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昭和ママの「普通」を卒業しようと決めた日。

息子が風邪をひいて、私もそれがうつった。

息子はコロッと元気になり、私は久しぶりに風邪をこじらせていた。


熱は37度3分前後をウロウロしていて、ずっと体の節々が痛い。さっさと38度でも39度でも熱を上げてくれたらいいのに。ガッと熱を出して、グーグー寝て、朝起きるとスッキリ熱が下がって元気になっているあの感じは割と好きだ。ずーっと微熱だとダラダラなかなか治らない。


体がだるくて重たくて痛くて、しんどすぎた。



そして月曜日。

「ごめん、母ちゃんもう無理だ。寝るわ。」

息子と父ちゃんをリビングに残して、夜ごはんを食べおわってすぐ、19時半に寝た。


夜ごはんを食べて、
後かたづけをして、
洗濯物を干して、
昨日の洗濯物をたたんで、
布団を敷いて、
息子を寝かしつける、

という毎日の決まったリズムを、久しぶりに崩して。


夜ごはんを食べて、
布団を敷いて、
そのまま布団にダイブした。




とりあえずがんばって夜ごはんは作ったんだ、えらいえらい。

いつもの夜リズムを崩したら、やらなかった家事が次の日に上乗せされて、次の日の朝リズムが崩れる。あの感じがキライだから毎日できるだけリズムを崩さないようにしている。でも今日はもうどうしても無理だから、せめて夜ごはんまではがんばった自分をほめてあげることで、なんとか自分を納得させようとしていた。


私はもうあと1分もすれば、寝落ちてしまうのだろう。そのくらいまぶたが重たかった。

ふと窓の外に目をやると、空が焼けていた。やわらかくて優しい感じのするオレンジ色に。

もう19時を過ぎているのに、まだ明るいんだなぁ。私の目が閉じてしまうのと、太陽が沈んで夜になるのと、どっちが先だろう。私だろうな。でも、ねむる瞬間に太陽が沈んでいるかを確認することは私にはできないから、本当のところはわからない。電気がまだないくらいの大昔、太陽が沈んだら寝るしかなかったのだろうけれど、今まさしく私はその時代を体感しているみたい。太陽が沈みきってしまったら真っ暗で何も見えなくなるから、このくらいの夕焼けになった頃から寝る準備をはじめていたんだろうな。


そんなどうでもいいことを考えながら、あっというまに寝落ちていた。



朝起きてリビングに行くと、あらまあびっくり、洗濯物が干されていた。

干す人がちがうと、ちょっとした配置とか干し方が微妙にちがうのか、全体的にいつもとちがってみえる。自分じゃない人が干した洗濯物たちを見るのは、なんだか新鮮だった。



「洗濯物、干してくれたの!?ありがとう!」

私は父ちゃんにそう伝えた。


「洗濯物、案外干せたわ。俺、できたわ。」

父ちゃんは、なんだかうれしそうにそう言った。






そして火曜日。

まだしんどさが抜けないけれど、昨日より随分よくなった気がしていた。息子を迎えに行って、お風呂に入れて、夜ごはんを作ろうとしていた。していたのに、急に強烈な睡魔におそわれた。立っていてもカクッとなりそうなくらいに強烈なやつだ。


ごはんを作るなんて絶対に無理だ。
そう思うほどに強烈なやつ。


「父ちゃん、ソーメンなら作れたりしない?お湯でゆでるだけだよ。」

洗い物以外で1回もキッチンにたったことのない父ちゃんに、フラフラしながらそう聞いた。ソーメンなら、ソーメンなら、ソーメンなら、なんとか作れるんじゃないかと思ったのだ。


「ぼく、てつだう!」と息子がはりきり出した。「や・・・やってみる!」とぎこちなくキッチンにやってくる父ちゃんに、ソーメンの束2つとソーメンつゆを託して、また19時半頃に布団にダイブした。




「母ちゃん、お風呂のときは元気だったんだけど・・・」

遠くの方から息子の声がきこえてくる。私だってこんなにすごい睡魔を予期していなかった。

窓の外にはたぶん、昨日と同じように夕焼けがひろがっていたのだろうけれど、私はそれを見るのも忘れて、ダイブしてから10秒後くらいには寝落ちてしまっていた。




朝起きてリビングに行くと、あらまあびっくり、またまた洗濯物が干されていた。固くなったソーメンが2本くらい、鍋に張り付いていた。コンロの上に置かれているその鍋は「無事に2人でソーメンを食べていたよ
」ということを教えてくれた。



「洗濯物ありがとう!ソーメンもありがとう!」

父ちゃんがまたまた洗濯物を干してくれていた。そしてはじめて晩ごはんを作ってくれた。そのことが予想以上にうれしくてうれしくて、私は心の底からお礼を言った。


父ちゃんも、うれしそうにうなづいていた。




水曜日。

咳は止まらないものの、体のしんどさは抜けてきた。体がちゃんと動く。今日からまたいつものリズムに戻れる。戻ろう。そう思えるほどに回復していた。

夜、洗濯物を干しはじめると、ソファに寝転がってスマホゲームをしていた父ちゃんがガバッと起き上がった。トイレかな?と思ったら、私の横でぬれた洗濯物をパンパンしはじめたのだ。


「え?今日も手伝ってくれるの?」

私がきくと、父ちゃんはニコニコしながらうなづいた。


おしゃべりしながら、ふざけながら、2人で洗濯物を干した。

並んで洗濯物をパンパンしたりハンガーにかけたりしていると、手よりも口ばかりが動く。お互いがお互いの邪魔をするゲームみたいなのがはじまって、そこに息子もまじったりなんてしていると、無駄な動きが多すぎる。

1人で淡々と干すのと同じくらいの時間、もしくはより多くの時間がかかっているような気がしなくもない。


でも、スマホをいじる父ちゃんと、テレビをみる息子の横で、1人淡々と洗濯物を干すよりも、あっというまに感じた。


私はきっといつもさみしかったのだ。
そして今日は楽しかったのだ。


「洗濯物を干す」というつまらない家事も、一緒にやれば、まるで遊んでいるよう。

それは、新しい発見だった。




そしてそれ以降、木曜日、金曜日、土曜日・・・

父ちゃんは私が洗濯物を干しだすと、スマホを置いて私の横にやってきてくれるようになった。


夜のリズムを崩して19時半に寝た2日間をきっかけに、「洗濯物をいっしょに干す」という新しいリズムがわが家に誕生した。


わが家の新しい「普通」が誕生した。


その新しい「普通」のおかげで、夜のつまらない家事時間が少し楽しくなったので、たまには「いつものリズム」を崩してみるのも悪くないなと心の底で思った。






「結婚したら、嫌でも一生家事しなきゃいけないんだから、別に今からしなくてもいいよ。」


これは母が言っていた言葉で、私は実家でたった1度も家事を手伝ったことがない。私だけじゃなくて、父も弟も、だ。母は365日、たった1人で家事を淡々とこなしていた。

父ちゃんに聞いてみると、父ちゃんの実家もお母さんがほぼ1人で家事をする感じだったそうだ。


私にとって「お母さんだけが家事をすること」は普通のことだし、父ちゃんにとっても「お母さんだけが家事をすること」は普通のことだったから、私は普通に1人ぼっちで家事をしたし、父ちゃんは普通に家事を手伝わなかった。

もし私が「手伝って」と言えば、普通以下になってしまう。もし父ちゃんが「手伝うよ」と言えば、普通以上になる。

私たちは、よほどのことがない限り「自分にとっての普通」を基準にして考えるけれど、その「普通」が必ずしも「真実」とは限らない。

共働きの夫婦にとっては、家事を分担することが「普通」だろうし、お母さんが外で働いてお父さんが家にいる場合は、お父さんが家事のほとんどをするのが「普通」なんだろう。

ほとんどの場合、生まれて育った家の「普通」が、「自分にとっての普通」になるんだと思う。でもこれからは、私と父ちゃんと息子と猫2匹が、自然体で居心地よく暮らせる「普通」を少しずつ形を変えながら作っていけばいいんだよね、と当たり前のことを思った。

そんなこと頭ではわかっていたはずなのに、体に染みついている「普通」は、気づかずうちに自分を縛っているものなのかもしれない。



「家事はお母さんが1人でやるもの。手伝ってもらったら普通以下。私は母失格。」

新しい家族を作ってまだ5年。まだまだ今のメンバーで作る「普通」は、「お互いの実家の普通」の影響を多大に受け継いでいる。

でも同時に、少しずつ少しずつ「わが家にとっての普通」が形作られていくのも感じている。



そしてそれが息子の「普通」になっていく。


「家族みんなで家事をすること」を「普通」に感じていた方が、息子も新しい家族を作るときに楽なんじゃないかな、とも思う。

もしお嫁さんが家事を全部してくれる人だったら「ありがたい」と思えるし、もし分担するとしても「それが普通」ならば何もつらくない。

そう考えると、私は「がんばらないことをがんばる」くらいがちょうどいいのかもしれない。息子の「普通」の基準を、できるだけ下げて下げて下げまくっていた方が、息子は将来いろんなことに感謝できるのではないだろうか。

そんな「家事をサボる立派な理由」を考えてみた。






昭和のお母さんたちは、本当にすごい。

自分が母になって「1人で家事をすること」のプレッシャーと重みに、はじめて気づいた。

私は昭和63年生まれで、昭和最後の年に生まれたから、一応「昭和の女」なのかもしれないけれど。

でも私は、昭和のお母さんにはなれないみたいだ。それを「自分に忍耐が足りないからだ
。自分が未熟だからだ。」と思っていたけれど、それはちがう。

昭和のお母さんたちが、すごすぎただけなんだ。もしくは、そうするしかなかったのかもしれない。




私は「手伝って」と誰かを頼るのを
「普通」にしていきたい。

「手伝って」って言わなかった日は「普通以上」で、1人で家事をした自分のことを「すごい」と褒めてあげよう。


父ちゃんが「手伝うよ」と言ってくれることを「普通」にしよう。・・・と言いたいところだけれど、だれかの「普通」を私が決めることはできない。

父ちゃんが「手伝うよ」と言ってくれたら「普通以上」で、手伝ってくれた父ちゃんに「仕事で疲れてるだろうに、ありがとう!」ってまっすぐ受け取って感謝しよう。



自分に甘く。人にも甘く。
頼ったり、頼られたりしながら、家事や子育てをする。

それが、令和ママの「普通」になればいいのにな、と思う。もう実際にそれを「普通」にしている人たちが世界にはたくさんいるのだろう。

お母さんは風邪をひいていても、熱があっても、やるべき最低限の家事を這ってでもしなくてはいけないような価値観を「普通」にしてしまったら、私はもう本当にダメダメになってしまうから。





家事に限らず、もし「私ってダメだな」って思うことがあるのなら、何と比べてダメなのか、その「普通」はどこから来たものなのか、ほんの少しだけ立ち止まって考えてみたら。

その「普通」の「曖昧さ」に気づく。

その「普通」は「絶対」じゃなくて、今すぐにでも自分で設定し直すことのできる「あやふやなもの」なんだと気づく。


だから日々「普通」を疑っていたい。

自分のことを「すごい」「がんばっている」と思えるような「普通」を自分で作っていけたらいい。





19時半に寝た2日間は、そんなことを考えるきっかけをくれた。

なにか心の動く「出来事」がやってきたときは、「普通を見直してみようよ」というサインなのかもしれない。



私は昭和ママの「普通」を卒業して
令和ママの「普通」を採用します。

そんなふうに自分で決めて、自分で採用するだけで、自分は昨日と何も変わらずとも、今日から「すごい人」になれるのだ。





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