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映画感想 ドラえもん のび太の宇宙小戦争2021

 ミニチュアの戦争が現実になった!?


 『ドラえもん のび太の宇宙小戦争2021』は2022年公開の作品だ。シリーズ通算41作目。声優が交代した2006年以降、『ドラえもん』の映画は必ず毎年公開されていたが、本作だけは新型ウィルスの蔓延のために1年延期された。それで2022年公開なのに、タイトルにだけ「2021」が残ることとなる。
 原作となっている藤子不二雄による『のび太の宇宙小戦争(リトルスターウォーズ)』が発表されたのは1984年から1985年。大長編シリーズ6作目だった。
 本作のもともとのアイデアは、タイトルに「リトルスターウォーズ」と入っているように、映画『スターウォーズ』に触発を受けて描かれている。これに『ガリバー旅行記』のリリパット国と古典SF『縮みゆく人間』などがアイデアとして加わり、この形になったとされている。
 監督は山口晋。1989年頃からアニメーターとして数多くの作品に関わり、『機動戦士ガンダムAGE』『劇場版ケロロ軍曹』シリーズの監督を務めた。
 2011年公開の『映画ドラえもん 新・のび太と鉄人兵団』にアニメーターとして加わった後、『ドラえもん』のテレビシリーズで演出を手がけるようになり、ついに本作にて監督を務めるようになった。


 それでは本編ストーリーを見ていこう。


 のび太たちはスネ夫家の庭でミニチュア特撮をやっていた。しかしのび太は失敗ばかりして、撮影が何度も滞ってしまう。怒ったスネ夫とジャイアンはのび太をゴミ捨てなどの雑用をやらせるのだった。
 ゴミ捨て場へ行ったのび太は、そこで奇妙なくらい精巧なロケットの玩具を発見する。これはスネ夫のミニチュア撮影に使えるんじゃないか……。のび太は夢中になってロケットをみんなに見せに行こうとするが、結果として撮影を邪魔してしまうことに。
「もう帰ってくれ!」
 とうとうのび太はミニチュア撮影のグループから外されてしまうのだった。
 トボトボと帰宅するのび太だったが、その途中でロケットの玩具が勝手に動き始める。中に何か入っているのか? 帰宅してロケットの扉を開けようとすると、中から声がする。
「やめてください。これから出て行きます。どうか乱暴はしないでください」
 ロケットの扉が開き、中から小人が出てきた。小人はパピと名乗った。地球までやってきたが、ロケットが故障して帰れないという。のび太とドラえもんは宇宙人のパピを歓迎し、ロケット修理が完了するまで家に住まわせることに。
 翌日、しずかちゃんに連絡を取り、ドールハウスの家を持ってきてもらい、パピと一緒にドールハウスでの一時を過ごす。
 そんな一時の間に、パピは古里の様子を話す。パピの古里であるピリカ星では優秀であれば8歳で大学を卒業することができて、卒業後は大人も子供の区別もなくなる。本当に優秀な人であれば、10歳で大統領になることも……。
 間もなくしずかちゃんが帰宅し、入れ違いにジャイアンとスネ夫がやってくる。パピの姿を見たスネ夫は、「ピンと来た!」とパピを撮影に参加させることに。みんなでスモールライトで小さくなり、ミニチュアセットの中に入って撮影を再開。
 そんな撮影の最中、頭上を巨大な鯨型戦艦が横切る。
 あれは何だ……。スネ夫が作ったものではない。ドラえもんが作ったものではない。じゃああれは……。
 鯨型戦艦は突如のび太達を攻撃する。のび太たちはバギーに乗って、道路へ飛び出す。鯨型戦艦はのび太達を追って道路に出て、そこでトラックと衝突してしまう。どうにか難を逃れることができた。
 その後、パピは語る。あれはPCIA(ピシア)の宇宙戦艦。惑星ピリカは平和な場所だったが、ギルモア将軍が軍事蜂起して政府を乗っ取り、自身を中心とする軍事政権を打ち立てた。ギルモア将軍は自身に反抗する勢力を攻撃するために、ピシアという組織を結成。その長官であるドラコルルが悪魔のような男で、手段を選ばず反抗勢力を潰していったのだった。
 ギルモア将軍とドラコルル長官の狙いはピリカの大統領――つまりパピだった。パピを掴まえ、国民に自分の権力を知らしめようとしていた。
 のび太達はそんなことは許せない、パピを守るぞ……と誓い合うのだった。


 ここまでで20分。


 原作である『のび太の宇宙小戦争』は「リトルスターウォーズ」というルビが振られているように、アイデアの元ネタは『スターウォーズ』。その『スターウォーズ』の世界観というのはミニチュアセットによる特撮で作られている。そこで映画は、まずそのミニチュア特撮の世界を見せている。
 そのミニチュア特撮のシーンは、本当にミニチュアで作られている。作品のテーマに合わせた映像だ。そしてそのミニチュアセットとぴったりサイズの宇宙人パピが現れる。のび太達はスモールライトでパピと同じ大きさになって、特撮撮影を楽しんでいたら、空に宇宙戦艦が現れる。
 ミニチュア撮影で遊んでいるつもりが、いつの間にか「本当」になった瞬間だ。まずはじめに子供たちが遊びでミニチュア撮影をやっているところを見せて、じわじわとそのミニチュア撮影が「本当」になっていく様子を見せている。どこかミニチュア特撮の映画を観ていて、その映画の登場人物になっていくような気持ちを物語のなかで再現しているようでもある。
 スネ夫が撮影している映画のタイトルが『宇宙大戦争』。『スターウォーズ』が最初に日本で紹介されたときのタイトルが『宇宙戦争』だったから、それを意識している。その『宇宙大戦争』に対して、本作のタイトルが『宇宙小戦争』。タイトルの付け方もうまい。
 それで、のび太達はスモールライトで小さくなったまま、「道路」へ飛び出す。つまり「自宅の庭」という安全な場所から出て、「外の世界」へと飛び出して行く。
 「もう遊びじゃないんだ。アニメじゃないんだ」……そう感じさせる物語展開になっている。このお話の作りはさすが藤子不二雄先生。導入部はめちゃくちゃに上手い。
 もうちょっと後になるが、スモールライトを奪われてしまって、のび太達は元の体に戻れなくなる。「小さくなっている時」というのはあちらの世界……つまり惑星ピリカを中心とする小人世界の原理に服従している状態だし、「遊びの世界」から抜け出られなくなった状態。スモールライトで小人状態を解除できれば、そこから出ることができるが、スモールライトを奪われたことによって、それができなくなってしまう。スモールライトをキーアイテムにしているところもまたうまい。
(ただ、これまでの『ドラえもん』設定を知っていると、ビッグライトを使えばいいじゃん……とつい思ってしまう。「今回はビッグライトの存在はなかったことに」……というのは『ドラえもん』ファンにはなかなか難しい。ここはビッグライトが壊れていた、紛失していた……という設定も欲しかった)


 導入のお話は秀逸なのだが、しかしその後はあまり……。少しずつ作劇上のほころびが見え始めるのだが……。
 それは後半に語るとして……


 続きのストーリーを見てみよう。


 長官ドラコルルの乗る鯨型宇宙戦艦はトラックとの衝突で航行が難しいほどの損害を負ってしまう。しばし裏山に潜んで、探査球を街に放つのだった。
 一方のび太たちもパピの宇宙船修理を手伝う。そこに、ふわふわと探査球が迷い込んでくる。ドラコルルの探査球だ。ドラコルルが町中を監視していることに気付いたのび太とドラえもんは、こっそりしずかちゃんの家へ行き、パピをかくまってもらうことに。それでも心配だから、「壁紙秘密基地」をつくり、その中で潜んで宇宙船修理を続けることにする。
 数日後、のび太、ドラえもん、ジャイアン、スネ夫の4人がしずかちゃんの家へ行く。しずかちゃんは留守のようだった。のび太達は気にせず壁紙秘密基地の中へ入っていき、打ち合わせをする。
 ドラえもんは、のび太の家に迷い込んだ探査球から発信源を突き止めた、と発表。その場所は裏山! 今なら敵も油断しているはずだから、こっちから出向いてやろう……と戦車で突撃するのだった。
 一方、ドラコルルも壁紙秘密基地の存在に気付き、裏山を離れる。そのタイミングでしずかちゃんが帰宅し、スモールライトで小さくなって、ドールハウスの小さな家の中で牛乳風呂を楽しんでいた。
 しずかちゃんが外に飛び出すと、壁紙秘密基地の中はピシアの兵隊だらけ。しずかちゃんは掴まり、スモールライトも奪われるのだった。
 その頃、のび太達は裏山に到着するが、あの宇宙戦艦の姿はない。帰宅するとドールハウスが破壊され、見たことのない文字でメッセージが残されていた。
 しずかちゃんが連れさらわれたらしい。どうしよう。のび太たちは戦うために戦車にさらなる改造を施すのだった。
 その間に、パピはこっそり壁紙秘密基地を去って行く。
 パピは1人でドラコルルが指定した公園の噴水前へやってくる。そこで取引をして、しずかちゃんを解放させ、自分が人質になろうとした。
 そこに、戦車を改造したのび太達がやってくる。戦車は空を飛び、宇宙戦艦を襲撃。ドラコルルたちの虚を突いて、パピとしずかちゃんを救出するのだった。
 無事にしずかちゃんとパピを救い出すことができた。安堵する一同の前に、探査球がやってくる。探査球は映像を見せる。ドラコルルは惑星ピリカに帰るという。
「大統領。あなたには間もなく行われる戴冠式に出席してもらいたい」
 ドラコルルは人質にしているピイナ姉さんの姿を見せる。パピが姿を見せなければ、ピイナの命はない……とドラコルルは告げるのだった。
 ピイナと惑星ピリカを救わねばならない。のび太達はパピのために一致団結して宇宙を目指すのだった。



 ここまでで40分ちょい。後半戦への物語展開が作られている。
 40分の間に地球での冒険が上手くまとまり、さらに次なるステージへの展開が作られている。その切っ掛けとなるのがピイナ姉さんというキャラクター。原作版には登場しないキャラクターだが、この新しいキャラクターのおかげでパピが惑星ピリカに戻る動機が作られている。この辺りの追加設定もうまく機能している。


 お話の構造自体に問題はほとんどないのだが、しかし少しずつ作品にほころびが現れてくる。
 まず第一に、「構図」が単調。ほとんどのカットがキャラクターを中心に構成されていて、周囲の空間があまり見えないし、構図も映画的な外連味に欠ける。なんだかテレビスペシャルでも見ているみたいだな……という気分になってしまう。
 劇場版『ドラえもん』の場合、ここではない異世界へお話が展開していくのだから、レイアウトで新しい世界観を見せること、世界観の広がりを見えること、が大事になってくるのだが、レイアウトが「映画的な構図」になっていない。そこで没入感に欠ける。
 「ドラえもんの映画にレイアウトを気にしてどうするんだ」と思われそうだが、キャラクターがシンプルに表現されている作品こそ、構図は大事。『のび太の南極カチコチ大冒険』や『のび太の新恐竜』の2作は構図がしっかり決まっていたから、それだけでも見応えありな作劇になっていた。『ドラえもん』はキャラクターもシンプルで線も少ないからこそ、むしろ構図を決めないと、どうにも安っぽくなりやすい。だからこそ構図にこだわった方がいい。


 小さな引っ掛かりポイントだが、後半、ギルモア将軍の顔をクローズアップするシーンがあるのだが、ここにアニメ演出上の失敗をしている。アニメでああいったクローズアップシーンを作るとき、大判の動画用紙……要するに普通の動画用紙より大きなサイズの紙に絵を描く。普通サイズの動画用紙に描いてクローズアップすると、線が太く映り、あまり画面映えしない。そこで大判動画用紙にキャラクターを大きく描いてクローズアップする……というのがアニメ演出のセオリーだ。
 ところが、普通サイズの動画用紙に描いて、キャラクターの顔にクローズアップする……という演出法が採られていた。ベテラン監督とは思えない、ニアミスである。


 次の問題は、惑星ピリカの光景が平凡だったこと。
 惑星ピリカの風景は、南米のどこかの軍事独裁政権の国みたいな雰囲気……。破壊された町並みに、武装した兵士がウロウロしているという風景だ。
 この光景があまり「異世界」という感じではない。どこか地球の延長、地球の風景を移し替えたもの……という感じに見えてしまう。『ドラえもん』はSFで、惑星ピリカは地球から遠く離れた異世界。そういう場所だからこそ、独創性を発揮して欲しいところ。「地球とそう変わらない」という風景だったら、「遠いところへ来た」という印象が薄い。

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 パピがテレビに出て演説するシーン。とある家庭で演説を見ている風景、ファストフード店に備えられたテレビで演説を見ている風景が描かれた。この描写もどこかおかしい。
 まずとある家庭の風景だが、テレビの前に一家が集まっている……という風景は昔のアメリカ風の光景だ。それをそのまま別の惑星に置き換えただけ……という個性のなさも引っ掛かりだが、家の中の風景がさほど貧しそうに見せない。独裁政権が生まれつつあって、国民生活が脅かされている……という最中なのだが、そこからあまりにも縁遠い風景で「あれ?」となってしまう。
 次にファストフード店だが、まずハンバーガーらしいものを食べている……という時点でもはや異世界でもなんでもないのだが、こちらもやはり貧しそうな雰囲気が見えない。わりと気楽にファストフード店でハンバーガー食いながらテレビを見ている……という様子に緊張感がない。
 惑星ピリカの国民はギルモア将軍の圧政を受けて、最終的にはその圧政を跳ね返して自由を獲得する……という展開になっていくのだが、国民の様子にさほど切迫感がない。


 メカ描写も弱く、鯨型宇宙戦艦が砲撃するシーン、砲台がまったく描かれていない。いったいどこから光線を発射しているのかよくわからない。こういう手抜き設定も引っ掛かりどころ。メカはきっちり描いたほうが説得力に繋がる。
 ギルモア将軍の反対勢力が宇宙の秘密基地の中にあるのだが、その中の風景がありきたりのSF風景……というか、「なんとなく描いている」感じにしか見えない。床や壁に線を入れたりパイプを書き込んだりしているが、ああいった描写は30年前のSF描写。最近のSFはもっと現代の考証に基づいて描かれるもの。明らかに時代遅れのSF描写にガッカリしてしまう。
 「ドラえもんの映画にSF描写を求めてどうするんだ」と言われそうだが、『ドラえもん』はそもそもSF作品だし、藤子不二雄はSF考証をしっかり立てた上で冒険物語を組み立てていた。決していい加減ではなかったし、「雰囲気だけ」でも描いてなかった。あれでもその時代の考証と映像感で描かれた作品だった。それを現代にアップデートできていない。藤子不二雄の作風をきちんとくみ取っているとは言いがたい。(『のび太の新恐竜』は今の時代の研究に基づいてアップデートが図られたのに……)


 次の引っ掛かりポイントは、結局のところスモールライト奪還は成功せず、勝手にスモールライトの効果が切れて元の体に戻れる……という展開となってしまうところ。あれ? スモールライト奪還しなくても良かったんじゃないか。
 映画の後半戦に入り、スネ夫が戦意喪失してしまうのだが、それでも戦うしずかちゃんに様子を見て、どうにか奮起して戦場へ出る。その心理と連動してスモールライトの効果が切れる。のび太も間もなくスモールライトの効果が切れるのだが、それもパピを救おうとして思い切った行動に出た瞬間。どちらもキャラクターの心理という前提があって、キャラクターたちが「覚醒」するようにスモールライトの効果が切れる……という展開となっている。
 このお話の展開自体はいいのだが、それにはまずスモールライトにもやがて効果が切れることがある……という前提を作って置かないと。この前提を作らなかったから、どこかご都合主義的に感じられてしまう。ここはお話作りの手順を誤った……というところで惜しかったポイント。


 『のび太の宇宙小戦争2021』は引っ掛かりポイントが多く、あまり映画的なスケールが感じられなかったところが惜しいところ。お話の導入部は面白かったし、全体を通してスネ夫をドラマの中心に置いたところといい、良いところはある。『のび太の宇宙小戦争2021』はスネ夫の物語である。しかし映像に語るところがなかった……というのが本作の惜しいところ。どこかテレビスペシャル版の延長を見たという感じで映画になっていない。ストーリーの骨格自体はどこにも悪いところはなかったのだから、あと一歩足りなかった作品だった。



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