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捕手と、彼らをつきまとう言葉たち。

去年から趣味の一つになった野球観戦。
元々スポーツ観戦は好きだったけど、ここまで野球が好きになったのは「捕手」というポジションの存在が影響しています。

底知れない努力、
彼らが常に背負っている責任の重さ、
熱気溢れる球場での彼らの存在感、
その全てにどこか魅力と哀愁を感じるのです。

私の推し選手も捕手だし、友人らと他球団の試合やを見にいっても基本的にはホームベースしか見ていません(他の選手をよく知らないというのもあるけど)。気まぐれに見てる高校野球も、大学野球もそんな感じで、各チームの選手たちを知れば知るほど、面白さが増して虜になります。

そんな超野球ファン初心者にして大の捕手好きの私ですが、

「なんでこんなに捕手推しって辛いんだろ」

と思ってしまうことが多々あります。

そう感じてしまう理由は幾多とあるのですが、根本にある要因はなんなのか、と考えてみた時に捕手というポジションをつきまとう言葉の多さがあるように思います。

まず一番に、スターティングメンバーとしてその球団を代表する「正捕手」

主役である投手を支える”受け手”としての「女房役」「正妻」

唯一グラウンド全体を見渡せる守備位置から「扇の要」「司令塔」

あとは「リード」「チャッチング」「フレーミング」「ブロッキング」とか、テクニカルな用語があげられるように思います。

果たして野球において、ここまで言葉がポンポンと出てくるポジションがあるでしょうか。決してその単語一つ一つを使用することに対し真っ向から否定する気持ちはないのですが、どうしても記事やテレビで目にすると胸騒ぎがしてしまうのです。

多くの単語が連想されるということは、その分実際に選手やファンに対して

差し出される言葉のナイフの本数も多い

からです。

ちょっと今回はそんな「捕手」というポジションを言葉から読み解いていきたいと思います。

(不毛な)正捕手争い

そこのあなた、読んだ瞬間絶対鼻で笑いましたよね。

はい、どこの球団にも(なぜか)存在して必要以上に騒がれる「正捕手争い」です。

はっきり言って、なんでこんなものがそもそも存在しているの?というのが私の考えです。以下はめちゃくちゃ素人の意見なので、気に入らない方は飛ばしてくださいね。

もちろん、全試合任せられる捕手がいることに越したことはありません。
どの選手もできるだけ多くの試合に出たいですし、ファンもその姿が見たいです。ですが、この今のプロ野球界において、この社会において、本当にそれが相応しいことなのでしょうか。

一人の捕手に頼らない体制のことを「併用」というのですが、メリットとしてよく挙げられるのが疲労の軽減です。

捕手の大変さを素人の私が偉く語るのはおかしな話なので、ソフトボール経験者の幼馴染に話を聞いてみたところ「あまりにも他のポジションとの準備と調整の量が違う」そうです。

捕手が共にバッテリーを組む投手は、「試合はピッチャーで8割は決まる」と言われるくらい責任が大きいポジションです。そんな投手に対し、配球やゲームを組み立てる難しさ、ボールを取る技術の難しさにプラスして、バッターとして打てることも求められています。

純粋に休みの日ができるので、肉体的にのみならず、頭そのものを休ませることが出来ます。「休める」という言葉に対してネガティブな印象を持たれていること自体が、労働観の変化に追いついていないのかもしれませんが・・・。

捕手は野球において、一番頭を使うポジションと言っても過言ではありません。球場でも、テレビで見ていてもわかりますが、常に捕手は投手とコミュニケーションを取り、グラウンド全体を非常によく観察しています。打者の腕や足の位置、一球ごとの表情はもちろん、塁にいるランナーの動きもその一つです。「司令塔」と呼ばれる理由はここに詰まっています。

あと、捕手のタイプも色々ありますが、投手も十人十色。スピードや落ちる球でドスンと空振りを取らせに行くタイプもいれば、緩急を巧みに操って打者を翻弄するタイプもいます。

もちろん、どの捕手とでも常にいい状態で投げられる投手こそ名投手なのかもしれませんが、勝利においてあの孤独なマウンドで「安心して投げられる」捕手の存在も重要なファクターではないでしょうか。こればっかりは人間関係同様、相性もあるように思うのです。選手はロボットではないのですから。

「正捕手がいなければ名捕手は生まれない」とかよく言われますが、本当にそうなのでしょうか。選手にベストなコンディションを維持して試合に出続けてもらうためにも、一度冷静になって考え直す必要があるように思います。

正捕手論争が大好きな人たちは、ここまで考えて実際に議論をしているのか疑問を持たずにいられません。「正捕手」という言葉にがんじがらめになり、一人一人個性のある捕手というポジションを「メイン」か「サブ」でしか見れてないことは非常に勿体無いように思います。

誤解されたくないのは、健全なスタメン争いは大歓迎ですし、むしろそれを見たい、ということです。結果でしか評価されない世界ですから。あと、「うちの正捕手は〇〇」と豪語するのは自由ですし、考えを否定する権利は私にありません。ですが、同時に選手の上げ下げをしたがる人たちが大勢いるのも事実です。

その大半は根拠のない感情論やデータの歪んだ解釈をもとに語られています。誰かターゲットをみつけて意味のわからない理由で叩きたいだけ。 SNSは不特定多数の人々が目にする媒体です。自らのみならず、応援している選手の評判・イメージも悪くするという基本的なことがわかっていないのは、いかがなものでしょうか(そこの信者たちよ)。

「妻」という呪い

最初に捕手と聞いて大半の方が思い浮かべるのは、「女房役」という言葉だと思います。試合を引っ張る投手を夫に例え、支える存在としての、妻。

はっきり言って古臭いこの表現には吐き気がします。

決して「妻」という存在そのものを否定している訳ではなく、私も女なので結婚すれば必然的に誰かの「妻」になるわけなのですが、捕手に対してこの表現を用いるのは時代錯誤も甚だしいです。

「正妻」と言った表現が一番それを分かりやすく表しているかもしれません。控え捕手は一体、なんと呼べばいいのでしょうか。控えだって、出番が来た時にはすぐ活躍することが求められているのですから、十分な重役を背負っています。

あまりジェンダーの話をスポーツに持ち込むのは好きではないのですが、日本社会におけるミソジニーが垣間見える表現のように思えてなりません。ミソジニーは和訳すると「女性嫌悪」という意味になりますが、単なる女性一般への嫌悪感ではなく、男性の抱く幻想を”裏切った”女性に対するバッシングのことを指します。

捕手というポジションに対し「妻」という言葉が使われることで、「気配り」「優しさ」「思いやり」といった女性的な概念が歪んだ解釈で持ち込まれ、必然と「大黒柱の夫(投手)が気持ち良く試合を作れるようにする補佐役」という考えが浸透してきたように思います。

これ自体は悪くないですし、捕手個々人の人間性が現れる面白いところでもあるのですが、問題なのは「わきまえていない」と捉えられてしまう場面です。一番わかりやすい例を挙げると、投手が打たれてしまった時、いつも批判を浴びるのは浴びるのは投手ではなく捕手です。

親の顔より見た「リードのせい」

よく捕手に対して言われる「リードのせい」。最近も解説者がそんな発言をして炎上していましたが、このよく聞かれる批判の根底にも捕手=妻、という呪いが潜んでいるように思っています。

具体的にいうと、妻(捕手)は「支える存在」として夫(投手)に「従順でなくてはならない」という考えです。ですが、実際に日々試合を見ていて一番痛感しているのは、バッテリーとは一方的に支えることだけじゃなくて、互いを引っ張っていく相互関係にあるということです。

ベテラン投手が若手捕手を育てるという場面がよく語られがちですが、ベテラン捕手が若手投手を育てる逆のケースも多くあります。

少し前に元投手の方がテレビで解説をされていた際、若手投手を引っ張る中堅捕手のことを「投手の自信がつく球種を組み立てて作り出そうとしているリードですね」と評価していたこともありました。その上で若手投手に対し「考えていることを汲み取って投げれるようにならないといけないですね、」とエールを送っていたのも印象に残っています。

分かりやすい一例として挙げましたが、これは若手投手に限った話ではありません。20代後半の投手相手でも、調子の悪く球が高めに行きがちな時はあえて低めに構えることで感覚を取り戻させることもあります。

逆に、投手が2ストライクまで追い込んだ後捕手のサインに首を振りまくりあえてプレートを外し考えさせ、、、そこからアウトを取るシーンも時々目にします。そこから何を感じ取るかは人次第ですが、「投手の強気な姿勢が捕手を支える」という世間でよく言われるバッテリーとは少し違う関係性が垣間見れたような気がしました。

あくまでもリードは結果論で、構えたところにいつも投手が投げられる訳でも、正解がある訳でもないので難しいのですが、捕手自身の思惑を一言も聞いていないのに勝手な解釈で叩くのは納得できません。

そもそも、「男性的なもの」と必然的に解釈されている投手とここまで異なる価値観で見られてしまうのは、男性としての優越を担保したい、という無意識な考え方が背景にあるように思うのです。言葉足らずで申し訳ないのですが。

野球人口の大半は男性なので、必然的にそういった考えになってしまうのは仕方がないものなのかもしれません。記事を書いているのも、評論家も大半がおじさんです。ですが、今のマッチョな考えで見ていては時代の価値観から取り残れ、子供の間で人気が下がっていく一向です。

これからの世代の野球選手たちの将来を思うと、そっちに働きかけることの方がよっぽど意味のあることなのかもしれませんが「危機感を持ってくれ」と思わざるを得ません。

私たちに問いかけているもの

言わずもがな、野球は非常に保守なスポーツです。

あ、ウケ狙いではありませんよ(笑)

その点を踏まえ、SNSを日々見ていて疑問を持ってしまうのが、メディアは一体自らの影響力をどれくらい把握した上で日々発信しているのか、です。

「正捕手」と「控え捕手」という固定化したポジション観と、
捕手は「女房役」「正妻」という固定化したジェンダー観。

このnoteで問題視した「正捕手」「女房役」「正妻」「リードのせい」と言った表現は、日々記事や番組内で安易に使われています。個を見つめ、真実を人々に伝えることが第一の使命であるべきマスメディアが、社会のステレオタイプを疑うことなく報道を繰り返していては再生産されていくだけではないでしょうか。

同時に忘れてはいけないのが、私たちはマスメディアという「仲介者」を通してでしか監督や選手を知ることができないことです。真実は、彼らの頭の中にしかありません。取材に対しいつもそれをそのまま口にしてくれるとも、素人の私たちがわかるように話してくれるとも、そもそも記事にできるとも限りません。あくまでも、限られたほんの一部しか私たちは知らない、ということだけは確かでしょう。

どんなに「私にはわかる!」と断言しても、それは憶測の一種に過ぎません。だからこそ、マスメディアに煽られたような発言をしていては彼らの思う壺になっていてはみっともないですし、そもそも選手に対して失礼ではないでしょうか。それを自覚した上で記事や番組を見たり、発言しないといけないな、と自戒の念を込めて思います。自衛にもつながりますし。
あっ、ちょっと前回のnoteに似てきてしまいましたが・・・。

物事は全て捉え方次第です。

あくまでも、あ、こういうふうに思うめんどくせぇ人もいるのか、という程度に思ってもらえれば、それで十分です。自分の中でずっと便秘状態になっていたモヤモヤをスッキリさせたくて書いたので、もちろん賛同してもらえたら嬉しいですが、「ここはこうじゃないかな?」というコメントも是非聞いてみたいです。

同ポジション推しの皆さんはもちろん、例えば投手推しのファンの方にはどう映るのか。他競技の場合も気になりますね。特にサッカーのゴールキーパーとか・・・。

今回は「辛い」話が軸になってしまったので、いつかもうちょっと明るくて楽しい〜話題で捕手のnoteが書ければなぁ、なんて思ってます。

頼むから、くだらん言葉を吹き飛ばすくらい攻守で活躍して手のひらくるくるさせてくれ(切実)!!!!

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