすら思い出せない。網棚に雑誌の載せた瞬間はオンモードだが、それ以降の数時間はずっとオフモードで、その時何をしたかもう思い出すことすらできないのだ。

 面白いことに自分がオフモードになっていることを認識することはできないが、他人がオフモードに入っていることは指摘することができる。よくあるだろう「お前、ぼんやりしてただろ」と言うこと。他人に指摘されないとオフモードに入っていることは認識できないのだ。
 オフモードの存在に気付いてから周りを観察していると、やはりある程度以上年を取った人ほど、オフモードに入りやすいようだ。仕事中、ぼんやりしている。ぼんやりしているのに、作業だけは問題なくこなしている。その様子を見ているとロボットのようだ。
 たぶん、子供のうちは常にずーっとオンモード、青年になり、大人へ、老人になるに従い、オフモードの割合が増えていくのだと思われる。でも今思い返すと……子供の頃からすでにずっとオフモード……という子は結構いたなぁ。子供の頃からずっとオフモードのまんま、という人は一定数いるのかもしれない。

 このオフモード状態でずーっと過ごしていると、時間の流れが速く感じる。なぜならオフモードの時に起きたほとんどのことは認識しておらず、正確に記憶もされていない。その間の時間のボリュームを認識していないのだから、「時間が早く感じる」というのはそりゃ当然。
 私はベルトコンベア仕事をしていて時間がひたすら長く感じるのだが、これは私の特性であって、この仕事をある程度長めにやっている人に言わせると「今日は早く終わったな」ということになる。こう言える人は、仕事中のほとんどの時間をオフモードで過ごしていて、時間のボリュームを認識していないからだ。これが普通だ。
 私の場合、どうもオフモードに入りづらいというか、オフモードへの入り方が少し違うらしい。作業している間、オフモードに入っているといえば入っているが、次に描こうと思っている小説の構想を練っていたり、画の構想をしていたり、常に動いている部分があるから、時間の長さを感じやすいようだ。

 人はどうしてオフモードに入るのか。それはオフモードに入った方が日常の様々な行動を円滑にこなせるからだ。多くの人は日常のあらゆる行動をスムーズにこなせる。これもオフモードに入っているからだ。高機能の前頭葉をいちいち動かして「次どうしようか。何しようか」などと考えていると時間がかかって仕方ない。日常的な行動、学校/職場まで歩くこと、昼になったらご飯を食べる、日々の仕事をこなす……これらはセットされているアクションを読み出して割り当てた方が手っ取り早く効率が良い。毎日の行動、何度も繰り返す動きをスムーズにこなさせるために、オフモードなるものがある。
(よく忘れっぽい、間違いを起こす人は、セットされているアクションに「忘れ物をチェックする」動きを追加してみるといいだろう。つまり「習慣」に一つ足すのだ。どうせ忘れるのだから、「確認する」動きをいつもの動きの中に入れていれば、忘れ物は減る)
 人の機能というのはなかなか優秀なもので、オフモード状態の時、何も考えていないのか、何も気付かないのかというとそういうわけでもなく、オフモードにしつつ、同時にオンモードで動くこともできる。オフモードで日常の繰り返しの動きをそこで再生しつつ、オンモードで少しずつ補正をかけたり、よりよくしようというアイデアを加えることができる。
 絵描きをしているときというのがこの状態で、手の動きや道具を使う動きというのは完全にセットされた動きだ。だがさらにオンモードで様々な補正をかけているから、絵をよりよくすることができる。オフモードなるものがなぜあるのか、というとその動きがベースになるからだ。そのベースの上でより複雑で高次な仕事をこなすようになれる。より高いレベルものを生み出し、かつ認識するためにオフモードは必要で、さらにそのオフモードの精度を上げた方がよい。

 だからオフモード状態でできる仕事のクオリティというのが、その人間の作れるもののベースとなる。オフモード状態でできることというのが“土台”で、その人間がそれまでの人生で培ってきたもので、オフモード状態でできないことはオンモード状態になってもさほど良くなることもない。その人間の最低ラインがそこに現れる。

 それではどういう時に人はオンモードに戻るのか。何か事件が起きたとき、アクシデントに遭遇したとき、人はそれを対処するために、あるいはそのできごとを記憶するためにオンモードを復帰させる(面白いできごとが起きたときもオンモードに戻る)。オフモードは繰り返しの動き、習慣になった動きのことだから、トラブルというのはそれでは対処できない。だからオンモードに戻る。
 ちなみに、私は人と喋るときオンモードに入る。オンモードになるからローディング時間が発生する。だから簡単な質問であっても「あーえー……」とすぐに答えられない。そういう人、わりと多いかと思う。私にとっては他人と喋ることもちょっとした事故であるのだ。

 さてさて。
 それでどうして私が工場での仕事が長く感じ続けるのか。ベルトコンベア前でずーっと同じ行動をしていたら、オフモードに入って時間の感覚が抜け落ちていくはずではないか。
 実際その通りだ。私は仕事している間、ずっとセットされた動きを繰り返し続けている。ここに私自身の意識・認識はほぼ介在していない。体は完全にオフモードだ。
 でもすでに答えは書いてしまっているが、私は作業している間ずっと小説のアイデアであるとか、次にやろうとしてるものの構想とかを頭の中で転がし続けている。実際、この仕事を始めてから新しいストーリーのアイデアは5、6本くらいは生まれた(あえてメモを取っていないので、正確に何本くらいになっているかよくわからない)。そのうちの何本かはバイト終了後、実際に制作を始める予定に入れている。
(それで気付いたことだが、頭の中の構想内容がある程度複雑になったり、新奇なイメージに行き着いたとき、仕事している手もはっきりと鈍重になる。処理速度が遅くなる。脳内メモリーを圧迫するようだ。新しい発想に行き着いたときが一番楽しくなる瞬間でもあるのだが、仕事に差し支えが出てしまうのが厄介だ)
 私はずーっと脳みそが動き続けてるタイプらしい。これは私固有の特性のようだ。だから同じ仕事をずーっとし続けても時間の感覚が省略されない。時間のボリュームを認識し続けている。あとやはりずーっと考え事をし続けているわけではなく、ふと「あ、考えることなくなっちゃったな……どうしようか」という間もある。こういうときはものすごく暇になる。いや、体は動かし続けているので、脳みそだけが暇になる。

 以上が私が仕事をしながら、なぜ時間が長く感じるのか、あるいは逆に短く感じるのか、気付いた2つのことである。
 最初に示した、「なぜ3倍に感じるのか?」の問題はまだ解決できず。どこかで気付けば書き足しします。
 もしかしたらオフモードとオンモードを組み合わせたら、時間が長く感じられるようになるものなのかもしれない。例えば「明晰夢」(見たことないけど)の状態だと時間が長く感じられる……というが、この状態に近いのかも。


【まとめ】
なぜ時間が短く感じるのか?
 ・そもそも記憶していないから。全部忘れて、忘れていることにも気付かない。
 ・オフモードに入るから。人は日常的な繰り返しの動きをするとき、「人形」つまりロボット的に行動している。

オフモードとは? なぜある?
 ・日常的な繰り返しの動きをスムーズに行うために、オフモードがある。
 ・オフモードは同時にオンモードも機能させることができて、オフモードの動きをよりよくすることができる。
 ・オフモードは高次な生活を支えるためにある。
 ・なにかトラブルが起きたとき、対処法を探すためにオンモードに戻る。

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とらつぐみ
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