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息子と私の「板ばさみ」になっている人。

「髪の毛ハネてるの、なおらない。なおらないから、今日は学校いかない。」

朝の8時30分。父ちゃんに髪の毛をなおしてもらっていたけれど、なかなかハネてるのがなおらなかったらしい。息子は曇った表情でそう言った。

どれどれ。

私も息子の髪の毛のハネをなおそうとしてみる。いっぱい濡らして、クシでいろんな方向に梳かして、ドライヤーでかわかしてみる。


「まだちょっと変。これじゃ学校いけない。」

私がしっかりセットしても、お気に召さなかった様子だった。小学校1年生の頃は、放っておけば目には目ヤニ、口には食べカス、頭はボサボサのまま学校に行こうとしていたのに、小学校2年生になってからは髪の毛をなおしてから学校に行きたいようだ。息子の中で、何があったんだろうか。


「もうお風呂入っちゃって、髪の毛洗っちゃったら?それなら絶対なおると思うよ。」

半分冗談でそう提案したら「お風呂入る!」と服をぬぎだした。


学校は9時から始まる。この時点で、もう遅刻確定だ。でも、今日は私は仕事がお休みで、友達とランチに行く。待ち合わせも11時。気持ちに余裕があったのだ。せっかくウキウキな1日なのに、あの曇った顔でムリヤリ学校に連れていけば、そのウキウキが半減してしまう気がした。


なので、息子がお風呂に入り終わるのを待つことにした。

お風呂に入ると、サッパリしたのだろう。髪の毛もリセットされて気に入ったようだった。


息子といっしょに玄関を出る。

廊下を歩いていると、息子が手をつないできた。なんだか久しぶりに手をつないだ気がする。隣にいる息子の方に顔を向けると、息子も私の方に顔を向けていた。

そして、ニーッと大きく笑った。

私もニーッと笑い返した。

さっきまで曇り空だった息子の顔が、晴れた。そう思うくらいに、大きくニーッとした笑顔だった。


エレベーターで1階まで降りて、マンションの入口を出たところで、息子が言う。

「あ、上着きてくるの忘れた。」

その日は温かそうだったから、私的にはいらないんじゃないかと思った。でも、せっかくニーッと晴れた息子の顔がまた曇るのがイヤで「上着取りに帰る?」と聞いてみた。


「うん!取りに帰る!」

息子はニーッと晴れた顔のままで答えた。

エレベーターで、また1階から8階までのぼる。廊下を歩く。玄関で靴を脱いで、上着を取りに行く。また玄関を出て、廊下を歩く。


息子がまた手をつないできた。

息子の方に顔を向けると、息子の顔も私の方に向いていた。


「母ちゃん、だいすき!」

ニカーッと晴れた顔でそう言われた。なんだか「だいすき」って久しぶりに言われた気がする。ジワッと涙腺がゆるんだ。

けっきょく学校に到着したのは、9時30分になってしまったけれど。

その日の息子は、ゴキゲンな顔で学校に入って、ゴキゲンな顔で学校から帰ってきた。

本当は、毎日こんなふうに息子と関わりたい。

そう思った。


ある日。

「母ちゃん、今から迎えにきて。」

息子から連絡があったので、家を出た。家を出た瞬間、少し肌寒いかな?と思ったけれど、まぁいいかとエレベーターに乗った。

エレベーターにある鏡に、ふと自分の姿がうつる。なんだか顔がさみしい。うっかり化粧をするのを忘れているんだと気づく。


「こんな顔でお迎えにいくの、いやだ!」

お腹の底から、そんな声が聞こえてくる。


「お迎えに行くくらい、ノーメイクでいいやん。メイクしてもしなくても、そこまで変わらないねって、よく言われるくらいなんだから。りんりんが待ってるよ。早く行かなきゃ。」

35才の私が、そんなことを言って、せかす。

お腹の底からの声を無視して、エレベーターを降りた。マンションの入口を出た瞬間、「さむい」と感じた。

そのとき、ふとあの日の息子の姿が頭に浮かぶ。髪の毛が気に入らないとお風呂に入り、上着を忘れたと言って取りに帰った、あの日。

あの日の息子と自分が、妙に重なった。

お腹の底の私は、なんて子供なんだろう。
35才の私は、なんてお母さんなんだろう。

そして、このままお迎えに行ってしまったら、お腹の底の私がかわいそうだと思った。


めんどくさいな、と思いながらも、またマンションの8階までのぼって家に戻った。アイシャドウをササッと瞼に塗って、リップをササッと唇に塗って。上着をはおって、また家を出た。

大好きなチャットモンチーの音楽をききながら、鼻歌を歌いながら、運転をする。

自分が納得のいく顔で、寒くもない暑くもない今の気温にぴったりな服装で。

お腹の底の私も、35才の私も、ごきげんだ。今日の2人は、仲良しだ。


「お母さん」と「子供」。
「大人の私」と「お腹の底にいる子供の私」。


その関係性は、もしかしたらすごくすごく似ているのかもしれない。


子供はワガママだ。むしろ、ワガママじゃない子供の方が、不自然なような気もする。自分の体や心の違和感に正直で忠実で、少しでも違和感があれば、顔が曇る。そして、なんとかその違和感をなくそうと、声をあげる。さわぐ。泣く。

でも成長するにつれて、大人になるにつれて、ワガママな私は、お腹の底に沈んでいく。

「ワガママ=我がまま=自分自身」なのだとしたら、その部分はずっとずっと変わらないものなんだと思う。

だから、ワガママな自分を受け入れてあげることは、「自分を大切にすること」なのかもしれないけれど。


「大人の私」だって、頭の中でどんどん育っていく。

大人は忙しい。いつも時計を気にしてる。効率よく物事をすすめることが大好き。自分がどう見られているのかだって気になる。ちょっとした自分の違和感よりも、それらの方を大切にしてしまうことも多い。

でも「大人の私」だって、集団の中で生きていくために、社会で生きていくために、自分自身をうまくコントロールしながらがんばっている。


「お腹の底の私」と「大人の私」の関係がはじまる。

1人の大人の中に、まるで「お母さん」と「子供」が住みついているみたいに。


子供の小さな小さなワガママを、できる範囲できいてあげること。

それは子供が将来「自分を大切にする」ための土台になるのかもしれない。

そんなふうに感じた。


だって、小さな小さなワガママを受け入れてもらって育った子供が、大人になったら。

自分がそうしてもらったように、お腹の底にいる子供の自分にも、きっと優しくできる。受け入れてあげられる。

もちろん、できる範囲で。

大人の自分と、話し合いながら。折り合いをつけながら。うまくバランスをとりながら。


「頭」と「心」がケンカしないで
「頭」が「心」をおさえつけないで

仲良く過ごす土台は、

お母さんと子供が積み重ねてきた日々の中で、作られていくのかもしれない。



でも現実は、

時間に余裕がなくて、
せかしてしまうことがある。

心に余裕がなくて、
イライラしながら送迎しちゃうこともある。

学校を休みたそうにしている息子の様子に
気づかないフリをして
自分の都合を優先してしまう日もある。


息子の小さな小さなワガママを優先して、
「お腹の底にいる子供の私」が、
スネてしまう日がある。
イライラ暴れ出す日がある。

「お腹の底にいる子供の私」の
ワガママを優先して、
息子の顔が曇ってしまう日がある。
息子の機嫌が悪くなってしまうことがある。

大人の私は、「息子」と「お腹の底にいる子供の私」の板ばさみになってしまうときがあって、なかなかうまくいかない日もあるけれど。


今日も折り合いをつけて。

お互いの気持ちを受け止めながら。

ゆずったり、ゆずられたり、
間をとったりしながら。

自分を大切に。人を大切に。

自分も人も大切にできるバランスを、
今日もユラユラしながら探している。


そして、子育てをする経験の中で、
「子供の自分」と「大人の自分」の関係を
もう1度見直す機会をもらっているような、そんな気がしてならない。

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