佐草紗久作

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書けない理由を探しては

書けない理由をいつも探していた。 たとえば、文章下手だし。構成下手だし。言葉が出てこないし。頭、麻痺っちゃうし。書きたいこと頭の中から消えちゃうし。思い出しても、誰かが言っていることだろうし。言ってなくても、やっぱり伝わらないだろうし。誰かを傷つけるかもしれないし。そもそも誰も興味ないだろうし。などなど。 実業家も書く。芸人も書く。音楽家も書く。学者も書く。歌人も、写真家も、会社員も。皆様一様にわかりやすい構成、読みやすい文章、ハッとするアイデアに満ちていて、この大エッセ

    • 日々記2024.04.02~06

      先日、京都の誠光社という本屋に行った。 隣のカフェが満席だったので、予約待ちしている間にじっくりと棚を見て回った。 『歌というフィクション』という本が目に留まる。まえがきを読むと、何も詳しくないけれど興味はある言語学に関連させて「歌」を読み解くというような内容のようなので、いつか読みたいと思う。 続いてアガンベンの『バートルビー』論を手に取る。アリストテレスの名が見えて、いつか見たツイートを思い出す。アリストテレス、プラトン、トマス(アクィナス?)、スピノザ、カントの理

      • 日々記2024.04.01

        職場が変わった。 変わったので日記を再開した。 またすぐにやめてしまうかもしれない。 一応、書かなかったにも理由がある。 日記、というよりも、書くことそのものに理由があった。 虚飾性というのだろうか。 何か文章を書く際に、飾り立てを行うことに対して抵抗感があったのだ。 頭の中に浮かんでいる言葉の断片なりイメージなりは必ずしも十全に文章として表現できるわけではない。というよりも、十全に表現できることはない。 このことは文章を書く人、コミュニケーションを取る人、つ

        • 日記2023.08.11-16(下鴨納涼古書まつり編)

          京都の夏の風物詩に、下鴨神社の糺の森で開かれる古本市がある。それが、下鴨納涼古書まつりである。 近畿圏の古書店がテントを張って立ち並び、約80万冊の本が新たな持主を待っている。 今年は8月11日から16日までの開催だったが、15日は台風でお休み。 古書まつり編としたものの、実は初日しか行けなかった。 お金の問題もあり、猛暑の影響もあり、台風のせいでもあった。 だが、11日の買い物分で十二分に満足している。 下鴨納涼古書まつりに行くのは、京都に越してきてからの五年で三~四回

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        • 短編小説
          7本
        • 『家の馬鹿息子』を読む日記
          3本
        • 『ナボコフ全短篇』を読む日記
          37本

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          日記2023.08.09-10(本読むところを求めて編)

          久しぶりの日記。『家の馬鹿息子』はちょっと頓挫中。 9日。朝から出かける。友人と美術館に行く妻とわかれて一つ手前の駅で降りた。 誠光社でホッファーの『大衆運動』と『富士日記』に関する本を買う。 『大衆運動』は最近『百年の孤独』を読み、いま大江健三郎の『洪水はわが魂に及び』を読んでいることもあり、また自分の好きな作家のテーマの一つでもあって、衝動的に買った。 『富士日記』についての本は、注釈とか解説といったもので、近頃「ノートする」ということについて長期的に考えたいと思って

          日記2023.08.09-10(本読むところを求めて編)

          自己存在を保つための批評

          こういうことを言ったのは、後輩が、考え方やものの見方や論の語り方が借り物に感じられていて、自分から出たものじゃないと呟いたからだった。彼からしたら悩みというほどのものでもなく、ただなんとなく感じている違和感だったり不安だったり不満だったりするというだけなんだろう。 僕らは研究をやっている。研究には枠組みというものがあって、論文や発表はもちろんそれに従う。ただ、論文といえど何かを語る際に、自分のなかからはち切れそうな言葉があって、構成や構造をくずして、こわして、そこから飛び出

          自己存在を保つための批評

          賭けと悔過【短編小説】

           許せないほどのダニが湧いた。はじめは数も少なかったし、糸くずのそのまたくずかと思って気にもしていなかった。白い点の一つが海の満ち引きのような速度で移動していることに気づいたとき、咄嗟に人差し指ですりつぶした。黒くて安いメモパッドについていたそれは、絵の流れ星のような跡を残して消えていった。かけらの白さも残らなかった。指に死骸の潰れたのがついていると思うと、他の物に触れなくなった。  手を洗う。目に見えないものをそぎ落とすのに、手洗いはいいらしい。流水だけでもいいらしいが、

          賭けと悔過【短編小説】

          『家の馬鹿息子』を読む日記2022.04.08-10

          中島敦の「山月記」は何度も読んでいて、そのたびに李徴が虎になった姿を想像しているのだけれど、意識することなく小さく見積もっていたらしい。 本物の虎を見た。本物の虎は大きい。なるほどこれなら食われてもおかしくない。李徴はきっとあれよりも大きい。 動物園の檻の周りに、ウイルス対策だろうカラーコーンとコーンバーが置かれ、虎は守られていた。暑さからか、右往左往しながら巨体を揺らしている。人間の腕より太い尻尾が苛立たし気にしなる。 たいていの動物は暑さからか、容赦のない視線から逃

          『家の馬鹿息子』を読む日記2022.04.08-10

          『家の馬鹿息子』を読む日記2022.04.02-7

          春は忙しいし、サボりだすと歯止めがかからない。 新生活の準備と前田愛の『樋口一葉の世界』(平凡社・1993)を読むだけで一週間が消えてしまった。収録論文の並べ方がすばらしいことに気づく。 Ⅰ「閨秀の時代」「下田歌子」「一葉日記覚え書」 Ⅱ「一葉の転機――『暗夜』の意味するもの」「『大つごもり』の構造』「『にごりえ』の世界」「『にごりえ』断想」「十三夜の月」「子どもたちの時間――『たけくらべ』試論」 という構成なのだけれど、Ⅰでは、樋口一葉と同時代、あるいは少し先輩の女性

          『家の馬鹿息子』を読む日記2022.04.02-7

          『家の馬鹿息子』を読む日記2022.04.01

          『家の馬鹿息子』を読もうと思う。『家の馬鹿息子』は分厚い。 どうして『家の馬鹿息子』を読みたくなったかというと、とある料理本を読んだからだ。『海老坂武のかんたんフランス料理』という本。京都の恵文社一乗寺店で買った。この本には仏文学者の海老坂さんがふるまった料理の「◇レシピ」と、食卓での「◆おはなし」とで構成されている。サルトルの翻訳者である海老坂さんのお話に、『家の馬鹿息子』が出てくるのである。 僕に本を読ませる、あるいは買わせるキラーワードみたいなものがあって、たとえば

          『家の馬鹿息子』を読む日記2022.04.01

          『ナボコフ全短篇』を読んだ日記(ひとまとめ)

          この日記は、『ナボコフ全短篇』を読んだ日記をひとまとめにしたものです。ただそれだけのものです。45000字弱ほどあります。 2022.02.01~2022.02.06(2~10/68篇)2022.02.01(2/68篇) 『ナボコフ全短篇』を買った。一年ほど前のことだ。なぜ買ったかというと、柴田元幸さんと高橋源一郎さんとの対談『小説の読み方、書き方、訳し方』という本があって、それは僕の(普段使うことのない「僕」という一人称は、自分を他者になった気分にさせるために使われている

          『ナボコフ全短篇』を読んだ日記(ひとまとめ)

          『ナボコフ全短篇』を読む日記2022.03.23-25(68/68篇)

          「怪物双生児の生涯の数場面」「ヴェイン姉妹」を読む。 「怪物双生児の生涯の数場面」は、体がくっついて生まれた双子の話。ロイドとフロイドという名の二人のうち、フロイドが「ぼく」として語っている。 「ヴェイン姉妹」は、「私」とシンシア、その妹シビルと不倫関係にあったDとの関係性が描かれている。シンシアは非科学的な、オカルト的なものを信じていて、心霊術であったり、小説の言葉を飛ばして読んでいくと(縦読み的な)死者のメッセージであると思ったりしていた。Dからシンシアが亡くなったこ

          『ナボコフ全短篇』を読む日記2022.03.23-25(68/68篇)

          『ナボコフ全短篇』を読む日記2022.03.22(66/68篇)

          「ランス」「重ねた唇」を読む。 「ランス」は難解。一読何が書いてあるか判然としないが、なんとなく青年エメリー・ランスロット・ボークという人物が宇宙に行って、そして帰って来たのだと読める。宇宙への旅と、アーサー王の中世騎士道物語が重ね合わされて(ランスという名前も当然それに由来するのだろう)、歪んだレンズのような、あるいは「悪い日」などに出てくる色ガラスごしの景色を見ているような、不思議な読み心地になっている。 「重ねた唇」は、年を取ってから作家になろうとしたイリヤ・ボリソ

          『ナボコフ全短篇』を読む日記2022.03.22(66/68篇)

          『ナボコフ全短篇』を読む日記2022.03.21(64/68篇)

          「暗号と象徴」「初恋」を読む。 「暗号と象徴」は、精神錯乱で入院した息子に妻と夫が誕生祝いを渡しに行く話。息子の精神錯乱はタイトルにあるように、身の回りで起こることが自分個人の存在に対する暗号めいた言及だと思うようになる「言語強迫症」らしい。生身の人間はそこに加わっておらず、自然現象などによるもののようだ。たとえば、空の雲や木々や小石やにじみや日影のパターンなどに暗号を読み取ってしまうらしい。 「初恋」は、ナボコフの記憶を題材にしたっぽい、ナボコフには珍しい初恋を描いた話

          『ナボコフ全短篇』を読む日記2022.03.21(64/68篇)

          『ナボコフ全短篇』を読む日記2022.03.20(62/68篇)

          「時間と引潮」「団欒図、一九四五年」を読む。 「時間と引潮」は、重病から回復した九十歳の自然科学研究者の回想である。近景よりも遠景の方が、つまり近時のことよりも幼少年期のころの方がよく見えるとして、「私」はパリに生まれたこと、西欧を離れたこと、ニューヨークの摩天楼の印象――空を削り取るもの=スカイスクレイパーとしての摩天楼ではなく、夕日の中で、空と摩擦を起こさないそれ――や、アメリカを転々としたこと、寝台車のこと、そして、最後には特別な記憶として飛行機に夢中になったことが語

          『ナボコフ全短篇』を読む日記2022.03.20(62/68篇)

          『ナボコフ全短篇』を読む日記2022.03.19(60/68篇)

          「『かつてアレッポで……』」「忘れられた詩人」を読む。 「『かつてアレッポで……』」は、「V」に宛てられた書簡体小説。この書き手の「ぼく」はいかにも信用できない語り手で、手紙の内容は「ぼく」とその妻が大戦中、フランスからアメリカに行くまでの顛末を語るものだったのだけれど、そもそも妻が存在したのか、しなかったのかがはっきりしない。妻は「ぼく」とニースに向かう途中ではぐれてしまって、妻は最初は難民のグループといっしょに待っていたというのだが、なかなかビザがおりない日々のなかで、

          『ナボコフ全短篇』を読む日記2022.03.19(60/68篇)