映画感想 ドント・ブリーズ2
今回視聴映画は、こちらも「声を出してはならない映画」――『ドント・ブリーズ2』。前作『ドント・ブリーズ』は最終的な興行収入がなんと1億5000万ドル。しばらく『ドント・○○』といったパクリ映画が流行したくらいの社会現象大ヒットとなった作品だ。
その第2作目がこちら。『ドント・ブリーズ2』。盲目の最強老人は生きていた。あれから何が起きたのか……あの物語の「その後」が描かれる。前作では老人は「敵」として描かれていたが、今作では「主人公」として描かれる。
本作の評価だが……最終的な興行収入が4700万ドル。なんと3分の1。第1作目の評価が映画批評集積サイトRotten Tomatoesでは88%が高評価。平均点は10点満点中7.3。これに対して2作目の評価は高評価が44%、平均点は4.9。実は「残念な続編」なのだ。
実際に見てみると、確かにあまり面白くない。1作目の良さはどこにもない。その理由を含めて、本編を観てみよう。
まずストーリーから。
あれから8年。盲目の老人ノーマン・ノードストロームは11歳の少女フェニックスと犬のシャドーとともに静かに暮らしていた。一見すると穏やかな日常に思えたが、ノーマンはフェニックスに対して外出は認めず、なかば家の中で監禁暮らしをさせていた。
そんなノーマンのところに、時々ヘルナンデスという女性が訪ねていた。ヘルナンデスはフェニックスの境遇に同情し、ノーマンを説得し、一時的な外出を認めさせるのだった。
しかしその外出時に、いかにもなガラの悪い男に絡まれる。街ではちょうど、子供の誘拐事件のニュースが流れていた。ヘルナンデスはすぐに様子がおかしいことを察して、フェニックスを連れて帰るのだった。
だが男達はフェニックスを諦めていなかった。その夜、男達はヘルナンデスを襲って殺し、フェニックスを誘拐しようとノーマンの家へ忍び込むのだった……。
ここまでのあらすじで15分くらい。この後の展開については特に語ることがない。ノーマンの家に忍び込んだ悪漢達が、盲目老人ノーマンと戦うことになる……後の展開はえんえんこれだけなので、基本的なあらすじは以上の内容でだいたい全部ということになる。
前作、トラップハウスだったノーマン老人の家は普通の家に戻っていた。養子なのかわからないが、女の子を迎えて、穏やかな老後の生活を営んでいた。
そこに、子供を誘拐しようと悪い連中がノーマン老人の家に忍び込んでくる。ノーマン老人はその男達と戦うのだが……。
すぐに「おや?」と気になったのが、ノーマン老人の「盲目」設定がほとんど活かされていないこと。盲目だからこその戦い方……前作では電源を落として、照明なし、暗視カメラだけの状態で、俳優達が暗闇の中を彷徨い、ノーマン老人に次々に殺されていく場面が描かれていたが……。今回ではそういう、「盲目」ならではの戦い方がほとんど描かれない。
まったくないわけではなく、水面に立つわずかな波で相手の位置を把握したり、あたりを真っ白なガスだらけにして相手の視界を奪ったり……といった場面はあるが、それもほんの少し。第1作目の「盲目の最強老人」ぶりは第2作目ではかなり大人しい。
それに、アクションでカットを割りすぎ。「盲目だけど最強」というアイデアは、日本の任侠映画『座頭市』を参考にして生まれたと言われるが、『座頭市』こと勝新太郎の凄さは、ほとんどのアクションシーンをノーカットで演じてみせたこと。ノーカットで目を閉じた状態のまま、向かってくる敵を超高速で斬りつけていく。これが痛快だからこそ良かったのだが、あの演技の凄さを知った後で見ると、ノーマン老人のアクションは鈍重すぎだし、段取りっぽく見えてしまう。
それでも良かった場面はある。
悪漢達がノーマン家に忍び込んできた後、少女フェニックスはすぐに「誰か良からぬ人が来た」ことを察して隠れる。ここからノーカット長回しだ。男達がフェニックスを探し、フェニックスは隠れ場所を次々と変えていく。この長回しのシーンがかなりすごい。ノーマン老人から受けた“特殊な教育”の成果が現れる場面だ。男達から身を隠し、1階に下りていくのだけど、ちゃんと男達の足音のタイミングに合わせて飛び降りている。普通の暮らしをしていた女の子ではないことがわかる。
少女フェニックスに関する描写はおおむね印象は良く、ノーカット長回しのステルス描写もそうだが、本作は始まってからちょうど50分ほどのところ、映画の中間地点になるところで大きな“ツイスト”が入る。それがなんなのかは明かさないが、フェニックスにまつわる“真実”は伏線がきちんと効いている。「納得感」のある展開がしっかり作られている。ノーマン老人よりも、フェニックスが主人公だった……というほうが、シックリくるくらい作り込まれている。
そのツイストがあって、ノーマン老人の立場が一回変わる。今作におけるローマン老人は、「孫と静かな余生をおくる老人」だったのだが、実は……。第1作目の中盤でもとんでもないツイストが入って、老人が度しがたい“狂人”であったことが判明するのだが、第2作目でもやはり狂人だったことがわかる。
ここで見る側の倫理観が揺らぐ場面だ。第1作目では「恐るべき老人」だったノーマンを第2作目では主人公として描いている。すると見ている側は、「ノーマン老人が正義」であることを期待する。ノーマン老人は悪漢達と戦うのだが、その行動に正当性があることを期待する。しかし、始まって50分ほどのところのツイストで、ノーマン老人に正当性がないことが明らかになってしまう。そこで、観客はノーマン老人を支持したい気持ちが揺らいでしまう。
その後、ノーマン老人の上を行く、さらに度しがたい悪人が出現してしまったことで、翻ってノーマン老人の行動に正当性が出てくる。
(そもそも1作目も主人公達は「空き巣」で、正当性がなかった。中盤のツイストでローマン老人が“狂人”であることが判明して、はじめて正当性が生まれる……という構造だったが。第2作目では同情したいと思えるキャラクターがいない、ということが問題だ)
制作者はノーマン老人を「正義」として描くことはできなかった。ノーマン老人はやはり悪人。だがノーマン老人を立たせるために、その上をいく“極”悪人を登場させる。でも、見ている側の気持ちとしては「どっちもどっちだなぁ」という感じがしてしまって……。どっちにも感情移入できない。ただただフェニックスが不憫だ……と。
第2作目の失敗は、まずノーマン老人の「盲目」設定を活かせてないこと。アクションは一杯あるのだけど、あれだったら別に盲目であってもなくても一緒。そのアクションだけど、やたらと暴力描写キツめで、見ていてしんどい場面も多い。
次にノーマン老人に感情移入できないこと。いったい誰に気持ちを預けて見ればいいんだ……となってしまう。結局ノーマン老人も狂人だし、その敵となる悪漢達はその上をいく狂人だけども、だからといってノーマン老人を応援したい気持ちが芽生えるわけでもないし……。
作劇上の疑問点も2つ。
1つ目は“犬”の扱い。悪漢達はノーマン老人を追い詰めようと、犬をけしかける。その犬が……いとも簡単にノーマン老人に手懐けられてしまう。犬が秒速でご主人を裏切ってしまう。さすがにあの流れはわざとらしい。段取りっぽくみえる展開だ。
もう1つは、悪漢達の1人が、仲間達の悪行にみかねて裏切るのだけど、その行動もあまり物語の展開に対して機能的に働いていない。裏切った悪漢は、ノーマンにボスがどこへ行ったのか教えてしまうのだけど、別にあの局面で教えられなくても、ノーマン老人はきっとボスを見つけ出しただろうし……。あの裏切りが物語の動線を引っかき回すほどの効果を出していない。
第1作目は面白かったのにな……。確かに色んなところで評価されているように、「残念な続編」だった。
物語を作る上での躓きは、ノーマン老人をどうやって「主人公」にするか。主人公である限りは、その行動に正当性は必要だし、倫理観に基づいていなければならない。しかしノーマン老人は相変わらず“狂人”……。そんな老人に、どうやって感情移入すればいいのか、と。ノーマン老人を「応援したい」気持ちになれない。かといって、悪漢達はそのうえを行く極悪人で……。いったい誰を追いかけて見ていけばいいかわからない。どこに感情を預けていいかわからないから、展開にも痛快さがない。アクションにも引っ掛かりはあったけれど、最大の引っ掛かりは、やはりどこにも感情移入できないこと。
そもそもノーマン老人は1作目の時点で狂人だった。そのイメージを2作目の段階で動かせなかった。どうせ主人公にするんだったら、思い切ってローマン老人を「正義の老人」にしてしまってもよかったじゃあないか。幼い娘を悪漢達から守るために、身を挺して戦い続ける……そんなお話だったら感動もできたかもしれなかったのに。
同じく声を出しては行けない続編『クワイエット・プレイス2』は面白かったのにな……。続編がいかに難しいかがわかる1本だった。
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