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平野啓一郎
2015年10月29日 10:00
医師は、祖父江のことも蒔野のことも知らなかったが、担当になってから興味を持ったらしく、CDにサインを求められ、以来、リハビリの説明も、楽器の演奏を例に出す機会が増えた。 蒔野は演奏家として、そんなことを一々気にしながらギターを弾くわけではなかった。 神経科学についても、定説とされている話を、漠然とイメージするに過ぎなかったが、演奏に関して、芸術表現がその陳述的記憶に、運動能力が非陳述的記
2015年10月28日 10:00
酷い有様だった。しかしとにかく、目の前の楽器を弾けないというあの耐え難い苦しみは、終わったのだった。それを実感し、安堵すると、彼は、自分がつい今し方まで捕らわれていた恐ろしい場所を振り返った。そして、もう二度と戻りたくないと心底思った。 皮が薄くなってしまった指先には、弦の摩擦の初々しい痛みと熱が残っていた。どこか照れ臭いような喜びが、全身に染み渡っていった。 ――なぜ一年半もかかってし