
"忍者走り"で「かけっこ」に挑んだ、5歳息子の運動会の話。
幼稚園の運動会がおわった。
年中さんの息子は、かけっこと、つなひきと、パラバルーン(クラスみんなで円形の大きな布の端っこを持って、タイミングを合わせてふくらませたり移動したりする演技)をがんばっていた。
息子は終始キリッとした顔でキビキビと一生懸命演技していて、その様子にも少し驚いた。去年は、気の抜けた顔でダラーンと踊っていたからだ。
パラバルーンの演技が終わると、園児たちは退場門をくぐって、観覧席の前を通って、自分の席に戻る。
観覧席の前を通る息子に手をふると、息子が私にかけよってきた。
「母ちゃん、ぼくかっこよかった?」
「うん!かっこよかった!バルーンふくらんでたねぇ!」
私がそう答えると、息子は満足そうな顔をして席に戻っていった。
そして、つなひき。
息子はつなひきも、終始キリッとした顔で一生懸命に縄をひっぱっていた。
つなひきがおわって観覧席の前を通る息子に手をふると、息子が私にかけよってきた。
「母ちゃん、ぼくかっこよかった?」
「うん!かっこよかった!めっちゃがんばって引っ張ってたやーん!」
私がそう答えると、息子は満足そうな顔をして席に戻っていった。
そして、かけっこ。
「よーい、どん!」という合図と共に、息子はキリッとした顔で走り出す。なぜか両手を後方にピンっ!と伸ばして走っている。よく公園で「忍者走り〜!」と言いながら走っていた走り方と同じだった。他の子は腕を前後に振って走っているので、息子はもちろんビリだった。
「は・・・走り方、教えてあげたらよかったかなぁ。」
横で応援していた父ちゃんがつぶやく。
かけっこがおわって観覧席の前を通る息子に手をふると、息子が私にかけよってきた。
「母ちゃん、ぼくかっこよかった?」
「う、うん!がんばって走ってたなぁ!」
ちょっぴり迷いながらも、私がそう答えると、息子は満足そうな顔をして席に戻っていった。
「僕、1番やったでー!」
「負けちゃったー!」
「私、3番やったよー!」
息子が席に戻ったあと、そんな声がどこからともなく耳に入ってくる。同じ5歳でも、勝ち負けや順位にこだわっている子もいるんだなぁとぼんやり思った。
今年の息子はどうやら「かっこいいかどうか」にこだわっているようだった。
去年のかけっこもビリだったし、去年のマラソン大会は80人中74位だった。そして、それについて何か言っているのを聞いたことがない。そもそも息子は、"勝ち"や"負け"や"順位"の意味を知っているのだろうか?
そんな感じで、今年の運動会は幕を下ろした。
家に帰って、お昼ごはんを食べながらビデオ鑑賞会をした。
バルーンやつなひきは、「おれ、めっちゃかっこよかったなぁ。」と言いながら、私と父ちゃんに同意を求めた。満足そうな顔で、画面の中の自分を見つめている。
そして、かけっこ。
決してかっこいいとはいえない走り方だったけれど、息子にとっては「100%かっこいい走り方」で走ったはずだ。自分の走っている姿を自分で見た息子は、いったいどんな反応をするんだろう?
興味が湧いたので、何も言わずに息子の様子をうかがっていた。
かけっこのビデオを最後まで見終わったやいなや、息子は言った。
「おれ、負けてるやないかーい!」
ケラケラ笑いながら、なぜか自分で自分をツッコむ。いつも「ぼく」という息子が「おれ」と言うということは、まだ運動会モードが続いているようだ。
どうやら「負ける」という意味はわかっていた。負けたことに気づいていなかったのなら気づいた今、くやしがるのかな?と息子の顔をチラ見した。しかし特に気にした様子もなく、お昼ごはんをモグモグ食べている。「忍者走り」については何もツッコまないところをみると、走り方に関しては「かっこいい」と納得したということだろうか。
そもそも、
ビリだったって今気づいたんかーい!
ビリってことに気づいてなかったんかーい!
今度は私が、心の中でひっそりとツッコむ。
それなら息子は、何を考えながら走っていたんだろう。
かけっこは「1番早くゴールにたどりつくのは誰だ!?」という競技だから、「できるだけ早くゴールを目指すこと」を考えて走るものだと勝手に思っていたけれど。
「父ちゃん母ちゃーん!
この走り方、かっこいいやろー!?」
みたいな気持ちで走っていたんだろうか。自分が勝ったか負けたかもわからないくらい、そのことだけに集中して。
一般的には「1位=かっこいい」なんだろうけれど、息子的には「かっこいいフォームで走る」ということが「かっこいい」だったということなんだろう。
いつもながら、息子の感覚が新鮮でおもしろいなぁと思った。
ふと、運動会の数日前に息子と交わした会話を思い出した。幼稚園からの帰り道に自転車をこぎながら、息子は私に聞いた。
「母ちゃん、運動会ってなんのためにやるん?」
「なんのためだろうねぇ。母ちゃんもわかんないや。」
「ぼく、運動会の練習つかれちゃったんだけど。」
「母ちゃんも運動会の練習しんどかったなぁ。もうちょっとで運動会おわるし、もうちょっとの辛抱やなぁ。」
「早く終わらないかなぁ、運動会。」
「早く終わったらいいね、運動会。」
「運動会ってどうやったら終わるの?」
「本番が終わったら終わるよ。」
「本番って何?」
「母ちゃんと父ちゃんが、りんりんのかっこいいところを見に行く日やで。」
「母ちゃんも父ちゃんも来るの?」
「そうそう!本番にかっこいいりんりん見るの、母ちゃん楽しみやなぁ!」
私のその言葉のあと、息子はだまっていたけれど、今思えば息子は息子なりに小さな小さな頭で「運動会の目的」を考えていたのかもしれない。
息子が「かっこいい」にこだわっていたのは、私が何気なく言った言葉のせいだったのかもしれないな、とふと気づいた。
私と父ちゃんにかっこいいところを見せるために、あんなに一生懸命走ったり引っ張ったり演技していたんだと思うと、なんだか愛おしいなぁと思った。
私自身は運動会が好きではなかった。
息子と同じように、「運動会早く終わらないかなぁ」といつも思っていて、運動会が終わって日常が戻ってくるとホッとしていた。
でも「本番」だけは、今までイヤイヤながらも一生懸命練習してきたことを家族が見てくれるのかと思うと、ちょっぴりワクワクした。「見て見て!」という得意げな気持ちが湧いてきて、家族の視線を意識しながら一生懸命に体を動かした感覚を思い出す。
自分のことを見ててくれている人がいる。
自分のことを応援してくれる人がいる。
それはもうそれだけで
「がんばる理由」になるし、
「がんばるパワー」になる。
「母ちゃん、運動会ってなんのためにやるん?」
息子のその問いには答えることができなかったし、これからも幼稚園で、小学校で、中学校で、そして人生の中で、「なんのためにやるのかわからないこと」は山ほどあると思う。
やる理由が見つからないときには、
その「理由」になれればいいなと思う。
やりたいことをがんばるときには、
その「パワー」になれればいいなと思う。
そのために、
いつも見ているよ
いつも応援しているよって
ただ伝え続けられたらいいなと思った。
忍者走りで"かけっこ"に挑んだ今年の運動会。
来年はどんな走りを見せてくれるのか、楽しみだ。
運動会だからって
だれかに勝たなくてもいい。
1位にならなくてもいい。
息子が「どう走るのか」をただただ見守って、ただただ最後まで走り抜くのを応援していればそれでいいんだ。
それが忍者走りであったとしても、
ビリであったとしても、
それがかっこいい走り方だったとしても、
1位だったとしても、
私は堂々と
「がんばってたね。見てたよ。」
「がんばってたね。かっこよかったよ!」
って言えばいいんだ。
そんなようなことを息子の"忍者走り"から感じて、なんだかまた1つ肩の力が抜けたような気がした。