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日記2023.08.09-10(本読むところを求めて編)

久しぶりの日記。『家の馬鹿息子』はちょっと頓挫中。

9日。朝から出かける。友人と美術館に行く妻とわかれて一つ手前の駅で降りた。

誠光社でホッファーの『大衆運動』と『富士日記』に関する本を買う。
『大衆運動』は最近『百年の孤独』を読み、いま大江健三郎の『洪水はわが魂に及び』を読んでいることもあり、また自分の好きな作家のテーマの一つでもあって、衝動的に買った。
『富士日記』についての本は、注釈とか解説といったもので、近頃「ノートする」ということについて長期的に考えたいと思っていたから、そこにぴったりはまるような気がして購入。

お昼を食べ、鴨川をくだる。三条のブックオフで『賢治と鉱物』などを買う。

丸善へ。『読書の日記』二冊と『群像』。『群像』は大江健三郎とキニャールの対談が気になって。買ってすぐ地下二階のテーブルで読んだ。

先日ツイッターで、「現代の日本の小説のレベルは低い。特に日本語のレベルが低い。基礎がなっていない」というような内容のつぶやきがあって、本当にそうなのかな、とこのごろよく考える。
もちろん「現代」はいつのことなのか、とか「基礎」ってなんだろうとか、疑問に思うことはある。まぁそれは置いておいて文章の「レベルが低い」のか、と文藝賞受賞作や芥川賞受賞作に軽く目を通してみて、いま読んでいる大江健三郎あたりと比べてみるとたしかに違いはある、と感じる(比較対象に大江健三郎はどうなのかとか、頭のなかの他人がいろいろ言うたりするけれども)。要は文体の違い。
ただ、それを「レベルが低い」と見なすのはまた違うような気もする。
まだ、自分のなかでまったく整理できていないし、そんなにする気もないけれど(だって作家によって文体は違うし。それは当然今にはじまった話ではなく、かつて批判された文体が後に評価されるなんてことはざらだし。個人の感想が並び立つだけで、絶対的な文章レベルの巧拙を決めるのはとても困難だろう)、なんとなく思うのは、密度の違い。
それは大江健三郎の特徴であるのは承知の上だが、語彙や、一文、一段落の情報量、比喩の豊満さ、重さなどにおいて、現代の文章とはぜんぜん違っている。みちみちに詰まっている。
現代の文章は、軽い、とか、薄いとかそういう言葉で表されるような気がする。それは悪い意味ではない。軽やかさ、といえば語弊が無いかもしれない。
いわゆるカタカナ言葉の多用や、豊富なネット上の情報ソースの(密かな)引用、こちらが調べる必要のない語彙の使用。これが現代の感覚であって、いま現在、重々しい語りは受けつけないという人が多いのかもしれないな、と思っている。

『群像』に戻って、対談のなかで大江健三郎が、

日本では新しい作家があらわれてきている。自立した新しいスタイルを持っている人たちがあらわれてきている。

大江健三郎×パスカル・キニャール「最も大切な人間の思想/歴史としてのユマニスム」
(『群像』第78巻第9号 2023.09.01)

と述べている。誰だろう。まぁでもやはり大事なのは文体なんだな。
キニャールの文章も引用されていて、やはり密度が高い。上手い。
『ローマのテラス』を大江健三郎が高く評価していて、図書館のサイトで検索するとなぜか『秘められた生』もいっしょに出てきた。その表紙にはおそらく本文テクストが印刷されていて、それをちょっと読むだけでも、上手いなぁと思ってしまう。
まぁ、たしかにこういう文体は少なくなってきたのかもしれない。

本が読みたくってのこのこ出てきたのだが、本を読むところがない。
サンマルクで休憩。人が多くて本を開く気になれず、長居できるカフェを検索。『プルーストを読む生活』で知った本の読める店fuzkueが京都にあればなと思う。それまでは、そういうところがあるのかくらいにしか思っておらず、必要に駆られないと自分は他の人が大切にしているものを理解できないんだなと思う。

検索し、天狼院書店がヒットする。
有名な書評家の方が働いていた書店で、いつか行こうと思っていて忘れていた。
食べログのPR欄に、

京都天狼院は、路地裏にある隠れ家的ブックカフェ。カフェや書店としてご利用いただくのはもちろんのこと、静かに勉強・作業・読書したい方にピッタリなカフェです。

https://tabelog.com/kyoto/A2601/A260301/26028491/(2023.08.09閲覧)

とあるので、すぐ行くことにした。正直普通のカフェに長居するのもな、と思っていたし。
ミシマ社の『すごい論語』を買って、レモネードを注文し、二階へ。その時間は一人しかおらず、ゆったりと窓際の席で『洪水はわが魂に及び』を読むことができた。
あらためて考えると、街中で本を読めるところは少ない。身につまされて、他の人が考えていることが知りたくなって、fuzkue店主の阿久津隆さんの『本の読める場所を求めて』を買う。

最後に、アスタルテ書房へ。かねてからほしかった『責苦の庭』を買い、妻と合流し、ご飯を食べて帰った。

10日。
『洪水はわが魂に及び』を少し読む。
はじめたばかりのギターを練習する。
元来の怠け癖をどうにかしたいと思って、いろいろ脳内を整備。やることをはっきりさせる。ただし、実行は次の日から。

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