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息子がなくしちゃった"宝物"を一緒に探した話。

ある金曜日の話。

仕事がおわって、息子を幼稚園にむかえにいって、家に到着して。お風呂の湯船をコシコシ洗ってから蛇口をひねって、お湯がたまるのを待っていた。その間、息子の幼稚園バッグをひっくりかえして、今日洗濯するものを洗濯かごに入れたりやら何やらして、パタパタと動き回っていた。


「ない!ない!ないないない!!!!」


急に息子の大きな声が聞こえたので、ソファに座っていた息子の方に目をやる。

「どうしたんー?なにがないのー?」

「石!今日幼稚園で見つけた石だよ!めちゃくちゃ気に入ったから、ズボンのポケットに入れてたのに・・・・う・・・う・・・・う・・・うわーん!!!!」

息子の目から、ボロボロと涙がこぼれおちる。急な展開すぎて、まだ私の頭も心も今の状況についていけていない。


うわーんって泣くの、久しぶりに見るなぁ。
というより、涙を流して泣くなんて、最近ほとんどなかったなぁ。

石・・・石・・・石・・・。石かぁ。
きっと園庭に落ちていた石ころだよね。
でもあんなに泣いてるってことは、
めちゃくちゃ気に入ってたってことだよね。

探す?
探すって言ってもさ、石だよね・・・
とりあえず、カバンに入っていてくれ・・・

そんなふうに、今起こっていることを頭で整理する。


「りんりんさ、カバンの中に入ってるかもよ?探してみよう!」

ひとまず、幼稚園に持って行っていたカバンをすみずみまで探した。着ていたジャンバーのポケットも、スボンのポケットも、全部すみずみまで探す。


「ないねぇ・・・途中で落としちゃったんかなぁ。そのズボンのポケット、けっこう小さいしねぇ。」

「うわーん!!!」

どうしよう。また泣き始めてしまった。



ふと、ファーストピアスをなくしたときのことが、頭に突然浮かぶ。

忘れもしない、2011年。4年間通った大学を卒業して、専門学校に通うことにした。

なんだかんだ大学までは、決められたレールの上を歩いてきたような感覚があったから、人生ではじめて"自分で自分の道を決めた"ような気がした。

就活して、新卒で入社する。そして30歳までには結婚して、そのあとは子供を産んで子育てをする。

見えないけれど、まるで見えるかのように存在していたレール。周りの友達のほとんどが、そのレールの上を進み続ける中、私はレールから外れた。

自分で決めた人生が、新しくはじまる。

レールから外れた恐怖と、
人生で初めて自分で決めたピカピカの進路。

妙に興奮していたのを覚えている。

そのノリで、両親には一切相談せず、ピアスをあけにいった。今思えば、ちょっぴり遅い反抗期だったのかもしれない。

耳に小さな穴をあける。

たったそれだけのことだけれど。穴をあけおわって、皮膚科の扉をあけて、春の匂いのする空気を吸った一呼吸目、なんだか生まれ変わったような気がした。

3年半くらい、ずっとそのファーストピアスをつけていた。私にとって、オシャレ以上に意味のあるファーストピアスだったのだ。

だから、そんなファーストピアスを落としてしまったことに気づいたとき、目の前が真っ暗になる感覚があった。

動揺しながら、その日1日の行動を思い出す。最寄りの駅で暑くなって、かぶるタイプのマフラーを脱いだとき、ひっかかって外れちゃったのかも。そんな小さな小さな可能性にすがって、コートをはおって外に出た。

自分が歩いてきた道を、地面を見ながらゆっくり歩く。コンクリートの上に、小さな小さなピアスが転がっているのを想像しながら。

マフラーを脱いだであろう駅のホームについて、そのあたりの床をなめるように見ながら、ぐるぐる歩く。

「あの・・・ゴールドのピアスの落とし物ありませんでしたか?小さな丸だけの、光っていないシンプルなやつなんですけど・・・」


改札にいるスタッフさんに聞いてみる。"あるわけがない"と思いながら、聞いている自分に気づく。あんなに小さくて、シンプルすぎるほどシンプルなピアス、きっと落ちていてもだれも気づかない。こんなときのために、もっとキラキラギラギラしたファーストピアスを選べばよかったな、と思う。

↑こんな感じのファーストピアス


私にとっては、物語がギュッとつまった大切な大切なファーストピアス。でも、何も知らない人から見ればきっと、数百円で買えそうな、どこにでも売っていそうな、何の変哲もないピアスに見えてしまうことは容易に想像できる。

けっきょくファーストピアスは、見つからなかったけれど。

でも、自分の足で歩いて探しているうちに、少しずつ心が落ち着いていった。ジワジワと"あきらめる"気持ちが育っていった。

探すことをあきらめて、家に向かって歩いているときには、「次はどんなピアスにしようかな」とちょっぴりワクワクした気持ちさえ湧いていたことを、まるであの頃に戻ったかのように生々しく思い出した。

急に大事なものをなくしてしまったとき、
急に大事なものとお別れするとき、
それを受け入れる時間が必要だ。

それが「探す」という時間でもあるのかもしれない。それでもし本当に見つかればラッキーだけれど。

私のファーストピアスと、息子の石ころが、妙に重なった。その石ころの価値はきっと、息子にしかわからない。



「りんりん、その石、そんなに大事だったの?」

「うん。」

「自転車に乗ってたとき、お尻が下にむいてるからさ、落ちちゃったのかもよ。探しにいく?」

「探しにいく!」


そんなわけで、もう真っ暗になってしまった夜空の下、もう一度幼稚園に向かって自転車をこぎはじめた。

幼稚園の帰りに通った道を、ゆっくりゆっくり進む。

石ころが転がっていたら「あ!」と2人で指を指し、自転車を止める。

「これは?」

「これじゃない・・・」

そんなやりとりを20回くらい繰り返しただろうか。コンクリートの上にも、案外石ころって落ちているんだな、と知る。

「石ころを探す」というはじめての経験。
なんだかだんだん楽しくなってくる。

けっきょく見つからないまま、幼稚園についてしまった。もう閉まっているかと思っていたけれど、まだ明かりがついていたので、幼稚園の中も探させてもらうことにした。


「大事な石をなくしてしまったらしくて。」

バカにされるかな、適当に対応されるだろうな・・・と思いながらも理由を伝えると、帰る間際だったであろう私服の先生たち数人が、探すのを手伝ってくれた。

「りんりん、どんな形の石?どんな色だった?」

「りんりん、どこで拾ったの?」

「りんりん、いつまでポケットの中に入ってたの?」

嫌な顔1つ見せずに、真面目に、いたって真剣に、いっしょに探してくれる先生たちを見て、なんだか涙腺がゆるんだ。なんて温かい先生たちなんだろう。


幼稚園の中をひと通り探したけれど、けっきょく石は見つからなかった。

「もう真っ暗だからさ、月曜日のお昼の明るいときに探そうか。明るい方が見つかりやすいかも。」

1人の先生がそう言うと、息子は納得して、自転車にすんなりとまたがった。



「りんりん、残念やったなぁ。見つかったらいいね。」

「うん。ぼく月曜日にもっと探してみる。石の絵を描いて、みんなにも探してもらおうかな。」

「うん。いいね。その石ころさ・・・」

「石ころちゃうし!コロコロしてない石やし!四角かったもん。」

なぜかちょっと怒られた。

「そんなかっこいい石やったん?」

「うん。かっこいい石やった。かっこいい石・・・かっこいい石・・・かっこいい石・・・あの石、"かっこいーし"っていう名前にする!」

「あはははははは!!!!最高やな!!!」

私が笑うと、息子もゲラゲラ笑った。


まだ諦めてはいないみたいだけれど、どうやら息子の心は落ち着いたようだった。



いつもだったら、もうお風呂から出て、夜ご飯を食べている時間だろうか。あーあ、これからお風呂に入ってごはんを食べたら、何時になってしまうだろう。でも今日が金曜日でよかった。明日は休みだし。

そんな憂鬱な気持ちももちろんあったけれど、なんだか私の心は満たされていた。

"ただの石ころ"は息子によって、"かっこいーし"になった。そして、私にとっても今やその石ころは"ただの石ころ"ではなくなってしまった。

ある金曜日の夜、息子と一緒に石ころを探したこと。コンクリートの道をなめるように見ながら、ヤイヤイ言い合って自転車をこいだ。それがちょっぴり楽しかったこと。幼稚園の先生がいっしょに探してくれて、心が温まったこと。あんなに泣いていた息子と、帰りの自転車ではゲラゲラ笑い合ったこと。

その石ころに、そんな物語がギュッとつまってしまった。これからその石ころのことを思い出せば、きっとその全部をブワッと思い出して、そのたびにクスッと笑いながら心を温めるにちがいない。

それぞ"宝物"だよね、と思う。

どんなに高価な物にも、どんなにオシャレで洗練されている物にも、どんなに誰かからうらやましく思われるであろう素敵な物にも決して負けない、自分だけの宝物。

そんな宝物をたくさん持っていればいるほど、人生は豊かになるにちがいないけれど。


宝物をつくるのも、
なかなか面倒なものなのね。

自転車から降りて、息子と手をつないで歩きながら、そんなことを思う。いたって真面目に石ころを探した息子と自分を思い出して、クスッと笑いたい気持ちを抑えながら。



その次の週の火曜日、息子を幼稚園に迎えにいくと、息子がニカーッと笑いながら私に突進してきた。

「母ちゃん、"かっこいーし"見つかった!!!!ほら、見て!!!めちゃくちゃかっこいいでしょ?」

お尻のポケットから大切そうに石ころを取り出して、自慢げに私に見せる息子。

思っていた以上に、その石ころの見かけは"普通"だった。拍子抜けするほどに"普通"だ。けれど、今や私にとってもその石ころは、愛おしい愛おしい石ころであることには間違いない。

「うん!めちゃくちゃかっこいい石やなあ。見つかってよかったなぁ。」

そう息子に伝えたときの息子の顔には、満面の笑みが咲いていて、またまた満たされた気持ちになった。


家に帰って、"かっこいーし"をどこに置いておくか迷う息子。迷ったあげく、磁石ブロックの中に閉じ込め、それをさらに木箱の中に入れていた。厳重に守っている。守りすぎなくらいに守っている。

まさか見つかると思っていなかったから、予想外の結末にて幕をおろした"かっこいーしの物語"。

何はともあれ、ハッピーエンドの物語がギュッとつまった宝物が、私の人生にまた1つ増えたことがうれしくて楽しくて、忘れないようにココに書いておこうと思った次第だ。

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