"幼稚園への送迎"を全力で味わうと決めた2023年。
12月後半。
期限付きのやらなきゃいけないこと、期限はないけれど今すぐやりたいことが、同時にグアーっと押し寄せてきた。
1分1秒もムダにしたくない。
そんな気持ちが強くなってしまっていた。
やらなきゃいけないことも、やりたいことも、息子がいたら集中してできない。できることがあったとしても、きっと3倍の時間がかかるだろう。
息子がいないときが、それらのことをグッと進めるチャンスなのだ。
仕事のある日となると、1日のうちで私が1人になれる時間は、息子を幼稚園に送っていった後から仕事に行くまでの時間と、息子が寝たあとの時間。息子と一緒に寝てしまうことが多いので、勝負は朝の一時間足らずの時間ということになる。
その1時間をマックスに有効利用するために私は朝、戦うようになった。
息子を起こす。起きない。
イライラする。
息子に朝ごはんを食べさせる。食べない。
イライラする。
息子に着替えるように言う。着替えない。
イライラする。
息子と自転車までの道を歩く。
歩くのがゆっくりすぎる。
イライラする。
自転車の変速ギアを「3」にして
いつもより重たいペダルを必死に漕ぐ。
息子はぺちゃくちゃおしゃべりしている。
イライラする。
幼稚園につく。
預かり保育の部屋は2階にあるので
通常保育のときよりも時間がかかる。
それだけでイライラする。
このあとの1時間に全力を捧げようとしている私にとっては、もはや息子は「敵」でしかなくなってしまっていた。
イライラが止まらないのは、きっと私の心も体も「戦闘モード」になってしまっていたからだろう。
「大人はなんで仕事をするの?」
ある日の帰り道、息子が私に聞いた。
「生活するためにお金を稼ぐことはもちろんだけどさ、母ちゃんは今の仕事は楽しいからやってるよ。」
私がそう答えると、息子から予想外の言葉が返ってきた。
「そうなの?最近お仕事の日さ、母ちゃん全然楽しくなさそうだよ。」
息子にそう言われた瞬間、ここ最近の自分の姿が頭の中をかけめぐった。その姿は確かに全然楽しそうじゃない。
「仕事ってさ、はじまる時間が決まってるねん。母ちゃんさ、それまでの時間に、やらなきゃいけないこととかやりたいことが最近いっぱいあってね、りんりんがのんびりしてるとその時間が減っていっちゃう気がしてね。だからイライラしちゃってたかも。ごめんね。仕事は楽しいよ。」
「そうなの?仕事がいやなんだと思ってた。ぼくは幼稚園キライだけど、母ちゃんと自転車に乗って幼稚園に行く時間は好き〜。」
私にとって「幼稚園への送迎」は「毎日やらなきゃいけないタスク」になってしまっていたけれど。
でも息子は、その時間を「好き」だと言った。
そのことに、ハッとした。
そしてその瞬間、ふと思い出したことがあった。
息子はもう6歳なのに、自転車の前についている赤ちゃん用の座席に乗りたがる。とっくに体重オーバーになっているけれど、そのうち狭くて乗りにくくなって「後ろに乗る!」と言い出すだろうと思って、その時を待っていたのだけれど。なんだかんだで、まだ前に乗っている。
「りんりんさ、なんで前に乗りたいの?景色がよく見えるから?せまいやろ、そろそろ。後ろに乗ったら?」
何気なくそう聞いたとき、愛おしい答えが返ってきた。
「いやだ。だって前に座った方が母ちゃんといっぱいしゃべれるもん。後ろに座ったら、声が聞こえにくくて、しゃべれないもん。」
そんな会話を交わして以来、自転車に乗っているときは息子とたくさんおしゃべりしようと思っていたはずなのに、すっかり忘れていた。
ここ最近の私は、送迎中のときも"心ここにあらず"で、息子とのおしゃべりを適当に交わしていたような気がする。その証拠にここ数週間、息子と自転車で何を話したか、たった1つでさえも思い出せない。反省。
次の日。
自転車の変速ギアを「2」に戻して、
のんびりとペダルをこいだ。
そして息子が私に投げかける言葉を、丁寧に丁寧に受け取った。そして私も、丁寧に丁寧に言葉を贈った。
赤ちゃん用の座席に、キツキツながらもまだまだスッポリと収まる息子の小さな背中が視界に入っている。高くてかわいいかわいい声が、耳に温かく響く。よくそんなにおしゃべりが続くよね、といつも思う。心と声が直結していて、心で思った瞬間に声に出てしまうのだろうか。大人になるにつれて、きっと少しずつ少しずつ、心と声を仕切る壁が分厚くなっていくのだろう。
太陽の光を気持ちいいと思う。
朝のひんやりとした空気をおいしいと思う。
全部が愛おしくて愛おしくて、
自然と顔がゆるむ。
しみじみと幸せだなあと思う。
家に帰って時計を見ると、いつもよりも10分ほど時間が進んでいた。朝の1人時間が、1時間から50分に減ってしまったというわけである。
それでいいや、と思った。
むしろ、どうして1人時間をたった10分増やすために、あんなにイライラして焦っていたんだろう。1人時間が全くなくなってしまうわけではない。あと50分もあるじゃないか。
息子とおしゃべりする時間を味わうことさえもできなくなるくらい、必死にやらなきゃいけないことなんてあったっけ?何としてでもやりたいことなんてあったっけ?
どうしてそのことに気づけなかったんだろう。
なんだかとても冷静に、そう思った。
たどり着きたいゴールに執着しすぎて、1番大切なことが見えなくなってしまっていた。
それはとても怖いことだな、と思う。
今、今、今。
息子みたいに、目の前のことを100%味わうことができたなら。
毎日の料理や洗濯や掃除であろうと、
仕事であろうと、
やらなきゃいけないことであろうと、
1人でやりたいことであろうと、
家族でやりたいことであろうと、
どれも全部、ただ味わえたなら。
楽しいなぁ。
めんどくさいなぁ。
うれしいなぁ。
イライラするなぁ。
かわいいなぁ。
憎たらしいなぁ。
幸せだなぁ。
しんどいなぁ。
好きだなぁ。
嫌いだなぁ。
ラクだなぁ。
苦しいなぁ。
いろんな気持ちをひっくるめて、目の前の"人"や"物"や"事"に、どっしりと心を置いて味わえる私でいたい。
楽しいと感じることはそりゃ楽しいから、その時間が多いにこしたことはない。やりたいことを集中してやるときの、あのグッと入りこむ感じだって大好きだから、その時間も多い方がうれしい。
でもその時間ばかりに心を向けて、それら以外の時間を心カラッポで過ごしてしまったら、私が"体も心もココで生きている時間"は、1日のうちの何時間くらいになってしまうんだろう。
せっかくココにいるんだから24時間、
体も心もこの場所で、
どっしりと生きたいな、と思った。
「そんなに焦って、どこに向かっていたの?そんなに急いでまで、何がほしかったの?私にとって1番大切なことは何?」
そんな問いが、自分の腹の底から湧いてくる。
私には、向かいたい場所がある。
私には、ほしいものがある。
でもそれら自体が大切なのではない。
はっきりとそう思った。
今この瞬間に、
いろんな気持ちを味わえる心を持っている。
その心で存分に、一瞬一瞬を味わうこと。
そのことが、私にとっては1番大切なことのように思えた。
そして、私にとっての"幸せ"は
向かいたい場所に到着することでも
ほしいものを手に入れることでもなくて
その過程で、いろんな気持ちを味わうことなんだよなあ、と思った。
"心地よい気持ち"も"心地よくない気持ち"も全部ひっくるめて、だ。
とはいえ、ちょっとでも油断すると、私の心は過去やら未来やらに旅してしまう。
でも私に限らず、完璧に「今」だけを味わえる人なんてめったにいないだろう。
でもせめて幼稚園の送迎だけは、心を息子に100%置いておけたらいいなと思う。
あと数ヶ月で息子は小学生だし、
さすがにそろそろ赤ちゃん座席には座れなくなるだろうし。
送迎をするのがあと何日なのかは把握していないけれど、もしかしたら60日もないのかもしれない。
1日1日を丁寧に丁寧に味わいたい。
一瞬一瞬を丁寧に丁寧に味わいたい。
2023年に1番大切にしたいことは、
そんな抽象的なことでゴールがないから、
あの新年らしい「今年もがんばるぞー!」な盛り上がりには欠けているけれど
なんだか肩の力が抜けていて
案外いい感じだったりする。
少しおそくなりましたが、
あけましておめでとうございます(^^)
今年もゆるりと書いていきたいと思います。
どうぞよろしくお願いします。
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最後まで読んでいただいてありがとうございます(^^)
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